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皇太子殿下の「公と私」/話題「朝鮮半島ゆかりの英霊」 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


□□□□□□□□□□ 皇太子殿下の「公と私」 □□□□□□□□□□

▽殿下ご自身のお考え

 今週も引き続き、宮内庁長官の「苦言」問題について書きます。
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 「参内が増えていない」という長官の異例の指摘に対して、皇太子殿下はお誕生日会見で「プライベートな事柄」という英語表現を用い、多くを語られませんでした。「天皇に私なし」が皇室の大原則ですが、殿下はそのようにはお考えではないのでしょうか。公正無私なる天皇の歴史にはあまりご関心がないのでしょうか。

 いや、そう結論づけるのは早過ぎるようです。前号で書いたように、殿下のご発言はメディアの挑発その他、外的要因に導かれているという側面が濃厚だからです。

 それなら、殿下ご自身は「公と私」に関して、あるいはご公務について、どうお考えなのか、今号では視点を変え、会見でのご発言を通して考えてみたいと思います。

 結論を先にいえば、殿下は、公正無私のお立場で「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈られることが天皇第一のお務めであることを十分に理解され、そのうえで新しい時代の公務のあり方を模索されています。

▽「国民の幸せを願っていくこと」

 天皇の国事行為については憲法の規定がありますが、皇族のご公務に関しては明確な定めがあるわけではありません。けれどもお誕生日会見では、「将来の皇室像」「ご公務」についての質問とご回答が毎年、繰り返されています。

 たとえば平成13年は、第2問で「今後の皇室像をどう思い描かれますか」という質問があり、殿下は「皇室として大切なのは、国民と心をともにし、苦楽をともにすることで、時代を超えて受け継がれてきている」と語られる一方、「公務の内容も時代ごとに求められるものがある。時代に即した公務の内容を考えていく必要がある。その根底にあるのは国民の幸せを願っていくことだと思う」と答えられました。

 「国民とともにある皇室」像を基本とした絶対無私の祈りこそ天皇第一の務めであることを、殿下はよく理解されて、そのうえで、このころを境に新たな皇室像の模索が始まったようです。

 平成15年の会見では、ご結婚10周年に関連して「将来の皇室像」について質問されたのに対して、「昔から引き継がれていることを大切にしながら、時代の空気を感じ取って、若い世代の皇族としての望ましい姿をつねに模索し、21世紀の皇室に相応しい活動ができればと思う」とあらためて表明されました。

▽新たなご公務、4つのテーマ

 皇太子となられてから15年の節目を超えた平成16年の会見では、ご回答がより具体的になり、「新たに私たちにできる公務」について「宮内庁を含めて真剣に考えていただきたい」と希望を述べられ、両陛下が皇太子時代から障害者スポーツを新たな公務として育てられたように、と今上陛下の例に挙げられ、ご自分が関心を持つ新たな公務のテーマとして地球環境問題、水問題を挙げられました。

 そして平成17年の会見では、殿下は公務のあり方について宮内庁参与などを含めて検討されたことを明らかにしたあと、環境問題、子供の教育と高齢者の福祉、国際的文化交流および友好親善の増進、産業・技術の育成・発展の4つのテーマを今後の分野として挙げられたのでした。

▽時代は変わるが……

 平成19年の会見では一つの実績として、18年3月にメキシコで開かれた世界水フォーラム開会式にご臨席になったことをお話になりました。宮内庁のホームページはこの年の会見内容に加えて、殿下が関わられた、水に関連する過去数年間のご公務の事例が詳細に説明されています。

 今年の会見では、とくに印象が残るご公務として、アジア太平洋水サミットやユニバーサル技能五輪大会へのご出席、モンゴルご訪問について、お話しされました。

 「プライベート」発言は一見すると、殿下が公と私を峻別する欧米風の考えに染まられているかのような印象を与えますが、実際はそうではないということでしょう。

 平成16年の会見では、文字通り「公と私」に関する関連質問がありました。殿下はこの年、44歳となられました。昭和天皇が御前会議で終戦の決断をされた年齢にあたるけれども、「天皇に私なし」という価値観は変わったとお考えか、と記者は質問したのでした。

 これに対して殿下は、「時代が変わり、公と私のとらえ方は変わってきているが、国民の幸福を誰よりも先に願い、祈りながら仕事をすることが皇族のいちばん大切なことではないか、と思う」と答えられています。

 殿下は国の平安と国民の幸福を祈るお立場を大切にされつつ、祈りのなかから新たな皇室像を模索されています。その挑戦は積極的に推進されるべきだし、その思いを国民もまた大いに支援すべきではないでしょうか。

▽陛下のご指示があれば

 殿下ご自身のご公務とあわせて議論されるのは、陛下の多忙なご公務の見直しで、これも毎年、会見で質問が繰り返されています。

 これに対して殿下は「両陛下でなければなされないものも多く、ほかの皇族が替わることのできないものが数多くあることも事実だが、ご日程が過度にならないよう目配りすることも大切で、過度のご負担をおかけすることがないよう配慮が求められている」「すべての公務には『天皇陛下をお助けし、国民の幸せを願い、国民と苦楽をともにしていく』という皇室のあるべき姿が基礎にある」という原則論を示される一方で、「お役に立つことがあればお手伝いしたい」と語られています。

 とくに今年の会見では、「周囲が陛下とよくご相談しつつ、陛下のお気持ちに沿うかたちで、ことを進めていくことが大切と考える」と述べられています。陛下のご指示があればご公務の分担を引き受ける意思があるとのご意向と拝察されます。

 実現に向かうことを願いたいものです。


□□□□□□□□□□ 話題「朝鮮半島ゆかりの英霊」 □□□□□□□□□□

「東郷茂彦外相と昭和天皇」
─A級戦犯とされた朝鮮陶工の子孫─

▼村をあげて祝った外交官試験合格

 昨年暮れ、韓国人BC級戦犯の遺族が来日し、靖国神社合祀の取り下げを要求したことが伝えられています。靖国神社は日本国家に命を捧げた2万人を超える朝鮮半島出身者に対して日々、慰霊の誠を捧げていますが、遺族らはいったい何が不満なのでしょうか。

 朝鮮半島にゆかりのある英霊といえば、日米戦争開戦時および終戦時の外相を務め、その後、いわゆるA級戦犯の一人として東京裁判の被告となり、服役中に病死した東郷茂徳が思い起こされます。

 東郷は明治15(1882)年、鹿児島県日置郡苗代川村(いまの日置市東市来町美山)に生まれました。秀吉の時代、「茶碗戦争」といはれる文禄・慶長の役で島津勢の捕虜となり、日本に連れてこられた陶工たちが住み着いた歴史的土地柄で、東郷も朝鮮陶工の子孫です。

 外交官試験に合格したのは明治の終わりのこととでした。郷里では全村民を招待しての宴が一週間続きました。初任地は満洲の奉天。まもなく第一次大戦が始まり、やがて満洲の権益をめぐる日中間の溝が深まります。

 妻はベルリン在任中に知り合ったドイツ人エディータ。一人娘のいせは夫婦で伊勢神宮に参宮したころ授かったことから命名されました。

▼アメリカは暗号電報を誤訳していた

 ワシントンの日本大使館主席書記官時代、日本人移民排斥問題で日米関係は緊張していました。盧溝橋事件の年に駐独大使。ナチスの絶頂期でした。信条的に相容れない東郷はベルリンを追われました。次の任地はモスクワ。日独防共協定成立以後、日ソ関係は最悪の状況で、ついにはノモンハンで武力衝突します。

 外相としての初入閣のとき、故郷の玉山神社では健康と奮闘を祈る祈願祭が行われ、境内は参列者であふれました。日米開戦への道を回避するために心血を注ぎ、非戦に努力することを約束しての入閣でした。あえて火中の栗を拾ったのですが、日米交渉が行き詰まり、戦争が始まります。大東亜省設置に反対して辞任。野に下ったとき、娘いせが結婚します。相手の親戚筋の祖先は朝鮮に出兵した武将でした。歴史の妙です。

 東京裁判でも戦いは続きました。東郷は問いかけます。

 ──日本が戦争を企てたととらえるのは皮相な見方だ。戦争責任が侵略戦争の開始にあるのなら、日本だけが責任を問われるべきだろうか。

 ──なぜ日米は開戦したのか。日本は世界でもっとも海外依存度が高い。自由に利用できる資源を求めて大陸や南方に進出したのが戦争の原因。日米戦争は中国の資源と市場をめぐる争奪戦だ。

 ──日米交渉はなぜ失敗したか。アメリカ政府は日本の暗号電報をすべて傍受解読していた。ところがアメリカ側は致命的な誤訳を犯した。日華事変解決のための最重要提案とされていた甲案は、英語訳のミスで、不誠実な日本がアメリカを誤魔化すために交渉を続けているという印象を与えていた。交渉決裂は当然だった。

▼天皇への献身に生涯を捧げ

 弁護側は正確な英訳を証拠として提出、受理されましたが、判決は一顧だにせず、誤訳の電文をそのまま掲載しました。

 東郷は全体的共同謀議と侵略戦争遂行の責任を問われ、禁固20年が宣告されました。弁護に渾身の努力を傾けたアメリカ人ブレイクニーは判決後、決定の放棄を訴えましたが、マッカーサーは却下しました。

 昭和天皇は敗戦後、高い次元で戦争責任を痛感され、「戦争責任者を連合国に引き渡すはまことに苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納めるわけにはいかないだろうか」(『木戸幸一日記』)と語られたといわれますが、獄中で歌作をはじめた東郷が次のような歌を遺しています。

 すめろぎに凡てを捧げまつらむと定めし心今も揺るがず

 東郷はすめろぎ(天皇)への献身に生涯を捧げたのです。生家の庭に建つ頌徳碑は、終戦時の内閣書記官長・迫水久常(さこみず・ひさつね)が書いたもので、裏面の経歴は「終戦工作の主役を演じ、大業を完成し、国家と国民を救った」と結ばれています。


 参考文献 萩原延壽『東郷茂徳 伝記と解説』(原書房、1985年)、東郷茂彦『祖父東郷茂徳の生涯』(文藝春秋、1993年)など


□□□□□□□□□□ 天皇・皇室の一週間 □□□□□□□□□□

3月13日(木曜日)

□三笠宮寛仁親王殿下がガン手術のため入院されました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20080314k0000m040059000c.html

3月11日(火曜日)

□三笠宮寛仁親王殿下がガンの手術を受けられることを宮内庁が発表しました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080311-OYT1T00423.htm?from=navr

3月10日(月曜日)

□常陸宮・同妃両殿下が東京都慰霊堂での春季大法要にお出ましになりました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080310k0000e040027000c.html

3月7日(金曜日)

□両陛下が自治体消防制度60年式典にご出席になりました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20080307k0000e040048000c.html

□高円宮妃殿下が、山形で行われたスペシャルオリンピックスの開会式にお出ましになり、お言葉を述べられました(山形新聞)。
http://yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200803/07/news20080307_0109.php


□□□□□□□□□□ お知らせ □□□□□□□□□□

1、発売中の「別冊正論」第9号に拙文「靖国合祀『日韓のすれ違い』」が載っています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no09/ex09.html

2、「人形町サロン」に拙文「日本人が大切にしてきた多神教文明の価値」が載っています。
http://www.japancm.com/sekitei/sikisha/index.html

3、靖国神社の社報「靖国」3月号に、先月3日に同社参集殿で開かれた公開勉強会のことが載っています。私は「靖国問題を問い直す9つの視点」についてお話しさせていただきました。

4、斎藤吉久メールマガジンの読者登録もお願いします。
http://www.melma.com/backnumber_158883/

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