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ポツダム天皇制を超えて/話題「アインシュタインと日本」/天皇・皇室の一週間 [天皇・皇室]

□□□□□□□□□□ ポツダム天皇制を超えて □□□□□□□□□□

▽「文春」座談会が触れないマスコミ問題

 今号もひきつづき、宮内庁長官の「苦言」問題を取り上げます。
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「文藝春秋」4月号が「天皇家に何が起きている」を特集しています。読み応えがあり、皇室の現在と将来を考えるための豊富な材料を提供しています。

「引き裂かれた平成皇室」というショッキングなタイトルがつけられた6人の識者による座談会は、まず宮内庁長官の「苦言」の意味を探り、雅子妃殿下のご病状、戦後の象徴天皇制、東宮家の現実などを取り上げ、打開策を見出そうとしています。

「皇室の亀裂が深まっている」という危機意識が重く響く座談ですが、あまり掘り下げられていないテーマもあります。1つはマスコミ問題です。


▽原因を作った虚報と世論誘導

 たとえば1人の出席者が「両陛下と両殿下が対話を成立させるのも難しいところまで来ている」という悲観論を語っています。しかし「どん詰まりの状況」には明らかにマスコミの虚報や世論誘導があることが指摘されるべきです。

 公務もままならず、参内も難しい。それなのに私的外出が増え、小和田家の方が優先されている。東宮に関するこれらの報道は、座談会とともに同号に掲載されているジャーナリスト・友納尚子さんのリポートによれば、完全な誤報のようです。

「両殿下からのメッセージが伝わってこない」という指摘もありますが、これも以前書いたように、メディアが週刊誌的なプライバシー暴きに熱心で、殿下が語ろうとする「大所高所の話」を伝えていないからでしょう。


▽妃殿下を追い詰めた勇み足

「八方ふさがり」は妃殿下のご病状と関わっていることは言うまでもないでしょうが、それならなぜ心の病は生まれ、深まったのか。

「長期的な流れ」から「人格否定発言」をエポックとする指摘もありますが、流産という悲しい結果を招いた無謀な懐妊スクープを、発端として取り上げる識者は座談会にはいませんでした。

「妻の心の病だけに振り回されていいのか」という酷な指摘もありました。けれども、メディアの挑発を受け、詳細な病状を語らせられ、その挙げ句に、「話すべきことがほかにあるのでは。国民に目が向けられていない」と決めつけられては、立つ瀬がありません。「もろさが感じられる。言葉が先行している」という指摘はその通りでしょうが、新たな皇室像を深める余裕がないというのが現実ではないでしょうか。

 マスコミの挑発と世論誘導が皇室を苦しめています。宮内庁は最近、メディアへの抗議などをネット上で公開するようになりましたが、誤報・虚報は続いています。内部関係者のリークが止まらないということでもあり、妃殿下を追い詰めた勇み足報道の教訓は生かされていません。


▽皇太子ばかりを責められない

 かつてご懐妊をスクープした新聞は、今回の「苦言」騒動で、「穏やかな日々が戻ることを長い目で見守っていきたい」とまるで傍観者のような社説を掲げています。同社のベテラン記者が書いた女帝容認論は、「天皇制を廃止したければ、ただ待っていればよい。天皇制が消滅する日もそう遠くないからだ」という書き出しで始まりますが、皇室の苦悩をもてあそぶかのような姿勢は似ています。

 皇室の危機はとりもなおさず国の危機であり、国民の危機であるのに、それを憂えるのではなく、愚かにも高見の見物を決め込むメディアがあることこそ、「どん詰まり」の1つの核心ではないかと思われます。

 そのことは、座談会でほとんど触れられていないもう1つの核心、すなわち「公と私」の問題と連動しています。

 座談会では「メディアから伝えられるのはマイホームパパばかり」という批判も語られています。しかしほかの識者が指摘するように「マイホーム天皇」は大正時代からあります。両殿下が「夫婦一体」になっているのは、近代以後の欧風化した、いわば「一夫一婦」天皇制のツケであり、乳人制度廃止のツケというべきものでしょう。「『歴史』が失われつつある」のはその結果であり、皇太子ばかりを責めることはできません。


▽失われつつある祭祀王の「歴史」

 失われつつある「歴史」とは何か。それはかつて皇室と同義とされた「公」というものではないかと思います。「天皇に私なし」という歴史です。私を捨て、国と民のためにひたすら祈る祭祀王たる天皇の歴史です。

 その歴史が見失われつつあるとすれば、それはけっして皇室ばかりではありません。戦後の知識人やエリートたち、官僚も教育者も宗教者もマスコミも見失っているのではありませんか。天皇の祭祀が新聞に載り、学校で語られることはほとんどないでしょう。神々への祈りを非合理主義として斥け、代わって合理主義、啓蒙主義を重んじてきたのが戦後の日本人です。

 小泉信三は終戦後、皇太子(今上天皇)の教育掛を打診され、固辞するつもりで参内したとき、昭和天皇の「天皇に私なし」という心境に接し、深い感動を覚え、就任を決意したと聞きます。しかし小泉の次の世代が育っていないのでしょう。

 座談会では「藩屏(はんぺい)がいなくなってしまった」という指摘がありますが、個人主義にどっぷりと浸かっている戦後世代のエリート官僚たちに、それとは異なる深い見識や幅広い素養が求められる藩屏がどうして務まるでしょうか。


▽再生のカギ

 皇室に何が起きているのか。「『開かれた皇室』を目指した戦後の天皇家のあり方が行き止まりまで来てしまった」という指摘通り、「どん詰まり」に来ているのは「平成皇室」ではなく、このような戦後の日本であり、いわばポツダム天皇制なのでしょう。

 したがって再生のカギは「私なき天皇」にあります。座談会では「祭祀をすべて止めるような抜本的な改革をしなくては」などという提案もありましたが、逆でしょう。絶対無私なる祭祀こそ重んじられるべきです。

 天皇の御位が皇祖から与えられ、日本人がそれを信じてきたとすれば、もっとも重要視すべきは皇祖の御神意です。公正無私なるお立場での祭祀の厳修なくして、国民を統合する皇位は成り立ちません。皇室の無私の祈りが軽視され、形骸化したとき、日本は統合の要を失い、弱肉強食の混乱に陥るでしょう。

 危機は新しい時代の幕開けです。本来あるべき時代が産みの苦しみの時を迎えているのではないでしょうか。


□□□□□□□□□□ 話題「アインシュタインと日本」 □□□□□□□□□□

「アインシュタインが見た日本と天皇」
─美しい自然から生まれた国家制度─

▼残された旅日記

 アルベルト・アインシュタインといえば、科学者として世界史に名を残す一方、日本の伝統美と日本人の純粋性を深く理解した代表的西洋人の1人として知られます。

 大正11(1922)年11月に日本の出版社の招きに応じて来日し、九州から東北まで各地をめぐり、大学で相対性理論を講演したほか、明治神宮や日光東照宮などに参詣し、さらに皇后陛下に謁見、能楽や雅楽を鑑賞し、有名無名の日本人と交わり、「日本のすばらしさ」に魅せられました。

 招請を受けたとき、アインシュタインは「このチャンスを逃したならば、後悔してもしきれない」と思ったといいます。世界各国を旅したアインシュタインですが、「日本ほど神秘のベールに包まれている国はない」からです。

 残された旅日記によると、まず感動したのは日本の美しい自然でした。

「日本の海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た」


▼「人間と自然との一体化」

 アインシュタインは各地で日本の「光」に惹かれました。京都では「魔法のような光が通りや小さな家を照らしていた。……下に見える町のほうには光の海が連なっていた。非常に感銘を受けた」。展望車に乗って東京に向かう途上では「雪に覆われた富士山は遠くまで陸地を照らしていた。富士山近くの日没はこの上なく美しかった」。

 自然以上に輝いていたのは、日本人の「顔」です。日本行きの船上で出会った日本人客を観察し、「日本人は他のどの国の人よりも自分の国と人々を愛している」ことを知ります。彼が出会った日本人は、「欧米人に対してとくに遠慮深かった」。京都のホテルの給仕は「素朴で、おとなしく、とりわけ感じがいい」。東京で、芸者の踊りも見ました。「かかる種類の女性を標準にして、その国民性が分かる。日本の芸者は非常に謙遜な態度で上品ではないか。……日本国民の上品でゆかしいことがこれ一事で分かる」。

 そうした国民性はどこに由来するのか。アインシュタインは自然との共生と見抜きます。「日本では、自然と人間は一体化しているように見える。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接に結びついている」。


▼アインシュタインの懸念

「自然と人間の一体化」を示すものは、日本の民族宗教である神道と神社建築でした。高松四郎宮司の案内で参拝した日光東照宮は、「自然と建築物が華麗に調和している。……中央の建物は多彩な木彫りで飾られており、すばらしい。……自然を描写する慶びがなおいっそう建築や宗教を上回っている」。厳島神社では、「優美な鳥居のある水の中に建てられた社殿に向かって魅惑的な海岸を散歩する。……山の頂上から見渡す瀬戸内海はすばらしい眺めだった」。

 そしてアインシュタインの探求心は天皇にも及びます。熱田神宮では「国家によって用いられる自然宗教。多くの神々、先祖と天皇が祀られている。木は神社建築にとって大事なものである」と印象を述べ、京都御所では「私がかつて見たなかでもっとも美しい建物だった。……天皇は神と一体化している」と見るのでした。

 美しい自然とその自然に育まれた日本人の国民性を高く評価したアインシュタインは、他方で伝統と西洋化の狭間で揺れる日本の近代化を熟知していました。であればこそ、旅の途中で書いた「印象記」のなかで、「西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいる」日本に理解を示しつつ、「生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらを純粋に保って、忘れずにいて欲しい」と訴えることを忘れませんでした。

 それから80年、アインシュタインの心配は現実になっていないでしょうか。


 参考文献=アルバート・アインシュタイン『アインシュタイン、日本で相対論を語る』(講談社、2001年)など


□□□□□□□□□□ 天皇・皇室の一週間 □□□□□□□□□□

3月17日(月曜日)

□天皇陛下が来日中のペルーのガルシア大統領と会見されました(AFPBB News)。
http://www.afpbb.com/article/politics/2366299/2749717

3月15日(土曜日)

□皇太子ご一家が、愛子さまの卒園のご挨拶のため、御所に参内されました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080315/imp0803151742003-n1.htm

3月14日(金曜日)

□三笠宮寛仁親王殿下がガンの除去手術を受けられました(時事ドットコム)。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200803/2008031400659

3月13日(木曜日)

□皇太子・同妃両殿下が御所を訪問になり、ご進講を受けられました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080313/imp0803131110000-n1.htm

□三笠宮寛仁親王殿下がガン手術のため入院されました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20080314k0000m040059000c.html

3月11日(火曜日)

□三笠宮寛仁親王殿下がガンの手術を受けられることを宮内庁が発表しました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080311-OYT1T00423.htm?from=navr


□□□□□□□□□□ お知らせ □□□□□□□□□□

1、発売中の「別冊正論」第9号に拙文「靖国合祀『日韓のすれ違い』」が載っています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no09/ex09.html

2、「人形町サロン」に拙文「日本人が大切にしてきた多神教文明の価値」が載っています。
http://www.japancm.com/sekitei/sikisha/index.html

3、靖国神社の社報「靖国」3月号に、先月3日に同社参集殿で開かれた公開勉強会のことが載っています。私は「靖国問題を問い直す9つの視点」についてお話しさせていただきました。

4、斎藤吉久メールマガジンの読者登録もお願いします。
http://www.melma.com/backnumber_158883/
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