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日本に学んだ韓国近代医学の父、ほか [日韓関係]

日本に学んだ韓国近代医学の父、ほか


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「中央日報」12月12日、「新刊紹介・子供のための1250°Cほか」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=93729&servcode=400§code=440

 昨年、惜しくも亡くなった韓国の宮廷料理研究家・黄慧性(ファン・ヘソン)さんの生涯とその世界を紹介する、子供向けの小さな本が出版されたようです。しかし、少なくとも記事によれば、その内容は相変わらず主観性の強い「韓国風」に見えます。

 記事は「朝鮮王朝宮廷料理の味と趣を継承してきた料理研究家・黄慧性」について、「最後の厨房尚宮であるハン・ヒスン尚宮が料理を作る姿を見守りながら材料、調理法、料理に込められた話、朝鮮時代の歴史まで記録したが、その記録ノートが6・25時に紛失すると、最初からまた記録を始めた」と紹介しています。

 中味を読んでいないので、断定的には申し上げられませんが、記事には誤解を招きやすい表現が目につきます。黄先生の業績は、宮廷料理の継承の前に、韓国人自身が見向きもしなくなっていた韓国伝統の食文化に光を当て、独自に研究に打ち込んだことを、まず挙げなければなりません。

 朝鮮戦争で研究資料が失われてもなお、研究が続けられたのは、先生の使命感と情熱のほかに、日本統治時代に総督府が李王職という官制を設け、文化の記録維持に努めていたからではないでしょうか。

 少なくとも記事の記述は一面的です。

 「韓国には資料や事実に基づいて、実証的に考察する文化がない」と以前、私の取材に語ってくれたのは、韓国・朝鮮問題の第一人者として知られる佐藤勝巳さんですが、韓国ではアカデミズムもジャーナリズムも事実の探究ではなく、自己中心のあらまほしき幻影を追究し、被害者を装い、無根拠に他国を批判しがちです。

 たとえば、池錫永(チスクユン)という韓国の偉人がいます。小学校用歴史教科書はわざわざ一節を設け、外国人医師を訪ね歩き、種痘法を学び、韓国にはじめて導入、普及させた、その成功は西洋医学の社会的神道に貢献した、と賞賛するほどの人物です。

 しかし、韓国近代医学の父の生涯は教科書の記述とはまったく違い、波瀾万丈といっていいものでした。むろん韓国が伝染病とは無縁な衛生的な国だったというのではありません。むしろその逆であり、イザベラ・ビショップの『朝鮮紀行』は、ソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていた、と書いているほどです。

 昭和11年発行の『京城府史』には、古来、朝鮮では衛生上の施設は見るべきものがない。汚濁した河川を飲用水とし、トイレもない。医療品には草根木皮を用い、妖僧巫女の祈祷に託した。いったん猛烈な伝染病が襲うと、たちまち蔓延し、罹患者は数知れず、死屍累々となって街路に横たわった。とくに疱瘡は四季を通じて発生・流行し、ほとんど風土病の観をなしていた患者の遺体は「迷信」により、戸外にさらされた、と書かれています。

 東亜日報がまとめた「朝鮮近現代史年表」によると、最初に種痘を実施したのは、明治10年、釜山日本居留地の済生医院のようです。池錫永が種痘法を学んだのは、この年表によると、済生医院の院長・松前譲からでした。

 韓国の歴史教科書は「日本人医師から学んだ」とせずに、なぜかわざわざ「外国人医師から」と名前を伏していることがわかります。

 「京城府史」が「朝鮮の種痘に関して逸すべからざる人」と高く評価し、特段の扱いで略歴を載せている池錫永は、1855年、ソウルの貧しい両班の家に生まれました。

 種痘に関心を持つようになったのは、開化政策推進のために日本に渡る修信使の随行医官から日本の種痘書を入手したのがきっかけだったようです。79年には海軍省軍医や松前医師から種痘法を学び、忠州郡ではじめて種痘を実施します。

 80年には修信使・金弘集(のちの首相)とともに来日し、日本外務省の斡旋により日本国内で痘苗製造技術などを修得します。さらに帰国すると、日本公使館付海軍軍医から医学を修めました。

 しかしそこに降って湧いたのが壬午軍乱、反日暴動です。池錫永の種痘場は焼き討ちに遭い、池自身も「邪衛の輸入者」とレッテルを貼られ、政府に捕らえられます。開化政策の推進を求め、上疏したことから、格好の標的とされたのでしょうか。

 けれども池はくじけませんでした。83年、池は科挙「文科」に合格します。理系から文系に華麗な転身を遂げ、各地に種痘所を設け、技術を伝授しました。

 しかしまたもや苦難が襲います。ある資料によると、数年後、「親日」の汚名を着せられ、全羅道に配流のみとなったというのです。

 ある韓国文化の専門家によると、韓国の儒教社会では、日本とは異なり、他人の体に触れる医者という職業が卑しい、と考えられ、そのため近代医学が社会的に受け入れられなかったといいます。

 池錫永がその功績を認められ、正三位を賜ったのは94年。近代化を推し進める金弘集政府に抜擢され、要職を歴任し、99年にはソウルに官立医学校が設立されるに伴い、校長の地位にまで上り詰めました。

 池錫永も、そして黄先生もそうでしょうが、韓国の先人たちが優れているのは、日本および日本人に対する好悪の感情を超えて、客観的に評価する目を持ち、学ぶべきところあり、とすれば、素直に学ぶ姿勢を持っていたということではないでしょうか。「親日」派といえば排除の対象としか見ない現代の韓国人とは格段の差があります。


2、「室蘭民放ニュース」12月13日、「幕末、室蘭に隠れキリシタン。野中さんが調査」
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2007/12/13/20071213m_04.html

 室蘭の郷土史家の研究によれば、幕末の安政3(1856)年8月、長崎の隠れキリシタン家族がフランス軍艦に乗って函館に逃れ、同乗していた日本人伝道師によって室蘭に連れてこられていたことが分かったというのです。

 ひょっとすると、これは日本のキリスト教史を書き換える重大な発見かも知れません。というのも、従来の研究では、キリスト教宣教の再開はもう少し後と考えられてきたからです。

 文久2(1862)年、フューレ、プチジャンというパリ外国宣教会の二人の神父が横浜に上陸しました。横浜天主堂が竣功し、二十六聖人が列聖したのもこの年です。

 列国に開港された長崎でフューレ神父は天主堂の建設をはじめました。元治元(1864)年に完成した天主堂は「日本二十六聖人」教会と呼ばれます。現存する日本最古の天主堂・大浦天主堂です。

 翌年3月、浦上の農民たち十数名が「フランス寺」の見物にやってきて、「サンタ・マリアの御像はどこ?」とプチジャン神父に聞きました。これが250年間、禁制下で潜伏していたキリシタンの復活でした。

 ところが、この記事によれば、これより少なくとも9年も前に、長崎の隠れキリシタンの存在がパリ外国宣教会に知られていたことになります。

 もしこれが事実だとすれば、なぜパリ外国宣教会は、そしてカトリックは、1865年の浦上の隠れキリシタン発見をもって「キリシタン復活」としてきたのでしょうか。もし隠れキリシタンを北海道に連れて行ったのがプチジャン神父だとしたら、虚偽の歴史を伝えてきたということになります。本当でしょうか。


3、「MNS産経ニュース」12月12日、「天皇誕生日祝賀会で、台湾外交部長が初祝辞」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071212/chn0712122314006-n1.htm

 記事によると、日本の在台湾代表機関、交流協会台北事務所が主催する天皇誕生日の祝賀会が12日、台北市内で行われ、台湾の外相がはじめて祝辞を述べました。

 昭和47(1972)年の日中共同声明で、「日本政府は中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認」「中華人民共和国政府は台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明。日本国政府はこの中華人民共和国政府の立場を十分理解」しました。

 これによって日台関係が断絶し、以来、台北には日本大使館はありません。代わって実務レベルで交流関係を維持する窓口の役割を担ってきたのが交流協会で、同年末、外務省と通産省によって認可・設立されました。

 正式な国家関係は断たれましたが、日台関係は当時よりはるかに密接になっています。台湾に進出している日系企業は約1500社を超え、在留邦人も1万5000人を上回ります。このため中止されてきた「祝賀会開催」を要望する声が在留邦人などから高まり、天皇誕生日の祝賀会がふたたび開催されたのが4年前の平成15年でした。

 このとき李登輝前総統をはじめ台湾の政財界関係者に招待状が出されましたが、反発し、開催中止を再三、求めた北京への配慮からか、陳水扁総統などは招待されませんでした。また、北京政府関係者は「祝賀会の開催は日本の国家的行為。開催しないで欲しい」と申し入れたと伝えられます。

 記事にあるように、こうして北京政府の反発する中、台湾の政財界人を招いて再開された祝賀会は、昨年までは台湾側の祝辞を対日交流機関、亜東関係協会代表が行っていました。

 「以前から民間人の会合の場合でさえ、壇上に並ぶ各国国旗に台湾の青天白日旗を認めると、中国の代表者はさっと席を立ってしまう」(NGO関係者)くらい、台湾問題に神経質な中国は、ときあたかも祝賀会再開の年、台湾が南太平洋の島国キリバスと国交を樹立すると、「なりふり構わぬ妨害工作」を展開しました。キリバスには中国の宇宙観測基地があり、大統領は華僑の血筋。けれども外向的にはアメリカ寄りとされる同国への猛烈な外交攻勢は、北京政府の強い苛立ちを示していました。

 となると、天皇誕生日祝賀会での台湾外相の祝辞に、北京政府はどう反応するのでしょうか。 


 以上、本日の気になるニュースでした。


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