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さびしい月刊「論座」の休刊 [ジャーナリズム]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 さびしい月刊「論座」の休刊
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 いま書店に並んでいる、9月1日発売の10月号で月刊「論座」が休刊となりました。
http://publications.asahi.com/news/17.shtml

 何度か執筆させていただいた筆者の1人として、非常にさびしく思っています。

 私が同誌に寄稿することになったのは、もう10年も前です。当時、編集長を務めていた清水建宇さんが「女帝論を書いてほしい」と連絡してこられたの
が、お付き合いの最初でした。

 有楽町のマリオンで、約束の時間にだいぶ遅れてこられた清水さんは、私がその年の1月から雑誌「正論」に連載した、朝日新聞の戦前・戦中・戦後史を歴史的に批判した「朝日新聞と神道人」を、朝日の社員でありながら高く評価してくださったうえで、「論座」の女性天皇特集に神道的立場から寄稿するよう勧めてくれたのでした。

 知ったかぶりで訳知りに自分の意見を書くことはできないけれども、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦の女帝論という客観的な切り口なら書くことができます、とお話ししたことを覚えています。

 1998年12月号の「論座」はその後の女性天皇論争の幕を開くものでした。網野善彦、山口昌男、鈴木正幸、森嶋通夫などのお歴々に混じって、私の名前が目次に載っているの気恥ずかしいのと同時に、私のような無名の筆者を登用する朝日新聞社の懐の深さに感銘を受けました。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=5430

 しかし残念なことに、編集長が替わり、編集方針も変わりました。要するに、売れる雑誌を目指すことになったのです。

 読者を挑発し、必要な議論を喚起するのはオピニオン誌の社会的使命ですが、編集者の思いが読者の支持を得られなくてはメディアは経済的に成り立ちません。

 聞くところによると、朝日の「論座」にも書き、産経の「正論」にも寄稿するのは私ぐらいなのだそうです。右派と左派のジャーナリズムの壁が厳然としてあり、それぞれに市場が異なるという現実です。

「論座」の方針転換は、私から見れば現実との妥協であり、使命の放棄と映りましたが、大新聞社の経営からすれば致し方のない選択だったのかもしれません。

 しかしその後、もっとも恐れたことが現実になりました。朝日新聞社は出版部を切り離し、分社化することに踏み切ったのです。そして今回の休刊です。

 筆者のネームバリューではなく、情報の中身で勝負する。名もない書き手でも誌面に登場させ、必要な世論を喚起するという編集は、大新聞社にこそできることで、大新聞の責務ともいえます。

 そのひとつの砦が消えたのは、やはり時代というべきなのでしょうか。いまこそ本格的な、本質的な議論が必要なときだと思うのに。

以上、斎藤吉久メールマガジンから。

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