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消防士の座禅をやり玉に挙げるキリスト者、他 [キリスト教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月19日水曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「asahi.com」12月17日、「『訓練で座禅』是か非か」
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000000712170010

 記事によると、静岡県消防学校が新規職員の基礎訓練で「情操教育」として、お寺で座禅を実施しました。これに対して、反ヤスクニ運動を展開しているキリスト教系市民団体が

「公的機関が特定の宗教行為に参加していることになるのではないか」

「参加した職員にはさまざまな宗教の人もいるはずで、精神的苦痛を与えた可能性がある」

「信教の自由を侵している可能性がある」

 と主張し、学校側の説明を求めているのだそうです。

 公的機関が特定の宗教行為に参加することが、信教の自由や政教分離規定に反するのではないか、というのがこのキリスト教系団体の問いかけですが、公的機関がキリスト教の宗教行事に参加するケースもかなりあります。

 歴史的にさかのぼれば、すでに何度も書いてきたことですが、昭和26年5月14日、みずから被爆しながらも医者として最後まで被爆者の救援に当たった永井隆博士の葬儀は、長崎市名誉市民葬というかたちで浦上天主堂で、もちろんミサ形式で行われました。

 葬儀委員長は市長が務め、各界代表ほか1万5000人の信者が列式しました。ミサのあと教会前で4万の市民が参列する告別式が行われ、ローマ教皇の弔電、吉田首相や衆参両院議長、文相らの弔電、弔辞が読まれ、教会やお寺の鐘だけではなく、市内のサイレンや船の汽笛が鳴り響き、市を挙げて1分間の黙祷をささげ、博士を見送ったのです(カトリック新聞、昭和26年5月20日号)。

 日本国憲法は厳格な政教分離主義を採用しているといわれますが、それならなぜこうした公葬が可能になったのかといえば、占領後期になって、占領軍が厳格主義から緩やかな分離主義へと転換したからです。

 そのことをほかならぬGHQで宗教政策を担当した職員のウッダードが解説しています。

 じつはちょうどこの年、日本で発行されている英字新聞紙上で「信教の自由」「政教分離」をめぐって大論争が繰り広げられました。永井博士の公葬の3日後、貞明皇后が亡くなり、斂葬当日の6月22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられたのですが、これを

「戦前の国家神道への忌まわしい回帰」

 と見るアメリカ人宣教師の投書がきっかけとなり、宗教論争が延々と続いたのです。

 のちにウッダードはこの黙祷論争をある論攷に取り上げています。極端な反対派を代表する宣教師がGHQにやってきたのに対して、宗教課は次のように説明したというのです。

 「神道指令は(占領中の)いまなお有効だが、『本指令の目的は宗教を国家から分離することである』という語句は、現在は『宗教教団』と国家の分離を意味するものと解されている。『宗教』という語を用いることは昭和二十年の状況からすれば無理のないところであるが、現状では文字通りの解釈は同指令の趣旨に合わない。……米国の世論は非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しないだろう。米国では明らかに宗教と国家との間に密接な関係がある。民間情報教育局は宗教と国家の分離より、むしろ宗教団体と国家の分離を主張した。非宗教主義だけを目的とする計画はすべて成功するはずがない」(「宗教と教育─占領軍の政策と処置批判」国際宗教研究所紀要4、昭和31年12月)

 占領後期になるとGHQは厳格な政教分離政策を採らなくなり、その結果、永井博士のミサ形式の公葬も認められたのです。公機関が宗教儀礼に参加することが信教の自由を侵し、政教分離規定に違反する、というような考えは占領後期のGHQは採用してはいません。

 憲法学者の小嶋和司教授は書いているように、憲法は信教の自由を保障し、宗教を悪とは考えてはいません。今回の事例でいえば、少なくとも記事によれば、座禅は入信を促すものではなく、参加は強制されているわけでもないようです。お寺での座禅も修道院での瞑想も憲法は認めていると見るべきではないでしょうか。

 そうではなく、あくまで国家は宗教的無色中立性を貫くべきだというのであれば、長崎市の市有地に立っている二十六聖人記念館や奥州市のキリシタン領主・後藤寿庵廟での市長の祈願祭参列、あるいは、やはり長崎県が県をあげて進めている教会群の世界遺産登録推進運動などを率先して取りやめるべきではないのでしょうか。

 そうでなければキリスト者の反対運動は二枚舌の偽善行為にしか映らないでしょう。しかし宗教の否定につながるような運動が果たして神の御心にかなうことなのかどうか。


2、「東京新聞」12月18日、「首相訪中時の合意は困難。ガス田交渉で経産相」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007121801000324.html

 案の定、共同開発の海域をめぐってミゾが埋まらないようです。

 大陸棚延長論と日中中間線論では原則がまったく異なるわけで、どちらかが原則を捨てるか、双方が原則を捨てる以外に、政治的な歩み寄りは困難なはずです。

 中国は原則論を重視するお国柄でしょうから、それに対抗するには、日本も原則論を主張するほかはないでしょう。中間線論の正当性を訴えるには、識者が主張するように、沖縄トラフのボーリング調査をして、地質学的に見て、大陸棚が沖縄トラフで終わっているのではなく、南西諸島を越えて太平洋まで続いていることを科学的に証明すべきではないでしょうか。

 日本政府はそうした専門家たちの意見に、なぜ耳を傾けないのでしょう。卓越した政治力があるのならまだしもですが……。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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