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1 「EUの父」と似て非なり by 斎藤吉久──鳩山首相の「友愛」を考える その1 [鳩山由紀夫]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年2月2日)からの転載です


 まずお知らせです。1日発売の「THEMIS」2月号に、「中国は『皇太子ご夫妻&小和田家』懐柔に動く」という記事が載っています。私のコメントも取り上げられています。お買い求めのうえ、お読みいただければありがたいです。
http://www.e-themis.net/

 さて、天皇の祈りを中核とする日本の多神教的、多宗教的文明には、(1)主体性を見失いがちである、(2)一神教文明に対する抵抗力が弱い、という2つの短所があり、奇しくもこの2つが同居しているのが「小鳩」政権で、先週はこのうち、一神教的な憲法論に同化している小沢一郎幹事長の「豪腕」についてお話ししました。

 今週は鳩山由紀夫首相の「友愛」についてお話しします。前号メルマガの最後に、ごく簡単に申し上げたように、首相の「友愛」は、その原点といわれる「EUの父」リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「友愛」とも、祖父・鳩山一郎元首相の「友愛」とも異なると私は考えます。

 国家元首でもない中国国家副主席の「天皇特例会見」を演出したのも、普天間基地移設問題をめぐって混乱を重ね、日米関係を最大の危機に陥らせている原因もそこにある、と私は思います。

 キーワードは共産主義、もしくは共産党独裁に対する現実的感覚の欠落です。その点、鳩山由紀夫首相が昨秋、北京で温家宝首相と会談し、「東シナ海を『友愛の海』にしよう」と呼びかけたのは、きわめて象徴的だと考えます。


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1 「EUの父」と似て非なり by 斎藤吉久
──鳩山首相の「友愛」を考える その1
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▽1 クーデンホーフ=カレルギーを鳩山一郎が翻訳

 鳩山由起夫首相の「友愛」は直接的には、祖父である鳩山一郎元首相の政治哲学を引き継いでいます。

「友愛社会の実現」を目的とする日本友愛青年協会なる財団法人があります。鳩山一郎元首相の唱えた「友愛」を基調に、次代を創る青年の育成を目的として、昭和28年に創設された友愛青年同志会を母体としています。
http://www.yuaiyouth.or.jp/index.html

 現在の代表者は鳩山由紀夫理事長(休職中)その人です。名誉会長は首相の母安子氏、副理事長には鳩山邦夫元総務相と長姉・井上和子氏の2人の名前が並んでいます。興味深いことに、協会の主な活動には日中友好事業が含まれ、100億円のいわゆる小渕基金から助成を受けて、植林訪中団を毎年派遣しているようです。

 さはさりながら、「友愛」は鳩山一郎元首相の独創ではありません。

 ほかならぬ協会のホームページに説明されているように、昭和27年に、鳩山一郎氏が汎ヨーロッパ運動の主宰者であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの著書から発想を得たのが最初です。

 鳩山由紀夫首相は「Voice」昨年9月号に掲載された「私の政治哲学」で、「祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである」と解説しています。
http://www.hatoyama.gr.jp/masscomm/090810.html#header


▽2 日本女性を母に、東京で生まれた

 汎ヨーロッパ運動が評価され、再三、ノーベル平和賞候補に挙げられたというリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯は、日清戦争のさなかの明治27(1894)年、東京で生まれました。

 父親のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーはオーストリア伯爵で、外交官でした。東京駐在公使のおり、見初めたのが光子(旧姓青山)で、2人は結婚します。リヒャルトは次男で、日本名をエイジロウといいました。

 夫ハインリヒが母国に帰国するとき、光子は昭憲皇太后の拝謁をたまわり、「外国に嫁いでも日本婦人たることを忘れぬように」とお言葉を得たことを、生涯、肝に銘じたといわれます。

 日本人の母を持ち、日本で生まれたことが、リヒャルトの汎ヨーロッパ運動に少なからぬ影響を与えたことは十分、想像されます。

 興味深いのは、鳩山一郎がリヒャルトに関心を持つはるか以前、俗に「右翼の総帥」といわれる頭山満がリヒャルトの存在に注目していたことです。

 クーデンホーフ・カレルギー全集第1巻の巻頭にある木村毅の解説によれば、支那事変(日中戦争)が泥沼化していたころ、作家たちとともに従軍した木村は、軍の依頼を受け、占領地・漢口の放送局で、重慶に向けた和平提案のマイクの前に立ったといいます。


▽3 頭山満「大アジア主義」との共通性

 しばらくして、「不思議な反応」があらわれます。重慶ではなく、日本の内地から、頭山の使者なる人物が漢口に飛んできました。「この際、クーデンホーフ・カレルギーを呼んできて、アジア共同体の提案を重慶させたらどうか?」。文学者の木村毅は「奇抜な案に驚いた」と回想しています。

 しかし、なんら驚くには値しません。敗戦後、占領軍は頭山らの玄洋社を「侵略戦争推進団体」と決めつけて解散させ、戦後のアカデミズムやジャーナリズムは頭山を敬遠してきましたが、近年、歴史の封印が解かれ、頭山が孫文などアジアの革命家を支援していたことが一般に知られるようになっています。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/JSH180417toyama.html

 右翼人士こそ「侵略戦争」推進の張本人だ、といまなお信じ込んでいる人たちには意外かもしれませんが、昭和13年当時、香港を舞台とした朝日新聞による日中和平工作の背後には民族派の存在がありました。上海戦線での軍の暴走を食い止めようとしたのも彼らでした。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/H1002asahi.html

 それどころか、リヒャルトの汎ヨーロッパ運動は頭山の大アジア主義と通じるものがあります。

 木村毅が解説するように、リヒャルトは、日本帝国が勃興し、日露戦争に勝利したことがアジア解放の一大転機になった。ヨーロッパ諸国が身勝手にも、アジアを植民地支配の対象としか見なかったときに、日本という一大国家が誕生したうえに、ヨーロッパのアジア植民地より大きな勢力を築いた。こうして白人による世界支配は打破された──と考えていました。


▽4 「全体主義国家の黎明は消えた」

 戦前から自由主義者、反共主義者として知られていた鳩山一郎がリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの思想に感銘したのは、『自由と人生』(原題は『全体的人間対全体主義的国家』)の最終章にかかげられた友愛思想と友愛革命の提唱に対してだったといわれます。

 戦後、公職追放の境遇にあった鳩山一郎はリヒャルトの英訳本と出会い、翻訳し、『自由と人生』と題して、27年に出版しました。その際、英語の「fraternity」を「友愛」と訳したのでした。翌年には友愛青年同志会が結成されます。

『自由と人生』の最終章「友愛革命」は、次のような文章で始まっています。

「全体主義国家を克服するに必要な第一歩は、ボルシェヴィズムの全敗と、階級闘争の破産というかたちで開けてきた。
 この事実はいまだ大衆の意識に浸透してはいない。しかれども真理は自然にその道をひらくものだ。その進行は、虚構や宣伝によって妨害することはできても、結局、それを停止することはできない」

 また次のような文章もあります。

「ファシズム誕生が、ボルシェヴィズムの誕生につづいたように、ファシズムの最後が、ボルシェヴィズムの最後に続いて到来するであろう。しかしてそれはまさしくその使命を完遂するであろう。全体主義国家の黎明は消えた。そしてやはり全体主義的人間の曙も終わるのである」

 前述した鳩山由起夫首相の説明にあるように、「友愛」はきわめて「戦闘的」です。


▽5 共産主義と妥協した鳩山一郎

 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが「友愛革命」で戦いを挑んだのは、いうまでもなく、全体主義に対してです。

 鳩山一郎が「友愛」に注目したのも、そこにあるのでしょう。鳩山の「訳者の言葉」には次のような文章が見いだせます。

「民主主義と共産主義とは妥協協調できるであろうか。…(中略)…中国では国民党と中共が、死か生かの決戦態勢をとることとなり、また欧州では、欧州復興会議その他において円満に解決を見ざる事実が頻発するを見ると、客観的情勢は民主主義と共産主義とが、果たして妥協できるかどうか怪しくなってきたと思う」

 自由主義、民主主義の精神を理解し、実行するために、『自由と人生』を翻訳したと鳩山は説明しています。

 また友愛青年同志会の綱領には次のように書いてあります。

「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」

 しかし、29年暮れに首相となった鳩山は31年秋、モスクワに飛び、ブルガーニン首相との日ソ共同宣言に署名します。鳩山一郎は「友愛」の戦闘精神を失い、共産主義と妥協したのです。リヒャルトとの決定的な違いです。

 およそ10年後の42年、リヒャルトは来日し、次のように講演しました。

「中国において共産主義は、キリスト教がついに打ち克ち得なかった2000年以上の歴史を持つ儒教の哲学と伝統を、10数年の短い間に破壊征服してしまった。中国がその偉大な伝統と精神を捨て去った今日、日本は神道、仏教、儒教などの東洋の精神が失われていない唯一の国、ヨーロッパ文明と東方文化を融合して両者の架け橋となり得る唯一の国であり、日本こそ人類の将来を託するに足る大きな希望の国である」

 このように日本の価値を高く評価する一方で、リヒャルトは警告を忘れませんでした。

「現代の日本が直面している危険は、第3次世界大戦や共産主義の脅威のほかに、日本自身が物質的な繁栄を謳歌しているあいだにその魂を失うことであり、国民的伝統を捨てて、西欧の物質的文明国家に変貌して、ある点で西欧文化に優っている文化的価値を失うにいたることである」


▽6 中国共産党の独裁が見えない

 リヒャルトの汎ヨーロッパ主義は今日のEU構想の先駆けとなりました。しかし欧州統合を深化させた大きな要因として忘れてはならないのは、リヒャルトが戦闘の対象とした共産主義の崩壊です。

 鳩山由起夫首相の「私の政治哲学」によると、この冷戦の終わりこそ、鳩山首相に自民党の歴史的役割の終焉を痛感させ、祖父一郎が創設した自民党を離党させ、やがて民主党を結成させるきっかけとなったようです。

 鳩山首相は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーや鳩山一郎が対峙した全体主義国家が終焉した。したがって「友愛」精神を「自立と共生の原理」と再定義したのだ、と説明しています。首相の「アジア共同体」構想もそこから導かれ、あまつさえ夢物語のようなアジア共通通貨の実現さえ提唱されています。

 しかし鳩山首相は肝心なことを忘れています。ヨーロッパではたしかに共産主義は崩壊しましたが、アジアではリヒャルトが懸念した中国共産党の独裁がつづいています。鳩山一郎はまだしもスターリンという存在が見えていたのに、鳩山由起夫首相は、マルクス主義がグローバリズムとともに頓挫した、と断定しています。共産党独裁がその視野から消えているのです。

「東シナ海を『友愛の海』に」と主体性もなくすり寄る提案は、全体主義国家と対峙し、「日本よ、ヨーロッパと東洋の架け橋になれ」と訴えた、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの「友愛」とは、もはやまったくの別物といわねばなりません。

 首相は、「友愛」は「愛」(love)とは違い、柔弱ではない、と「私の政治哲学」に強調していますが、柔弱どころか危険な臭いが濃厚です。


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