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批判の現実が見えない西尾先生 [西尾幹二天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 批判の現実が見えない西尾先生
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 先週の水曜日にチャンネル桜「桜プロジェクト」の番組収録がありました。テーマは宮中祭祀でした。限られた時間でしたが、祭祀の基本、戦後の改変などについて、私としては満足のいくお話ができたと思います。高森明勅キャスターのリードのおかげです。高森先生、ありがとうございました。
http://www.so-tv.jp/main/top.do


▽1 一神教を背景にした批判
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 収録のあと、正確な言葉は覚えていないのですが、アシスタントの芳賀優子さんが、皇室を攻撃する人たちの背景に何があるのか、というような質問をされ、ドキッとしました。私がこのメルマガでしばしば書いてきたことの中心的命題がここにあると思うからです。

 誰かフィクサーがいて、組織的な天皇反対運動を指揮しているのか、といえば、私には確証がありません。たぶんすべての反対論を動かしているような個人・組織というのは存在しないのだと思います。そうではなくて、このメルマガでも、今度出る書籍でも、書きましたが、文明のかたちに起因するのでしょう。

 たとえば、原武史・明治学院大学教授の宮中祭祀廃止論にしても、西尾幹二・電通大学名誉教授の東宮批判にしても、一神教文明を背景にしていることが指摘できます。前者は天皇の祭りをあたかもイエス・キリストの受難のように認識し、後者は無神論風の国民主権論を1つの特徴としています。

 天皇は日本の多神教的風土のなかで自然的に発生し、成長してきたので、多面的な奥深さをもっています。したがって、一神教的な分析は一面的な真理をふくんでいるように見えますが、あくまで部分的に過ぎません。一神教的な視点では全体が見えません。木を見て森を見ない批判の限界はここに起因します。


▽2 天に唾する西尾先生

 さて、「諸君!」12月号のトップに西尾先生の論考が載っています。しかし残念なことに、先生はご自身への反論をほとんど無視しているように私には見えます。

 先生の論考はある講演録に加筆したもので、相次ぐ論壇誌の休刊から雑誌ジャーナリズムの衰退について考察し、小さな現実を見て大きな現実を見ようとしないイデオロギーに起因する怠惰を指摘しています。

 先生によれば、先生の東宮批判はふたつの典型的な反応を呼び起こしたといいます。1つは平和主義的、現状維持的イデオロギー反応で、皇太子ご夫妻にもっと自由を与えよ、と主張するものでした。もうひとつは、皇室至上主義的イデオロギーからの熾烈な反応で、もの申すこと自体が不敬の極みで許されないと批判したのでした。

 一方は新時代の自由を訴え、他方は旧習墨守を唱える絵に描いたような、あまりに典型的な固定観念の執着に、先生は思わず笑いがこみ上げてきたそうです。そして、自由派も伝統派も、イデオロギーに執着するばかりで現実に目を閉ざしている、と指摘するのでした。

 先生の論考を読んで、イデオロギーの対立という平面的な図式的にとらわれているのは何のことはない、先生自身ではないかと私は思いました。イデオロギー化現象と単純化することによって、そのようには捉えきれない批判の現実を先生は見ようとしていないからです。先生は天に唾しているのです。


▽3 イデオロギー的限界性

 たとえば、何カ月か前に雑紙「正論」に載った新田均・皇學館大学教授の論考は、西尾先生が一方で皇位の世襲主義を言いつつ、東宮に徳治主義を要求するのは矛盾である、と批判しています。きわめて重要な指摘であり、むろんイデオロギー的反応でもありません。しかし先生のイデオロギー的な目には映らないのかも知れません。

 また、このメルマガで何度も書いてきたように、皇位を継承するのは皇太子お一人であるという明々白々な現実を見ずに、皇位を継承するわけでもない妃殿下への批判を強めるのは、先生ご自身の一夫一婦天皇制というべき誤ったイデオロギーが背景にあるのではないでしょうか。

 先生は、妃殿下が平成15年以降、「祭祀にいっさいご出席ではない」と何度も批判していますが、これも表面的な事実ばかりを見て、背景を深く見極めようとしない、それこそ怠惰な態度です。宮内官僚たちが制度的改変を断行したために、御代拝の機会さえ奪われてしまったという現実に、先生は目を向けようとしていません。

 物差しが無くてはものの大きさは測れないけれども、固定化した物差しがかえってものを見えなくする場合がありますが、先生自身もまたイデオロギー的限界性から解放されていないのです。


▽4 現実を見据えた議論を喚起できるか

 先生の論考は「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」と題されています。雑誌ジャーナリズム批判をほかならぬ雑誌メディアがトップ扱いで載せたというのはじつに画期的です。

 今度は「諸君!」自身が先生の批判に答えなければなりません。イデオロギー的ではない、現実を見据えた議論を喚起できるのか、小さな現実のみならず、全体性をにらんだ真摯な論議をリードできるのか、雑誌編集者の力量が試されています。


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