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1 これがご学友の皇室論か──橋本明「廃太子論」を読む [橋本明天皇論]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年8月4日)からの転載です


 人生の先輩方を批判するのは気が重い、と思いつつ、先々週から、橋本明・元共同通信記者の『平成皇室論』を検証しています。

 つたない私の文章ですが、価値を認めてくださる方もいて、先週も渡部亮次郎さんが主宰するメールマガジン「頂門の一針」に転載されました。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4558379/

 そんなわけで、今週も蛮勇をふるって、橋本さんの皇室論を取り上げます。


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 1 これがご学友の皇室論か
   ──橋本明「廃太子論」を読む
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▽先週までのおさらい
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 前号までのおさらいを簡単にすると、先々週は「週刊朝日」の記事、先週は著書の「まえがき」を取り上げ、次のような指摘をしました。

1、問題解決より混乱を志向しているように見える。「級友」なら陛下に直接、申し上げればいことで、マスコミの力を借り、国民的議論などを求める必要はない。

2、西尾幹二先生の東宮批判と同様、いわゆる雅子妃問題の背後にある、マスコミが果たした負の役割に目をつぶり、もっぱら妃殿下批判に集中している。全体的な視点に欠けている。

3、橋本さんの天皇論は千年以上続く、祭祀王としての天皇ではなく、現行憲法を起点とする象徴天皇論であり、一夫一婦天皇制である。皇室像の継承を主張しているが、むしろ歴史の断絶が濃厚に感じられる。天皇の本質を見誤っている。

4、皇太子殿下の単独行動の多さを気にする一方で、昭和50年に皇后、皇太子、妃殿下の御代拝制度を一方的に廃止した宮内庁に対する批判はない。西尾先生と同様に、戦後史の重大な事実を見落としているのではないか。

5、ご学友という身近な立場から陛下のご心情を代弁しているようで、じつは自身の想像を語っているにすぎないように感じられる。

 といっても、まだ本文を読んでいるわけではありません。先週の予告にしたがって、いよいよ橋本さんの著書の核心部分を読み進めるところですが、その前に、「WiLL」9月号に載った橋本さんの記事を取り上げます。


▽一夫一婦天皇制論

 橋本さんは朝日新聞出版の雑誌だけでなく、ここでも皇太子殿下あるいは両殿下の「別居」「離婚」「廃太子」を国民的な議論とせよ、とけしかけています。

 記事のストーリーをなぞりながら、批判を試みたい、と思います。

1、今年は両陛下の結婚50年、在位20年の節目の年で、この1年に皇室の問題をきちんと書いておく必要があると考え、日本にとって皇室とは何か、戦後の皇室とはいかなるものか、が分かる本を書きたいと思った。

 橋本さんは、ご在位20年より、ご結婚50年を優先的にお考えのようです。この記事はのっけから、橋本さん独自の一夫一婦天皇制が顔をのぞかせています。そして、そのお祝いの席に乱を呼び込もうとしています。

2、私は天皇陛下の級友だが、執筆に際して天皇にはいっさい相談せず、独自の構想で書いた。私の見方、判断は、天皇にとっては、国民の理解が鏡に映ったようになると思ったからだ。

 陛下に相談し、執筆する、という発想が前提におかれているのが、私には不可解です。複数のご学友のなかから天皇のスポークスマンとして選ばれた、と考えるのは自意識過剰か、勝手な思い込みではないか、と私は考えます。自分が国民の代表であるかのような見方も同様です。

 思想・良心は自由ですから、いろんな考え方があっていいのですが、陛下の個人的友人という衣をかぶって、天皇を語るのは百害あるのみといわねばなりません。

3、戦後、日本憲法下の象徴天皇は両陛下がお二人の協力で編み上げてこられたもので、無から有を生み出すようなご苦労があった。

 橋本さんの天皇論は、昭和天皇の存在が軽視され、ほとんど言及がありません。戦後の皇室は今上陛下が皇后陛下とともに築き上げてきた、という評価は、どうひいき目に見ても、公平を欠いています。一夫一婦天皇制的見方も非伝統的です。


▽皇后は太陽か

4、しかし皇太子はお一人である。両陛下の若いころとまったく違う。皇后さまは明るく光り輝いているが、現在の雅子さまは非常に暗い。

 橋本さんの皇室論は、両陛下を持ち上げるだけ持ち上げ、返す刀で皇太子妃殿下に斬りかかるのが最大の特徴です。

 皇太子殿下が1人なのは、藩屏(はんぺい)の不在が原因です。そのことは今上陛下も同様です。級友と称する人でさえ、この程度なのですから、皇后陛下がめいっぱい支えているというのが現実でしょう。その結果、一夫一婦天皇制のように見えるのだと思います。

 橋本さんは、皇后陛下を太陽神である天照大神になぞらえ、明るい女神であり、天照大神のように光り輝いている、と表現していますが、神道学的にいえば、天照大神は皇祖神であって、太陽神ではない、という議論があります。

『日本書紀』は、大神が「天下の主者(あめのしたのきみたるもの)」として誕生されたと明記しているだけです。津田左右吉が指摘したように、神代史に太陽の自然説話はありません。

 まして皇后が太陽に比すべきお立場なのではありません。皇后が天皇の御位(みくらい)を継承するのではありません。皇后の輝きは天皇の存在を前提としています。けっしてその逆ではありません。

 笑顔の輝きを称えるのなら、世界を魅了した香淳皇后の「皇后スマイル」を忘れるべきではありません。橋本さんは皇后陛下を賞賛するあまり、ここでも昭和天皇・香淳皇后の功績を軽視しています。

 橋本さんは、皇后さまは日本人が幸せになる源です。美智子皇后は天皇とご一緒にそれを築き上げ、まさに源となられました。しかし雅子さまはそういう存在になれるでしょうか。雅子さまは非常に暗い、と論を進めるのですが、西尾幹二先生の東宮批判と同様の過ちを犯しています。

 西尾先生は君主の徳を皇太子殿下に要求しましたが、橋本さんは皇后の徳を妃殿下に求めています。現行憲法も「皇位は世襲」と定めています。本来、天皇統治は徳治主義とは無縁なのです。

 当メルマガが何度も引用してきたように、順徳天皇の「禁秘抄」(1221年)は天皇第一のお務めは祭祀であると明記しています。歴代天皇は、国と民のためにひたすら祈り、命の儀礼を受け継いでこられた。橋本さんがおっしゃる「徳」はその結果です。しかし妃殿下の場合は、御代拝の機会さえ奪われています。それでも橋本さんは、妃殿下に罪あり、と責めるのですか。


▽「皇后さま」天皇制

5、皇后さまのご体調が心配だ。何が起こってもおかしくない。国民は皇室のあり方を真剣に考えるべきときである。皇室問題を公の議論の場に引っ張り出すことを天皇陛下はお約束されている。国民的な議論を起こすことが皇室の健全なあり方を決めていく。

 橋本さんは太陽である皇后陛下のご健康がとりわけ心配のようですが、ご高齢で、しかも療養中の天皇陛下については言及がありません。これはまるで「皇后さま」天皇制です。

 議論が必要なことは同感ですが、橋本さんのようなやり方は健全でしょうか。陛下が議論を「約束」されたとも思えません。

6、天皇皇后両陛下は沖縄や障害者にみずから心を寄せてこられたが、このようなことがなぜ東宮から聞こえてこないのか。来年は日韓併合100年、反日感情が高まる。天皇が行かれないなら、皇太子さまに率先して私が行きますといっていただきたい。

 両陛下が社会的に弱い立場の人たちに心を寄せてこられたのは事実です。それは、わがしろしめす国に飢えた民が1人いても申し訳ない、とすべての国民と命を共有する儀礼を日々、欠かさない皇室の伝統に発しています。

 また、両陛下の行動はいたって控えめです。政治的でもありません。しかし橋本さんには控えめさ、非政治性が見えないようです。


▽東宮大夫の頻繁な首のすげ替えは「事実」か

7、皇太子さまは、天皇を襲位される資質は申し分ないが、近年は残念に思う。雅子さまに影響されたからだ。オクに入ると、完全に雅子さまの判断、常識、主張になってしまう。別人になってしまった。

 なぜそのように見えるのか、が最大の問題です。

8、「人格否定」発言の前、東宮職人事を点検したが、東宮大夫だけでも4人を数え、東宮侍従長も平成14年までに7人も代わっている。首のすげ替えが頻繁に行われた客観的な事実は、先行する形で発生した異変を予知する動きではなかったかと考えた。

 東宮大夫について調べると、次のようになります。

  菅野弘夫 平成元(1989)年5月~6年4月(4年11か月)
  森幸男  6年4月~8年1月(1年9か月あまり)
  古川清  8年1月~14年5月(6年3か月あまり)
  林田英樹 14年5月~18年4月(4年弱)

 両殿下の結婚の儀が行われたのは平成5(1993)年、「人格否定」発言は16年5月ですから、この間、たしかに東宮大夫は4人代わっています。

 しかし妃殿下が「暗く」なったのはここ10年です。発端は11(1999)年暮れの朝日新聞による「懐妊の兆候」スクープと流産の悲劇です。翌年の12年2月に皇太子殿下は「プライバシー発言」をされ、それから4年後の16年5月、人格否定発言は飛び出しました。

 橋本さんの議論にはこの経緯がまったく欠けています。妃殿下の「暗さ」を招いた内的要因にのみ注目し、外的要因を無視しています。一面的な現代史理解です。

 懐妊スクープから人格否定発言までなら、東宮大夫は2人で、頻繁に首がすげ替えられた、という「客観的な事実」はありません。


▽妃殿下に徳を求めるのは誤り

9、最近、野村東宮大夫から妃殿下の病気は「精神疾患」とはっきり聞いた。「よくないときの妃殿下のお姿を外に出したら大変なことになる」ともいっていた。小和田恒氏とは会っていない、東宮職医師団が侍従になってしまうような状況が一時期あったという。

10、皇太子さまと雅子さまの「ロオジエ」事件は、私が学習院高等科時代に陛下と決行した「銀ブラ」事件と根源的に違う。悲壮感漂う勇気と決断が必要だったのに対して、あまりに気楽な日常茶飯事めいている。

11、陛下は平成16年の誕生日前の文書回答で、「時代に即した新しい公務」を求めた皇太子ご夫妻の気持ちは尊重するが、勝手は許さないとも申された。東宮ご一家のお出かけは場合によっては居合わせた人たちに迷惑をかける。主権在民の立場を捨て、皇太子妃の御位に就くことは民間の生活の全否定であり、意識上の区切りが求められる。皇后になられる方は尊敬されなければならない。

 すでに書いたように、また拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』にくわしく書いたように、妃殿下に徳を求めるのは誤りです。日本の古典はとても尊敬の対象とはいえないような天皇を天皇として記録しています。

12、両陛下は「雅子妃の病が皇室の環境のなかにあるストレス因子による」といういわれ方にいたく傷ついておられる。いちばん心配しているのは、天皇が心因性の出血痕が認められたことで、これほどまでの心労を察すると、「民間立妃の失敗」という観点からの意見が出ていることに関係している。

 西尾先生もそうでしたが、妃殿下の病因が「皇室という環境にある」と考えれば、「別居」「離婚」あるいは「民間立妃の失敗」ということになりますが、拙著に書きましたように、皇室という環境そのものではなく、皇室のなかのある状況ではないかと私は考えています。

 いずれにしても、妃殿下にまで徳を求めようとするところに、誤りがあります。


▽初代象徴天皇

13、雅子妃がご病気を克服されるため、徹底的に治療する環境をつくるのは1つの方策で、それは別居して治療に専念することだ。もうひとつは離婚、もうひとつは廃太子、つまり秋篠宮を皇位継承第1位にする方策もある。

14、「勝手な皇室像を押しつけている」わけではない。そんなことをいえば、両陛下の象徴天皇をつくられてきた努力の歩みを否定することになる。試行錯誤しながら、お二人は「国民と共にある」皇室の経営に即した生き様に到達した。お二人が一人になったかと見まごう姿が戦後皇室のあり方ではないか。

15、「東宮職医師団」は妃殿下の「健康」をどの状態に戻そうとしているのかを明快にすべきだ。東宮妃という機能性だけを見れば、喪失している。どの状態に戻すか、治るのか、治らないのか、すべてが中途半端だ。

16、皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さまのごきょうだい3人で皇位継承について、話し合っていただき、天皇に判断を仰ぐのがベストだと思う。

 指摘すべきことはほとんど申し上げたと思います。歴代天皇は祭祀を天皇第一のお務めと考えてこられました。今上陛下も皇位継承後、皇后陛下とともに、祭祀を学び直され、昭和天皇の晩年、側近たちによって破壊された祭祀の正常化に努められたと聞きます。

 しかし級友だという橋本さんの皇室論には、そのような証言は見当たりません。橋本さんの皇室論に従えば、今上天皇は125代天皇ではなく、いわば初代象徴天皇です。そのような皇室論を国民的に議論しようと呼びかけ、「廃太子」まで勧告することが、級友のすることだとは、私にはとうてい理解できません。

 などと書いているうちに、著書の本文を読み進むことができませんでした。次回は間違いなく、読んでみることにします。

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