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返還された韓国人旧軍人らの遺骨。「強制動員」と主張せざるを得ない事情 [韓国]

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返還された韓国人旧軍人らの遺骨
「強制動員」と主張せざるを得ない事情
(「神社新報」平成20年2月6日)
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 厚労省が東京・目黒区の祐天寺に預託している朝鮮半島出身の旧軍人・軍属の遺骨千百三十五柱のうち、遺族の所在が判明した百一柱が先月二十二日、韓国政府を通じて返還されました。返還に先立って無宗教形式の追悼式が寺院内で営まれ、韓国伝統の白い葬服を身にまとった遺族のほか、日韓政府関係者ら約百人が霊前に黙祷を捧げ、献花し、さらに前例に従って弔慰金が遺族に渡された、と伝えられます。

 日韓メディアの報道によると、追悼の辞で外務省の木村仁副大臣は、平成十年の小渕・金大中両首脳による日韓共同宣言を引用して「(植民地支配について)痛切な反省とお詫び」を表明し、韓国政府・強制動員被害真相糾明委員会の全基浩委員長は「軍人・軍属だけでなく労務者として強制動員されて犠牲となった被害者の遺骨収集・返還の成果は不十分」と述べたようです。

 今回の遺骨返還は十六年の小泉・盧武鉉会談で韓国側が韓国人民間徴用者の遺骨の所在確認と返還を希望したことに始まり、以来、これだけまとまった返還が実現したのは初めてとされますが、戦後、過ぎ去った時間の長さと歴史認識の違いは日韓の隔たりを改めて浮き彫りにしています。


▽ 異端を排除する儒教社会

 日韓の相違点の最たるものは、朝鮮人の徴用・徴兵は強制だったのか、否か、です。

 朝鮮では大正八年に三・一独立運動がわき上がりましたが、ほかならぬその闘士たちが、昭和十二年の日中戦争勃発後、対日協力に一変したことが知られています。

 朝鮮での徴兵制は、じつのところ朝鮮人の請願を受けて始まりました。金錫源陸軍少佐が日本兵千名を率いて、中国軍を撃破し、朝鮮人初の金鵄勲章を授与するという大ニュースが志願制実現につながり、十三年に陸軍特別志願兵制度が創設され、適齢の若者が殺到しました。徴兵制移行は敗色が濃くなった十九年。しかしいまだ訓練中に終戦を迎えたのでした(杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』など)。

 民間人の集団動員も十四年〜十七年までは自由募集、同年〜十九年までは官斡旋・隊組織による動員、その後は国民徴用令による動員でした(『在日朝鮮人処遇の推移と現状』法務研修所)。

 二十四万を超える朝鮮人軍人・軍属が戦争に参加し、うち二万人が命を落とし、靖国神社に祀られ、慰霊の誠が捧げられていますが、当時の朝日新聞の報道によれば、徴兵制採用は「内鮮一体の実」を挙げることでした。民間人の徴用も労務管理が劣悪な事業所には避けられ、家族援護の万全も図られるなど、日本政府はむしろ内鮮一体化のために苦悩しています。

 総連系の研究者が政治的プロパガンダとして主張し始めたとされる「強制連行」説は今日、歴史的根拠が明確でないことが広く知られるようになり、四年前、「日本の指導者たちの悪意に満ちた歴史認識を正す」ため、在日の研究者が編集し、民団中央本部が発行した小冊子などは「強制連行」についての言及がないどころか、「土地と生活基盤を奪われた流浪民が満州や日本などに移住した」と説明しています。

 今回、民団新聞は「韓半島出身の旧軍人・軍属」、韓国・朝鮮日報も「徴用」と表現し、韓国・中央日報の「強制動員」、総連機関紙・朝鮮新報の「強制連行」とは異なります。

 もっとも、形式は志願だが心理的には強制されていた。志願という名の強制徴用だった、と理解する研究者もいます(内海愛子『朝鮮人BC級戦犯』)。それなら、志願制のはずがなぜ強制的に実施されたのか。

『巣鴨プリズン十三号鉄扉』で韓国人元BC級戦犯の苦難に言及した作家の上坂冬子氏は「志願か強制か、抗日思想の強い同胞から一線を画されるか否かのポイントなのであろう」と指摘しますが、志願者が戦後になって「強制」と主張するのは、むしろそういわざるを得ない韓国特有の事情があるのではないでしょうか。

 韓国儒教社会は正統を重んじ、異端を極端に排除します。やむにやまれぬ事情があるとはいえ、異国の血に汚れ、あるいは国を売ったとなると、けっして故国に受け入れられない。そんな歴史の事例は、高麗時代、元に朝貢された貢女など、いくつもあげられそうです。

 戦後、巣鴨拘置所に収容されたBC級戦犯者がひそかにまとめた証言集は、韓国人留守家族の悲惨な状況を余すところなく記録しています。

 韓国人戦犯の多くは戦地の俘虜収容所の監視要員となった軍属雇人で、戦後、所内での暴力事件のいわれなき責任を連合国側から不当に追及されたのですが、韓国では対日協力者として反感の対象であり、家族は周囲から冷遇され、親類縁者からの援助も望み得ず、それでなくとも朝鮮戦争の影響で大黒柱を失った家族は文字通り路頭に迷った、といいます。

 親日派糾弾に狂奔する盧武鉉政権の強制動員真相糾明委員会が朝鮮人元BC級戦犯八十人を「被害者」と認定し、名誉回復すると発表したのは一昨年十一月です。

 韓国・聯合通信によれば、「監視要員になったのは、強制徴用の対象にならないためのやむを得ない選択だった。しかし日本の戦争捕虜に対する虐待責任まで負うことになり、二重の苦痛を受けた」と説明されています。

 要するに日本国家に協力した事実を否定し、逆に被害者であったことを証明するのが韓国流の名誉回復なのです。親日を異端とし、心ではけっして許してはいない戦犯者を、ちょうど慰安婦がそうであるように、親日批判のために逆利用しているように見えます。

 驚くべきことに、遺族らはその後ようやく公の場に顔を出せるようになった、と伝えられます。

 ことほど左様に異端のレッテルを貼られたまま韓国儒教社会で生きていくことがいかに厳しいか。であればこそ、「志願」をも「強制」と抗弁せざるを得ないのでしょう。


▽ 御霊よ、安らかに

 追悼式で柳明桓韓国大使は「今日の追悼式は不幸な過去の歴史が生み出した傷跡を少しでも癒し、未来の友好・平和に向けて踏み出す貴重な一歩となった」と追悼の辞を述べ、遺族代表の金慶逢さんは式典後、記者らに「怒りや悲しみ、後世の人への責任を感じるが、これで終止符を打ちたい」と語ったといいます。

 一方、韓国の李明博・次期大統領は当選後の初会見で「日韓関係は未来志向的に進めなければならない」と語りました。前政権が創設した親日反民族行為真相糾明委員会などの廃止も表明していますが、歴史問題で反目し合う狂気の時代は幕を閉じるのでしょうか。

 翌日、祖国に帰った遺骨は韓国中部・忠清北道にある「望郷の丘」に安置されました。日本国家に命を捧げた御霊(みたま)の安らかならんことを切に祈るばかりです。


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