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1 あきれた「ご学友」橋本明・元記者の進言 [橋本明天皇論]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年7月21日)からの転載です


 東宮批判の再来でしょうか。アカデミズムの次はジャーナリズムから、しかも少年期に今上陛下のお側にいたという級友が震源です。

 昨年は西尾幹二電通大名誉教授が雑誌記事などで無遠慮な東宮批判を展開しました。療養中の妃殿下を「獅子身中の虫」とまで指弾するもので、大きな話題を呼びました。

 しかし、西尾先生は皇室に関する基本的認識ばかりでなく、問題意識や議論の立て方など、ほとんどすべてに誤りがありました。詳しいことは繰り返しませんが、当メルマガおよび拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』は、そのように批判しました。

 その後、西尾先生の東宮批判はやみましたが、今度はご学友(級友)だという人物が「別居」「離婚」「廃太子」などと言い出しています。朝日新聞出版から出版された、橋本明・元共同通信記者の『平成皇室論』です。


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 1 あきれた「ご学友」橋本明・元記者の進言
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▽「別居」「離婚」「廃太子」
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 同じ朝日新聞出版が発行する「週刊朝日」7月17日号に、神田知子同誌記者が書いたパブ記事が載っていますので、読んでみることにします。

 記事のリードによると、いずれ皇太子さまが即位し、雅子さまが皇后となる。しかし療養中の雅子さまに皇后の激務がこなせるのか。橋本氏は皇太子夫妻に大胆な3つの選択肢を進言している、というのです。それが先述した「別居」「離婚」「廃太子」です。

 神田記者の記事によれば、天皇の級友である橋本氏は危惧の念を持っているといいます。つまり、天皇と美智子さまはこれまでとはまったく異なる「国民と共にある」皇室を切り開いてこられた。しかし雅子さまの病は癒(い)えていない。皇太子ご夫妻に道は受け継がれるのか、という危惧です。

 戦前の昭和天皇は神格化されていた。戦後、象徴天皇になったが、ほんとうの意味で象徴天皇のあり方を作り上げたのは現天皇であり、美智子さまの役割も大きかった。しかし、二人三脚で歩んでこられたお二人を思うにつけ、橋本氏は皇太子さまの単独行動が心配でならないというのです。

 橋本氏はこう語ります。「美智子さまは太陽のように輝いている。雅子さまにもそのような存在であってほしい。そのためにまず健康を回復していただきたい」

 神田記者によれば、学習院初等科以来、天皇の同級生であり、ジャーナリストとしても皇室を長く見つめてきた橋本氏は、病にある雅子さまと支えようと努力される皇太子さまの結婚そのものを失敗ととらえる勢力が台頭することを懸念しているのだ、といいます。

 そして橋本氏は、さらに「民間立妃」が失敗だったというところに行き着くのではないか、とおそれている。「いかに象徴となるべきか」を苦悩し、努力してきた天皇と美智子さまの歩みの否定につながりかねないからだ、というのです。

 だからこそ、橋本氏は、治療に専念するための「別居」、論理として検討しておく必要のある「離婚」、天皇ではなく家庭人となる「廃太子」の3つの選択肢をあげ、さらに「廃太子」がいちばん現実味がある、と述べたうえで、国民的な議論を願うとともに、3人のご兄弟での自主的な話し合いを期待している、と結論するのです。


▽問題解決か混乱か

「週刊朝日」のパブ記事は次の7月24日号にも載っています。橋本氏の本が話題を呼んでいる。識者たちは提言をどう見るか、というので、西尾先生ら4人の見方を紹介しています。

 なかでも西尾先生は、「級友」という立場でよくぞ発言なさった。皇太子さまと雅子さまには「民を思う心」が感じられない。ひとえに雅子さまのパーソナリティが問題だ、といっこうに懲(こ)りる気配がありません。

 しかし、西尾先生ご自身が仰るように、「級友」という立場が天皇に近い、というのなら、直接、陛下にご進言申し上げればいいのです。西尾先生の「ご忠言」と同様に、なぜマスコミの力を借りる必要があるのでしょうか。私には問題解決より混乱を志向しているようにさえ見えます。

 マスコミの場で議論することは、往々にして、マスコミが果たした役割に目をつぶることにもなります。つまり、いわゆる雅子妃問題の背後にある不作法な勇み足報道です。

 拙著の西尾先生批判の章で詳しく書きましたように、平成11年暮れ、朝日新聞が妃殿下の「懐妊の兆候」を報道しました。しかし妃殿下は流産されます。4週目という不安定な時期を十分に配慮しない報道の結果と指摘されます。

 皇太子殿下の「プライベート」発言も衝撃的でしたが、その背後にはマスコミの挑発・誘導という外的側面があります。しかし西尾先生がそうだったように、ジャーナリストである橋本氏はマスコミの役割を見落としています。

 橋本氏の視線は、雅子さまに対するばかりで、マスコミ人としての自省は、少なくとも「週刊朝日」の記事には見受けられません。朝日新聞の系列会社から出た本であり、週刊誌であれば当然かもしれませんが、雅子妃問題を俯瞰(ふかん)せずに、「別居」だ、何だと大騒ぎするのは滑稽であるばかりでなく、ジャーナリストとしての資質を疑わせます。


▽天皇とは何か?

 橋本氏は盛んに今上天皇の皇室像の継承を訴えていますが、逆に私には、むしろ歴史の断絶が濃厚に感じられます。橋本氏の天皇像は、千年以上続いてきた天皇ではなく、現行憲法を起点とする象徴天皇であり、天皇お一人が祭祀を行う祭祀王ではなく、お二人で歩まれたという一夫一婦天皇制です。

 妃殿下にも太陽のように輝いてほしい、という願いは理解できますが、妃殿下が皇位を継承するわけではありません。皇后はあくまで皇后です。皇太子殿下の単独行動の多さを気にする方が誤っています。

 逆に、そのように心配するのなら、皇后、皇太子、妃殿下の御代拝制度を一方的に廃止した宮内庁をこそ批判すべきです。西尾先生などは、療養中の妃殿下が宮中三殿にいっさい立ち入らないといって手厳しく批判します。妃殿下の御代拝制度を宮内庁が愚かにも昭和50年に廃止したのを知らないからでしょう。橋本氏はどうでしょうか。

 マスコミにとっては、元記者の、しかも陛下の級友だった橋本氏は重宝です。けれども、橋本氏が天皇の本質をふかく理解したうえで発言しているのかどうか、はまた別問題です。

 たとえば数カ月前、橋本氏は、ご結婚50年記念のテレビ番組で、今上陛下の少年時代のエピソードを紹介していました。教室で級友たちが「俺、きのう、親父に叱られたよ」と話しているのを聞いていた陛下は「父親とはそういうものか」と仰ったというのです。

 皇室には乳人(めのと)制度というのがありましたが、これを破って香淳皇后は母乳で子育てをされ、戦後、はじめてお手元で子育てをされたのがいまの皇后陛下です。橋本氏の発言からは皇室の親子関係はまったく温かみのない旧弊としか映らず、両陛下こそ旧弊を打破した現代の名君という印象を与えます。

 しかし一見、非人間的にも見える乳人制度がなぜ続いてきたのか、その背景にある「天皇に私なし」とする皇室の伝統への問題関心が、少なくとも橋本氏のテレビ発言からはうかがえませんでした。天皇とは何か、という本質論が曲がっていれば、「危惧」や「心配」、「懸念」を言葉でいかに繰り返しても、あきれた進言と結論するほかはありません。

 とまれかくまれ、週刊誌記者の記事のみで断言するのははばかれますので、次週は橋本氏の著書を実際に読んでみることにします。

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