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君主制の凋落を鵜呑みにする「うかつ」───橋本明『平成皇室論』を読む その4 [橋本明]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年10月6日)からの転載です


 引き続き、橋本明『平成皇室論』を批判します。今週は第5章です。

 その前にひと言申し上げます。当メルマガは前回が創刊100号でした。一昨年秋に並木書房社長のご助言でスタートし、その後、多くの方々のご声援を受け、読者数も増えました。いまはイザ! などもふくめると、3000人を優に超える方々のもとに毎週、届けられています。

 このメルマガから生まれたのが拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』(並木書房)で、いくつかのメディアに取り上げられるなど、手応えを感じています。目下、これに続く執筆計画を進めているところです。日本の文明の根幹であるはずの天皇・皇室に関する本質的な理解が失われている現状を、皆さんとともに、何とか打開していかなければならない、というのが切なる願いです。

 今後ともよりいっそうのご支援をお願いします。メルマガの末尾にある「あなたの評価」で高い採点をしてくださると、ランキングに反映され、当メルマガの注目度が増し、ひいては天皇・皇室問題の正常化を推進させる原動力になります。

 それともう1つ。雑誌「正論」10月号に書きましたように、いまはごくふつうの常識人の発言と行動が求められていると思います。「陛下の級友」や某大学教授、名誉教授もそうですが、既成のアカデミズムやジャーナリズムには多くを期待できません。現実はむしろ逆です。陛下の側近もしかりで、「脱官僚支配」などと観念的にお題目を唱えればいいというものでもありません。本質的議論を草の根から深めていくことが、緊急の課題です。

 幕末の時代に坂本龍馬が海援隊を組織したように、新しい組織が必要なのだと思います。そのためのヒト、モノ、カネが早急に求められていると痛感しています。

 あるカトリック司教が興味深い指摘をしています。ソ連時代の70年間、徹底して宗教を弾圧したロシアでは、人間の心が荒廃し、ボランティア精神や助け合いの理念さえ失われているそうです。一度失われた精神伝統を回復するのは絶望的なほど至難ですが、日本がそうならないとは限りません。皆さんの声が必要なのです。


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 君主制の凋落を鵜呑みにする「うかつ」
 ───橋本明『平成皇室論』を読む その4
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▽かび臭い単線的社会発展説

 さて、橋本さんはこの章で、ネパール王朝の崩壊を取り上げ、日本の皇室に警告を発しています。しかし、展開されているのは、21世紀のジャーナリストとは思えない、前世紀の教科書を読むような、かび臭い歴史論です。

 すなわち、橋本さんの考えによれば、第2次大戦は世界に民主主義の波をおこし、王制と大衆政治派(共和制支持派?)のせめぎ合いを生み、カンボジアやイランで王制が倒れた。20世紀は「革命の世紀」だった、というのです。

 君主制が民主制にとって代わられ、さらに革命運動を経て社会主義社会が必然的に実現される、というような単線的社会発展説が、20世紀ならいざ知らず、逆に「革命国家」ソ連が崩壊したいまもなお、あろうことか日本を代表する通信社のOBによって、無邪気に信じられているのは、驚きを超えています。

 このメルマガの読者なら、この運命史観の科学性をめぐって、50年前、「思想の科学」誌上で、神道思想家・葦津珍彦(あしづ・うずひこ)と政治学者・橋川文三の論争が繰り広げられたことをご記憶のはずです。

 このとき葦津は、敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に一様に移行する、とする俗説に根本的な疑問を呈しました。「君主制が少なくなり、やがて日本も共和国になる」という一般的公式を立て、具体的事実を無視して、具体的な国の運命を抽象理論で予見しようとするのは浅はかである、などと指摘したのです。

 橋川はこれに対して、まともな反論すらできませんでした。天下の橋川でさえ、観念的な歴史論から抜け出せないでいたのだと思います。

 ましてや、というべきか、橋本さんは、(1)敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に移行するというドグマ、(2)個別性を無視し、世界の君主制をいっしょくたに論ずるドグマ、に完全にとらわれています。


▽抽象論に安住している

 考えても見てください。

 日本とネパールは同じ君主制とはいっても多くの点で異なります。ネパール王制の歴史は日本と同様、神話の世界にまでさかのぼりますが、「万世一系」の日本とは異なり、リッチャピ王朝、タクリ王朝、マルラ王朝など、幾多の王朝交代がありました。

 240年に及んだネパールのグルカ王朝が廃されたのは、昨年、制憲議会が王制廃止、共和制樹立を圧倒的多数で決議したからと伝えられますが、そのきっかけは2001年のビレンドラ国王暗殺事件という血生臭い国王交代劇でした。それ以上に異様なのは、今回の王制廃止を主導したのが武装闘争を展開してきた共産党毛沢東主義派だという事実です。

 ソ連崩壊につづいて、いまロシアで起きているプーチンの強権政治は、まるで革命以前のツァーリズムへの先祖返りです。したがってもはや、マルクスの唯物史観は博物館のかび臭い陳列物にすぎない、と思っていたら、ネパールでは今ごろになって、毛沢東主義者が王制を打倒したというのですから、時代錯誤というほかはありません。

 図式論でとらえきれない個別の事実に目を向け、いちだんと深い真実を追究するのがジャーナリストの役割だと私は考えますが、橋本さんは、「ロシア革命を皮切りに、20世紀は『革命の世紀』と称されるほど各国の王権が廃され、一方ではマルクス・レーニンが掲げた共産主義、社会主義へ、他方では自由、民権尊重へと国家体制が様変わりした」などと、一昔前の抽象論に安住しています。


▽ヨーロッパ王制こそ天皇に学んでいる

 そればかりではありません。橋本さんは、基本的人権尊重の流れがイギリスの名誉革命にはじまり、アメリカ、フランスを経て、戦後の日本に到達した、という単線的な歴史観を示しますが、現代のアカデミズムからは、逆の流れが指摘されています。

 下條芳明・九州産業大学助教授の『象徴君主制憲法の20世紀的展開』によると、ヨーロッパにおいて、象徴君主制が復権しているといいます。

 フランス第五共和制やアメリカの大統領制などのように、今日の共和制は、「君主制的なもの」の意義が認められ、積極的な吸収が行われている。一方の君主制も、共和制では代替できない、君主制固有の伝統性・世襲制から派生する政治的権威の意義が見直されている、というのです。

 橋本さんのいう「危機感」どころではないのです。下條助教授はこう指摘します。

 ──今日、ヨーロッパの君主政治では、憲法上は立憲君主制を維持しながらも、君主の国政上の役割は象徴的・統合的機能の行使に移っている。君主制を安易に廃止すれば、そうした効用は期待できない。一度廃すれば、復活は至難である。そのことが自覚されて、現存の君主制を慎重に扱う姿勢が求められる。君主制の弱化・減少傾向の現象にばかりこだわり、君主制の凋落という言葉を鵜呑みにしているなら、うかつのそしりを免れまい。

 別ないい方をすれば、ヨーロッパの象徴的君主制の復権は、とりもなおさず日本の天皇制を学んでいる、ということではないか、と私は考えます。下條助教授によれば、イギリスの研究者が現代日本の天皇制に強い関心を示していることは、政治学者の福田歓一が40年も間に指摘しているようです。


▽古代から行われた「権力の制限」

 橋本さんは、「20世紀から21世紀にかけて崩壊の道をたどったネパール王朝の歩みは他人事ではあり得ない。とくに皇太子が愛する相手を親たちに認めてもらえなかったことが王朝崩壊の引き金になった経緯を考えるとき……現在皇室を覆っている諸問題の解決に当たらねばと痛切に思う」と書いていますが、下條助教授の言葉を借りれば、「うかつ」そのものです。

 ネパール王制における「父子対立」「皇太子妃選定問題」を、いわゆる雅子妃問題と無理にでも結びつけ、君主制崩壊の要因を王室・皇室内部に見出し、他山の石とせよ、呼びかけているつもりでしょうが、独り相撲といわねばなりません。逆にネパールこそ、日本の天皇制に学ぶべきだったのです。

 橋本さんの誤りは、何度も繰り返し指摘したように、いわゆる雅子妃問題は、橋本さん自身が身を置くマスコミが、不作法にも、東宮のプライバシー暴きに血道を上げた、という外的要因をきっかけにしていることを見落としていることです。

 さらにもっと重要なこととして見落とされているのは、300年も継続せずに崩壊したネパール王制と古代から連綿と続く日本の天皇制との最大の相違点、すなわち、以前、指摘したように、王権の制限の有無かと思います。

 哲学者の上山春平が指摘しているように、日本は古代律令制の時代、すでに権力の制限が行われています。天皇がみずから権力を振るったのではなく、権力は官僚機構の頂点にある太政官に委任されました(上山『日本文明史』など)。近代においても、明治元年の五箇条の御誓文は最初に、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と議会主義を宣言しています。

 政治の実権を握るネパール王制とも、「地上の支配者」とされるヨーロッパの王制とも異なります。

 さらに上山は指摘しています。プラトンは君主制と民主制とを兼備していなければ善い国家とはいえない、とし、アリストテレスは多くの国制が混合された国制ほど優れている、と書いた。つまり、奇しくも日本では、絶対君主制などとはまるで異なる、望ましい混合体制が古来、実現されてきたのでした。

 しかし、行動する天皇が時代を作り、時代を象徴するという、いわば「行動する天皇」論に固まる橋本さんには、違いが見えないのです。


▽戦争と平和の二元論に基づく観念論

 橋本さんはこの章の後半で、ネパールから視野を広げ、近世から近代の、とくにヨーロッパの王室の盛衰を解説するのですが、戦争と平和の二元論にもとづく、例の「新学習院」史観にしばられる橋本さんは、ますます観念論にみがきをかけています。

 ───世界はこれ以上戦争を起こす試みの持つ馬鹿さ加減に気がつき、何とか有限の資源を仲良く分配して生き延びようと模索し始めている。

 とんでもありません。戦後60年、世界のどこかでつねに戦闘がくりかえされてきたし、資源争奪戦はいよいよ激化しています。この冷厳な現実が、元通信社記者になぜ見えないのでしょうか。

 ───日本の皇室は20世紀に犯した帝国主義残滓の後追い時代をけっして再現させず、国の方向をコントロールして平和1点に固定するだけの勇気、胆力および権威をもって将来に望むのが理想的だ。

 どのような天皇観を持とうとも個人の自由ですが、天皇が行動する精神指導者として国をリードすべきであるというような考えは、橋本さん自身が否定する近代の天皇像そのものであり、論理が一貫しません。また、国際関係はまさに関係論であって、戦争か平和かは、一国の姿勢だけでは決まりません。それでも平和を祈り続けてきたのが天皇です。

 ───軍靴の音を聴くような時代をふたたび天皇が象徴するようであったら、我々に皇室は不要である。

 橋本さんの象徴天皇論は、天皇の文明が天皇のみによるのではなく、歴代天皇とわが祖先たちがともに築いてきたという歴史を見失っています。日本各地にはさまざまな天皇の物語が伝えられています。国と民のために祈る天皇がおられ、民たちのさまざま天皇意識があり、これらが1つになってこの国の平和と安定が続いてきたのだろうと私は考えます。橋本さんには民の論理が抜けています。それどころか、民の天皇意識を壊そうとけしかけている。それこそがまさに皇太子「廃太子」の勧めです。

 次回はひきつづき第6章を読みます。

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