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今年が最後か、今上天皇新嘗祭の親祭 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 今年が最後か、今上天皇新嘗祭の親祭
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 近著の最終章の手直しですが、やっと方向性が見えてきました。他人様の文章を批判するのはしんどいことですが、それにしても我ながら筆の遅さにあきれます。併行して初校ゲラの校正も急がなければなりません。


▽1 祭祀の調整を発表した宮内庁
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 さて、今上陛下はこの日曜の夜、宮中で新嘗祭を親祭になりましたが、とりわけ感慨深い時を過ごされたのではないか、と拝察します。もしかすると、今年の新嘗祭が最後の親祭となるかも知れないからです。

 今年の2月、宮内庁は両陛下のご健康問題に関連して、ご日程を見直すこと、とくに昭和の先例に従って祭祀の調整を行うこと、陛下のお気持ちに沿って平成の御代が20年を超える来年1月から実施すること、を発表しました。

 翌3月の発表では、祭祀の態様について、昭和の時代には45年ごろからご代拝などの調整が行われた、として具体的な調整の方法を説明しています。

 陛下のご健康は国民的な関心事であり、ご負担の軽減は必要でしょう。しかし歴代天皇が天皇第一のお務めと信じてきた祭祀を真っ先に標的にされなければならないいわれはないし、その必要もありません。大祭なら皇族もしくは掌典長に祭祀を行わせるという慣例に従えば十分なはずです。

 また、昭和の時代の先例は、このメルマガの読者ならすでにご存じのように、ご健康問題をきっかけとする「調整」ではありません。憲法の政教分離規定をことさらきびしく考える入江侍従長ら側近たちによって改変・破壊されたというのが真相であって、何ら参考にはなりません。悪しき先例を踏襲すべきではありません。


▽2 入江侍従長ら側近による祭祀破壊

 文明の根幹に関わる祭祀の破壊がほかならぬ天皇の側近たちによって行われようとしているのは日本の危機である──そのように、私は「正論」8月号で訴えました。
http://homepage.mac.com/saito_sy/tennou/H2008SRkoshitsusaishi.html

 宮内庁は皇室に関するマスコミの誤報・虚報などが相次いでいることへの対策として、19年末から抗議や反論などをホームページ上で公開するようになりましたが、拙論への抗議はありませんから、反論できないのだろう、つまり、事実関係について認めている、と私は理解しています。

 祭祀の神聖さを理解できない「俗物」侍従長による祭祀の破壊は、昭和43年に毎月1日の旬祭(しゅんさい)のご親拝が年2回に削減されたのをはじめとして、45年には新嘗祭が「簡素化」(入江日記)されて、夕(よい)の儀のみが親祭で、暁の儀は掌典長が祭典を行われたようです。

 昭和50年8月には宮内庁長官室での会議で、平安時代からの祭祀の伝統を引き継ぐ重儀である毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)について、側近の侍従を宮中三殿に遣わし、烏帽子(えぼし)・浄衣に身を正し、天皇に代わって拝礼させるという形式から、宮中三殿の前庭のなるべく遠い位置からモーニングを着て拝礼する形式に変えたのでした。

 むろん昭和天皇のご高齢に配慮したのではありません。侍従は国家公務員だから、祭祀という宗教に関与すべきではない、というのが理由だといわれます。

 政教分離主義の立場から公務員は祭祀という宗教に関われないというのなら、入江らの祭祀改変も公務員による宗教干渉であって、許されません。まったくの矛盾です。

 これに対して、争わずに受け入れるという至難の帝王学を実践されたのが昭和天皇であり、昭和61年の新嘗祭まであくまで親祭を貫こうとされました。


▽3 正常化に努められた今上陛下だが

 側近の日記などによると、今上天皇は皇位継承後、皇后陛下とともに祭祀について学ばれ、昭和40年代以降、改変されてきた祭祀の正常化に努められたようです。

 だとすれば、いま側近の官僚たちがふたたび昭和の悪しき先例を持ち出し、祭祀の「調整」を図ろうとしていることに、陛下はどのような思いを抱かれているのでしょうか。

 戦前の内務官僚で、宮内省掌典だった八束清貫(やつか・きよつら)の「皇室祭祀百年史」によると、今年とれた新穀の御饌(みけ)と御酒(みき)を皇祖神以下、諸神にささげ、みずからも召し上がり、国の平安と民の繁栄を祈られるもっとも重い祭りが新嘗祭です。

 神事は寒さがつのる夜間に行われます。夕(よい)の儀は午後6時から2時間、暁の儀は同11時から2時間、繰り返して行われます。天皇はとくに謹慎と清浄をあらわす純白生絹(すずし)の祭服を召されます。皇太子も純白の斎服で参列されます。固い畳の上に正座して行われる祭祀は、ご高齢で、しかも療養中の陛下にとって、激務以外の何ものでもありません。

 たとえば卜部亮吾元侍従は、新嘗祭が肉体的に大きな負担であることを次のように説明しています(『昭和を語る』昭和聖徳記念財団、平成15年)。


「新嘗祭はいちばん大変です。時間も長いですし、長時間ずっとお座りになって御直会(なおらい)をされるのです。足のしびれは普通ではないですよ。新嘗祭が近付きますと、お居間でテレビをご覧になるときに、ふだんはソファでご覧になりますが、座布団を敷いて座ってご覧になるのです。つまりお座りの御練習という、そういうことまで気を遣っていらっしゃる」


▽4 いまふたたび悪夢が

 宮内庁は2月の発表で昭和の先例を引きましたが、大正時代には法令に従って淡々とした対応がされています。

 たとえば大正9年11月24日の東京朝日新聞によると、この年の新嘗祭は前年までとは異なり、大正天皇の親祭ではなかったようです。九条掌典長が祝詞を奏し、皇太子が拝礼された、と書かれています。

 戦前の皇室祭祀令には、天皇に事故あるときは皇族または掌典長に祭典を行わせる、とありますから、これで十分なのです。

 昭和天皇の側近たちもご高齢が本当の理由だとするなら、国民にもきちんと説明し、慣例に従った対応をすべきでした。ところが、実際はそうではありませんでした。ほかならぬ側近が、陛下のご高齢を口実にして、祭祀の改変という、あってはならない伝統の破壊におよんだのです。

 そして、いまふたたび悪夢が繰り返されようとしています。破壊をくい止め、正常化を求める国民の声が求められています。

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