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女系継承を否定するだけでは不十分───橋本明著『平成皇室論』を批判する 番外編その2 [橋本明]

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女系継承を否定するだけでは不十分
───橋本明著『平成皇室論』を批判する 番外編その2
(2009年11月17日)
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▽小堀先生の評価点こそ最大の欠陥

 小堀先生の記事は、橋本さんの著書を検討する前半と小林さんの本を俎上にあげた後半と、完全な二部構成になっています。

 橋本批判では、小堀さんはまず、有益で面白いところがある、と評価しています。それは先入見にとらわれないよう、意識して中立的に読んだ結果で、とくにネパール王制崩壊の悲劇や近代ヨーロッパの王室の没落を「他山の石」と見ていることは、私の注目をひきました。

 というのも、私と完全に見方が異なるからです。

 ネパール王制の崩壊について、一般国民が注目していなかった、と小堀先生が指摘するのはその通りだと思いますが、「他人事ではない」として橋本さんが王制崩壊の分析に注意を促していることが、珍しい着目だ、と評価する見方にはにわかに賛同できずにいます。

「有益な情報や著者特有の聴くべき見解が十分に織り込まれている」とは、私にはとても思えません。同じ君主制だからといっても、ネパール王制と日本の皇室では大きな相違点があります。それは権力の制限の有無であり、王朝交代の有無です。

 小堀先生が、橋本さんの史実認識や概念的浅薄と杜撰さを大目に見ることができない、と指摘しているのは大いに同感ですが、小堀先生が評価している橋本さんの着目・考察にこそむしろ、橋本さんの皇室論の最大の欠陥があると私は考えます。

 橋本さんのネパール王制論、ヨーロッパ王室論はあまりにもかび臭く、図式的で、有益とはほど遠いものです。ネパールこそ日本の皇室に学ぶべきだったし、一方、ヨーロッパの王室はすでに日本の象徴君主制に学んでいます。

 他者に学ぶ謙虚さは大切ですが、自己批判が先に立ちすぎて、みずからの価値を見失っているのではないか、という疑いが否めません。


▽なぜ男系男子でなければならないのか

 さて、小林さんの『天皇論』の女系容認論について、です。小堀先生は、「見事な論述展開に潜在する1点の論理的欠陥」と指摘します。

 小林さんは全編の巻末に、突如、女系天皇の容認を宣言します。天照大神は女性神だから、歴代天皇は女系だったと考えられる、と記している。女系天皇の出現が易姓革命であることに気がつかないわけではないだろう。易姓革命に嫌悪しながら、最後の土壇場で肯定するのは自己矛盾であり、論理の破綻だ、と小堀先生はきびしく指摘します。

 なぜ小林さんが「早とちり」をしたのか、について、小堀先生は解説し、女系天皇容認論の誤りについて論を展開し、そして最後に、小林さんに対して、女系容認を主張する学説の「暗く怪しい政治的党略性」に引きずられてはならない、と切言するのでした。

 小堀先生の批判はじつに分かりやすいものです。女系容認論は政治的、処世術的で、否認論は尊皇敬神の信仰である。前者は「腐儒の曲説」でしかない、ときびしく戒めています。

 万世一系の皇統を何よりも重視するのが小堀先生でしょうから、女系継承を否認するのは大いに理解できます。しかし、なぜ皇位の継承が男系男子でなければならないのか、についての積極的な説明は、少なくともこの論考にはうかがえません。

 問題は、女系継承を否認し、女系容認論者を批判するだけではなくて、男系男子による皇位継承の本質的意義を解明することにあるだろうし、それともう1つは、今回のご即位20年の陛下の会見でも言及されている皇位継承のあり方について、具体案を提示することでしょう。


▽現実主義者でもあった先駆者・葦津珍彦

 小堀先生の論考には、ありがたいことに、私の名前も登場します。小林さんが入江相政侍従長を宮中祭祀衰退の元凶と名指ししているのには、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』によく学んだ結果だろうと書いています。

 小堀先生はまた、小林さんが今後、依拠すべき学究たちの実名を何人か、あげています。しかし、けっして無視してはならない重要な先人の名前が抜け落ちています。戦後唯一の神道思想家といわれ、先駆的な女帝否認論を書き残した葦津珍彦です。今年はいみじくも葦津の生誕百年です。

 昭和29(1954)年暮れに発行された『天皇・神道・憲法』という本があります。「はしがき」は葦津が書いていますが、「皇位継承法」についての1章では、戦後、憲法学者の間でわき起こった女帝容認論に対して、皇室の「万世一系」とは「男系子孫一系」の意味であることは論をまたない。女系の子孫(男子であれ、女子であれ)に皇位が継承されるとすれば、それは「万世一系の根本的改革」を意味し、断じて承認しがたい、と断言しています。

 葦津が晩年、草案をまとめた『共同研究現行皇室法の批判的研究』(皇室法研究会編、昭和62年)も同様で、「われわれは、女帝は国史に前例があっても、これを認める必要がないと確信している」と言い切っています。

 葦津の女帝論でもっとも重要なことは、天皇は万世一系の祭り主であるという一点にあります。葦津の女帝否認論は、そこから必然的に導かれています。

 しかし、万策尽きた場合に、それでも皇統の連続性を保つための女帝をも、葦津が頑迷固陋(がんめいころう)に否定し去っていたわけではない、という重要な証言があります。葦津は教条主義とは無縁な現実主義者でもありました。


▽男系男子が絶えないようにする制度

 今日、伝統主義者たちの天皇・皇室論は、葦津の影響を抜きに語ることはできませんが、まさに伝統主義者自身が女帝否認論と容認論に二分されているのは、葦津の女帝論に両面性があったからだろうと私は見ています。

 それは制度的原則論と現実論の両面性です。積極的容認論の背景にあるのは「皇統断絶」に対する強い信仰的な危機意識です。小堀先生がいうように、容認論者に信仰がないわけではありません。しかし、一方の女帝否認論は、歴史に前例のない女系継承への飛躍を戒めますが、十分な現実論を示しきれずにいます。

 それなら先駆者である葦津はどのような現実的打開策を考えていたのか?

 葦津が原案執筆者となってまとめ上げられた『大日本帝国憲法制定史』(昭和55年)は、女統継承論を掲げ、伝統的な日本人の君臣の意識を動揺させるよりも、まず男統の絶えない制度を優先的に慎重に考えるべきではないか、と主張しています。

 しかし、どのようにして男系男子が絶えないようにするのか、その具体的な制度論についての提言はありませんでした。ここに、いわば後継者たちの不統一の原因を見出すことができます。葦津の女帝否認論を十分に発展・昇華させることができないでいるのです。

 そのことは私にもいえるかもしれません。


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