渡韓した「憲法教」の宣教師 ──カトリックは自衛戦争を認めているのに [キリスト教]
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渡韓した「憲法教」の宣教師
──カトリックは自衛戦争を認めているのに
(「斎藤吉久メールマガジン」平成20年3月9日号)
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▽ 教会異端化の本丸
朝鮮日報によると、カトリック大阪教区の松浦司教が昨日(平成20年3月8日)、韓国・ソウルで講演し、
「憲法九条の改正は絶対あってはならない」
と訴えたそうです。
同司教は大阪大司教区の補佐司教で、教会指導者の左傾化、異端化の本丸と指摘されている「カトリック正義と平和協議会(正平協)」の会長の地位にあります。
正平協は、平成14年には小泉首相とブッシュ大統領の明治神宮参拝中止を申し入れ、17年には首相の靖国参拝に抗議しています。首相の参拝は国の宗教活動を禁じた憲法に違反する、というのがその言い分ですが、面白いことに、17年のブッシュ大統領の金閣寺参詣には沈黙しています。
以前、司教様に直接、うかがったところでは、神社には政教分離を厳格に適用し、仏教はゆるやかに、というお考えのようでした。護憲派のようでありながら、法の下の平等という憲法の大原則には無関心のように見えます。
ついでにいえば、金閣寺の住職は、司教様と同じく、
「憲法九条を世界に輝かせたい」
と訴える「九条の会」アピールに賛同する「宗教者九条の和」の呼びかけ人のようです。平和の信念よりお友達の論理が優先されているかに見えます。
▽ 絶対平和主義の立場
さて、司教様のソウル講演の中味ですが、記事によると、講演前日の記者会見で、
「戦争防止の人類の思いがつまった九条を変えることは絶対にあってはならない」
「世界がこの憲法の精神を噛み締めなければならない」
「アジア・太平洋諸国に真摯な謝罪をすべきだ」
と訴えたようです。
いまの司教様方は憲法改正阻止にことのほか熱心で、一昨年(平成18年)の秋に発行された一連の小冊子では、さいたま司教が「自民党新憲法草案を検証する」を書いているほどですが、自民党の草案は戦争放棄を捨ててはいません。自衛軍の条項を新たに設けていますが、これは自衛隊の現状を追認するものでしょう。司教様方の政治的言動には、オオカミ少年の響きがあります。
松浦司教様は、『武器なき世界の実現を』という著書で、
「キリストは人々の憎しみと排斥のなかにあって、『剣をさやに納めなさい』と弟子たちを戒め、和解とゆるしを願って十字架に上り、そのために自らの命をさし出したのです。それは一見、無力な行為のように見えます。しかし、その十字架は予想し得なかった新しいいのちを生んだのです。どんなに時間がかかっても、この道以外に、ほんとうの平和は実現しないからです」
と書いています。
司教様は明らかに絶対平和主義の立場に立ち、その根拠を九条においています。
しかし戦争反対の主張は教会の教義に基づくことなのでしょうか。
▽ バチカンが認める祖国防衛の義務
カトリックの教義は絶対平和主義に立ってはいません。
バチカンが編纂した信仰と教理の解説書『カトリック教会のカテキズム』は、4つの厳格な条件を挙げつつも、祖国防衛のための戦争を認め、
「政治をつかさどる者には祖国防衛に必要な任務を国民に課す権利と義務があります」(2310項)
とさえ述べています。
そればかりではなく、教会の教義は、この憲法改正論議というような政治に直接介入することは、
「教会の司牧者の任務ではありません」(2442項)
と明記しています。
つまり、キリストの弟子の後継者と位置づけられ、ローマ教皇と直結するのが司教ですが、日本の司教様方はバチカンの教えに反して、キリストの教えではなく、いわば憲法教の宣教師を演じていることになります。端的にいえば異端でしょう。
先に紹介した著書は、キリストの言葉を引用し、いかにも戦争放棄がキリストの教えであるかのような記述をしていますが、キリストは
「剣をさやに納めよ」
と述べたのであって、
「剣を捨てよ」
とまでは述べていないのです。
▽ もし本気なら……
ある軍事評論家によると、第二次大戦後の核軍縮論議が起きたとき、一方的な核廃棄がかえって危険である、ということに為政者は気づいたのでした。平和を望む諸国が核兵器を廃絶したとして、たった一つの独裁国家が核を持つ状況になれば、平和どころか、逆に悲惨な世界が生まれるからです。
現にいまその状況が目の前に起きています。いうまでもなく、北朝鮮の核開発です。平和は誰もが望むことですが、安易な平和主義に基づく軍事的空白がうまれることがどれほど危険なことか、司教様は理解できないのでしょうか。
司教様が、自分のいのちを差し出すことが新しいいのちを生む、と本気でお考えなら、率先して北朝鮮の独裁者に自分の命を投げ出し、戦争放棄を訴え、実現させるべきではないでしょうか。
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