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1 皇室を苦しめる天皇擁護派のオウン・ゴール by 斎藤吉久 [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年2月9日)からの転載です


 伝えられるように、立春を目の前に、陛下がご体調を崩され、葉山行幸をお取りやめになりました。検査の結果、ノロウイルスによる急性腸炎とのことでした。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h22-0202.html

 陛下のご健康が気づかわれる折も折、ご執務が夜にずれ込むケースが増えていると伝えられます。定例閣議が午前中ではなく午後に開かれることが増え、それに連れて決済の書類が夜になって御所に届くようになっているというのです。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100204/imp1002040115000-n1.htm
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100204-OYT1T01411.htm

 それでなくても、陛下はご高齢であるうえに、療養中です。ご負担軽減が急務なのはいうまでもないことで、宮内庁は昨年1月に軽減策を発表しました。けれども、まったくの見かけ倒しで、ご日程の件数は減らず、あげくに「特例会見」のゴリ押しも起きました。その反省もあればこそ、「豪腕」政権はあいかわらず陛下に負担を押しつけています。


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 1 皇室を苦しめる天皇擁護派のオウン・ゴール by 斎藤吉久
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▽1 小沢政権が進める「天皇のロボット化」

 当メルマガ115号(1月26日)で申し上げましたように、「憲法の理念では、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われ、陛下の行動に責任を負うのは内閣だ。内閣が判断したことについて、陛下がその意を受けて行動なさるのは当然だし、陛下は喜んでやってくださるものと思う」(小沢幹事長会見)という、憲法学者宮沢俊義張りの「天皇のロボット化」が現実になっている印象をますます強くします。

 10年前、自由党党首時代の小沢氏は、「現憲法下でも天皇は元首である」と主張し、宮沢東大教授の国民主権論を全面否定していたのに、今日、「小沢政権」は逆に宮沢理論のきわめて忠実な実践者となっています。

 5年前の小沢氏はまだしも、内閣は皇室の「ご意見」を聞く努力をすべきだ、それが立憲君主制のあるべき姿だ、と述べ、「本来なら、小泉内閣は皇室の環境を整備しなかった責任に加え、皇太子殿下にあのような発言(斎藤吉久注:いわゆる「人格否定」発言)をさせてしまった責任をとって総辞職すべきだろう」と迫っていました(夕刊フジ連載「豪腕維新」2005年1月28日=『豪腕維新』所収)。

 けれども、昨年暮れの「天皇特例会見」ゴリ押しも、今回の「夜の決済」増加も、「ご意見」を聞くどころではありません。批判を受けても、総辞職どころか、小沢幹事長あるいは平野官房長官の会見でお茶を濁しただけです。すでに申しましたように、これは変節ではありません。政治的理念を欠いた、あってはならない、無軌道な天皇の政治利用が進んでいるのです。


▽2 お歌にあらわれた妃殿下のご回復

 もうひとつ、先週は「着実にご快復に向かわれております」とする、皇太子妃殿下のご病状に関する東宮医師団の見解が発表されました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/d-kenkai-h220205.html

 例年ならお誕生日の12月9日に発表される見解が大幅に遅れたわけですが、その理由の1つとして、妃殿下ご本人の了解を得る必要があったから、と説明されています。逆にいえば、妃殿下ご自身が医師団の見解を受け止め、さらに国民に知らせることを了解されたことになります。だとすれば、それだけ「適応障害」からの回復が進んでいることの証といえるのかと想像します。

 まだまだ「ご体調には波がおあり」とのことですが、ご回復ぶりは先月15日の歌会始に披露された妃殿下のお歌にもあらわれているように思います。

 両殿下がご結婚になったのは平成5年6月で、翌年から妃殿下のお歌が披露されていますが、そのころのお歌はご公務での見聞、内外の国民との交流が題材で、たとえば6年は滋賀県行啓の印象のなかに皇太子殿下と行動を共にする喜びが詠まれていました。

 お歌の傾向が変わるのは、メディアの無謀な「懐妊の兆候」スクープのあと流産という悲劇を招いた翌年12年です。皇太子殿下との団欒(だんらん)にテーマが集中し、14年からはお生まれになった愛子内親王のご成長がもっぱら題材となりました。殿下の「人格否定」発言の翌年17年は「親子三人なごみ歩めば心癒(い)えゆく」と病が詠い込まれています。

 しかし今年は違っていました。

  池の面に立つさざ波は冬の日の光をうけて明かくきらめく

 やや説明に傾くきらいがあるものの、写実的な自然描写のなかに希望がうかがえる美しいお歌かと思います。

 医師団の見解によると、回復には妃殿下ご自身の努力のほかに皇太子殿下の応援が指摘されています。両殿下が支え合って、病を乗り越えようとしている姿は、心の病に悩む国民や家庭の崩壊に苦しむ人々にとって、希望のはずです。1日も早いご回復を祈ります。


▽3 宮内庁批判が過ぎる?

 さて今週は、先週につづいて、鳩山首相の「友愛」政治について検証する予定でしたが、すでに紙幅が尽きてきましたので、次回にゆずることにし、日ごろ感じていることを簡単に述べます。

 ラス・カサスという有名なカトリック司教がいます。コロンブスのアメリカ大陸「発見」のあと、先住民のキリスト教化にたずさわる過程で、スペイン人キリスト教徒らが千数百万もの先住民をひたすら殺戮し続けるという人類史上まれな戦慄すべき惨劇を目撃し、告発し続けた人物です(ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)。

 侵入者たちの大航海事業はローマ教皇のお墨付きで進められました。教皇は先住民の奴隷化を認め、信徒らに征服戦争への参加を呼びかけました。ポルトガル国王やスペイン諸侯は自分たちの海外発展事業を正当化するため、教皇に精神的支援を求め、教皇は教勢拡大のために明確な援助を与えたのです(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』など)。

 そして悲劇は起こりました。しかしラス・カサスの正義感あふれる啓蒙活動はやがて、暴力的な植民活動を禁止させ、インディオ保護への転換を導きました。

 天皇・皇室問題をテーマとする当メルマガには直接、関係のないことを書いたのには、理由があります。要するに、事実の重みです。

 私の執筆活動について、「宮内庁批判が過ぎる」という声があるようですが、私は宮内庁を批判したいがためにこのメルマガを書いているのではありません。もとより他人様の批判が好きでない私が他者の批判をはじめたのは、原武史明治学院大学教授の宮中祭祀廃止論に対してで、あまりに間違いだらけなのに驚きあきれたからです。


▽4 ダンマリを決め込む不思議

 原教授は廃止論の前提として、1960年代末以降、昭和天皇の「高齢を理由に宮中祭祀が削減または簡略化され……」と解説していますが、「高齢」は口実に過ぎません。そうではなくて、入江侍従長の祭祀嫌いと厳格な政教分離主義が行政全体に蔓延した結果、祭祀は破壊されたのです。入江日記を丹念に読めば、だれにでも分かることです。

 ほかならぬ昭和天皇の側近が、すなわち宮内官僚が祭祀簡略化の張本人であることについて、宮内庁は認めている、と私は理解しています。数年前からメディアへの抗議などをネット上で公開するようになった宮内庁が、拙論に対して事実関係の間違いを指摘してきたことはないからです。

 私にとって不思議でならないのは、日ごろ尊皇派を自任している保守派が目の前で進行している平成の祭祀簡略化について、ダンマリを決め込んでいることです。たとえ私の宮内庁批判が言い過ぎだったとしても、だからといって事実を曲げることはできません。言い過ぎはダンマリを正当化する理由にはなりません。

 昭和の祭祀簡略化が明るみに出たのは15年もあとになってからでした。事実を知りながら、しがらみから抜けきれずに、口をつぐんでいる、正義の感覚を失った、名ばかりの尊皇派がいかに多かったかです。それから25年が過ぎたいまも、同じことが繰り返されているのではないのですか?

 当メルマガに連載を載せてくださっている佐藤雉鳴さんがいつも指摘しています。皇室を苦しめているのは反天皇派の攻撃ではなく、天皇擁護派のオウン・ゴールである、と。

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