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2 渡邉前侍従長は何を見誤ったのか───伊勢講演の天皇論を検証する [渡邉侍従長天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年9月15日)からの転載です


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2 前侍従長は何を見誤ったのか
───伊勢講演の天皇論を検証する
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 前号の予告通り、伊勢神宮の広報誌「瑞垣(みずがき)」(7月15日発行)に掲載された渡辺允(わたなべ・まこと)前侍従長の講演録を読みます。

 祭祀簡略化を進言したという前侍従長について、私はこれまで、天皇を歴史的に理解していない、と指摘してきましたが、むしろ歴史的理解の中身に問題があるようです。

 講演は、渡辺氏が侍従長の職にあった平成13年の陛下の伊勢神宮参拝を、「非常に印象深い、忘れられない経験」とする思い出に始まり、万世一系を実感させる陛下のご日常、京都御所の構造に見る皇室の本質と憲法問題、宮中祭祀の実際と簡略化の経緯、などに話を展開しています。

 伊勢神宮のご参拝は、天照大神がほんとうに陛下のご先祖で、陛下がそこにつながっている、という感じがした。陛下はまさに125代の万世一系のなかにいらっしゃる、などと語る講演は、なるほど聴衆である神社関係者の心をつかんだであろうことが十分に想像されます。

 それならば、です。今上陛下の側近中の側近として10年間仕え、陛下のお心と皇室の本質を深く理解したはずの前侍従長が、歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀の簡略化を進言するという取り返しのつかない失態を、なぜ犯したのか?


▽天皇統治は武を否定していない

 それはむろん、天皇統治の本質や宮中祭祀の文明的価値に関する理解が十分とはいえないから、です。

 前侍従長はこう語ります。

 ──外国人から「皇室の本質は何か?」と聞かれたとき、「京都御所をご覧なさい」と答える。武家の居城である、いまの皇居とは異なり、京都御所はお堀も石垣もない。それでも千年間、皇室は存在した。ヨーロッパの王室と違い、征服して王様になったというのとは違う。そういう意味で国民と天皇との関係が続いてきた。陛下が4月の会見で、明治憲法下の天皇と現憲法下の天皇を比べると、いまの方が伝統に近い、とおっしゃっているが、私はそうなんだろうと思う。

 前侍従長は、文と武の対比のなかに天皇統治の本質を探ろうとします。文治主義こそ天皇の伝統であり、平和憲法下の象徴天皇はその伝統に沿っている。陛下もそのようにお考えである、と理解しているのですが、不十分です。

 たしかに、天皇統治は武断政治ではありません。

 ひな祭りに飾るお内裏(だいり)様が太刀を帯びているのは、人形の世界には許されるデフォルメです。後水尾(ごみずのお)天皇という方がおられますが、下克上(げこくじょう)の最終段階で朝廷をも従えようとした徳川幕府の所業に怒りを隠せなかった若き日に、直筆の書を求められて「剣」という文字を書き、周囲を仰天させたという逸話が残っています。それほどに軍事に関することを避けられるのが天皇の帝王学です。

 しかし、武を否定しているわけではありません。そこが前侍従長の理解が異なるところです。


▽次元の高い祈り

 第2に、前侍従長はしたがって、ヨーロッパの王室との違いを文治主義と武断主義との違いのように述べていますが、そうではありません。日本とヨーロッパの違いは祭祀王と地上の支配者との違いです。天皇の祈りには武の意味合いがないとはいえません。前侍従長はそのことを見落としています。

 第3に、ここが重要ですが、陛下が4月の会見で話された旧憲法下の天皇と現行憲法下の天皇との対比について言及しているのも、意味合いが異なります。

 陛下はあくまで、「時代にふさわしい新たな皇室のありよう」に関する質問に答え、憲法の象徴天皇規定に言及し、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うもの」と述べられたのでした。それ以上のものではありません。

 たしかに長い歴史から見れば、平和の時代に平和の祈りを捧げているのが天皇の伝統であることは間違いないし、戦後の時代には平和の祈りが求められたのです。

 しかし歴史を子細に見れば、別の歴史がないわけではありません。

 たとえば、初代神武天皇は間違いなく武の性格を持っています。徳川幕府など武家政権の根拠は天皇に求められました。天皇ご自身が軍馬にまたがるという歴史は滅多にありませんが、近代においては、西欧列強に速やかにキャッチアップしなければならないという時代の要請がありました。

 天皇の祈りは文と武という二項対立を超えた、もっと次元の高いところにあります。「国中平らかに安らけく」という祈りは、戦争か平和かという単純な図式を超越したところに位置しています。


▽「法律論とは次元が違う」ならば

 平和の時代に平和の祈りを捧げることが平和を強固にしたというよりも、もっと次元の高い祈りの継続が国の平和と民の平安とを日本の歴史を通して基礎づけてきたのです。時代が変わっても、憲法が変わっても、継続されてきた天皇の祈りこそ、多様なる国民を多様なるままに統合してきた日本の文明の中心です。

 前侍従長が語っているように、陛下は災害の被災者や高齢者、障害者にとりわけ心を寄せられていますが、それは日々、すべての国民のために無私なる祈りを捧げられている結果です。そしてその公正なる祈りが海外の人々にも深く理解されていることは、前侍従長の講演からもうかがえます。

 だとすれば、天皇の祭祀を簡略化することの愚かさは指摘するまでもありません。

 ところが、前侍従長は125代の連綿たる祈りに目を向けながら、祭祀の文明的意味に到達できずにいます。

 その1つの原因は、天皇の祭祀は皇室の私事である、という現行憲法の法律論です。前侍従長は、「法律論は法律論として反駁(はんばく)することはないにしても」と簡単に認めてしまっていることです。

 津地鎮祭訴訟の最高裁判決によれば、政教分離規定の本来的目的は、政教分離そのものではなく、信教の自由の制度的保障にあります。憲法は国家の宗教的無色中立性を要求しているのではありません。天皇の祭祀が神道的儀礼であったとしても、国事として行われたとしても、信教の自由を侵しません。強制を排除すれば足りることです。

 ところが前侍従長は、絶対分離主義に固まっています。それのみならず、「(祭祀には)法律論とは次元の違う話がある」とまでは認識しても、より次元の高い文明の中心に祭祀が位置しているという理解がありません。だから、安易に簡略化が推進されたのです。

 要するに、天皇125代の文明より、公布から60年の「平和憲法」の字面を優先しているからです。


▽戦後の憲法解釈の紆余曲折

 そのほか、前侍従長の憲法論は、文と武の対比と同様、戦前と戦後という単純な二項対立にとどまり、戦後の憲法解釈・運用の紆余曲折を見落としています。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、同じ占領期でさえ、前期と後期では政教分離政策は異なります。過酷な神道指令が失効したあとの社会党政権下では、侍従長による毎朝御代拝が認められています。50年前、今上陛下のご結婚の儀は私事どころか、国事として行われました。

 政府は独立回復後の20年間、祭祀の正常化に努めました。かたくなな政教分離主義に転換したのは40年前であり、昭和の祭祀簡略化はその結果です。占領前期の神道圧迫政策に先祖返りし、神道以外にはゆるやかな分離主義を採用するというダブル・スタンダードでした。

 こうして昭和天皇の晩年に空洞化した宮中祭祀を、お一人で正常化してきたのが、今上天皇の20年間ですが、いまはご健康問題に端を発して、前例踏襲の官僚主義が祭祀簡略化を再来させています。

 長年、陛下に近侍し、その心を深く了解した前侍従長なら、憲法解釈・運用の正常化にこそ努めるべきです。行政が触れようとしてこなかった祭祀について、前侍従長が積極的に語っているのは功績ですが、人の知らない祭祀の価値を語るのであれば、祭祀の空洞化という誤った歴史を明らかにし、自己批判すべきだと私は考えます。

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