3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴 第3回 「中外」の誤解 [教育勅語]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴
第3回 「中外」の誤解
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
◇1 「之(これ)を中外に施して悖(もと)らず」
ホルトムやウッダードらの著作からすると、彼らのいう国家神道の聖典は教育勅語だというのであるから、これを検証せずして神道指令は理解できない。教育勅語は道徳紊乱(びんらん)を正すために渙発(かんぱつ)された明治天皇のお言葉である。それがなぜ国家神道の聖典だというのだろう?
ダイクの語る教育勅語の「之を中外に施して悖らず」の「中外」が、官定解釈といわれた井上哲次郎『勅語衍義(えんぎ)』以降、つまり最初から誤解されてきたことは、当サイトの「教育勅語異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kyouikuchokugo.html〉に述べたところである。この場合の「中外」は「国の内外」ではない。「宮廷の内と外」「朝廷と民間」が正しい解釈である。
明治11(1878)年8月30日から同年11月9日までの北陸東海両道巡幸から戻られた天皇は、各地の実態をご覧になったことから、岩倉右大臣へ民政教育について叡慮(えいりょ)あらせられた。それについて元田永孚(もとだ・ながさね)は「古稀之記」に次のように記している。
「12月29日同僚相議して曰(いわく)、勤倹の旨、真の叡慮に発せり。是(これ)誠に天下の幸、速(すみやか)に中外に公布せられ施政の方鍼(ほうしん)を定めるべしと。余、佐々木と二人右大臣の邸を訪ひ面謁(めんえつ)を乞ひ、明年政始の時に於て勤倹の詔を公布せられんことを懇請す」
そして翌明治12年3月、「興国の本は勤倹にあり。祖宗実に勤倹を以て国を建つ。」という内容の「利用厚生の詔」が渙発されたのである。これは内容のとおり国民に勤倹を促すものであるから、「中外に公布」は「宮廷の内と外」つまり「全国(民)に対し公的に広める」である。教育勅語の「中外」と同じであり、外国は関係がない。
◇2 徳目の普遍性
この「之を中外に施して悖らず」をめぐっては、さまざまな文章が残されている。
◎大久保芳太郎著『教育勅語通證』(明治32年)
「之ヲ中外ニ施シテ悖ラスは、皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶に遵守すべき所の道は内地に施行するもまたは外国に施設するも、悖戻(はいれい)することなくなり」
日清戦争後の出版であるが、前後の文脈から「之」は「斯の道」であり「忠孝の道」としているから徳目について語っていると考えてよいだろう。この徳目は普遍的である、と述べていると解釈できる。誤解は訂正されていないものの、「日本の影響を世界に及ぼす」ことは感じられない。
◎田中巴之助『勅語玄義』(明治38年)
「天壌無窮の皇運が、すでに世界統一といふことに邁進すべき使命天運を有して居るのである……(中略)……『之を中外に施して悖らず』とは、姑らく(しばらく j消極的部面から温順に世界統一の洪謨(こうぼ)をお示し遊ばされたもので、其必然的気運の命ずる所、必ず積極的意義の忠孝徳化が、快活霊妙なる力となって、世界を信服せしめねばならぬ筈(はず)である」
田中巴之助は「八紘一宇」を造語したといわれている田中智学である。参考にしたものは2版であって、これが日露戦争中から書かれていたか、戦後に書かれたかは確認できないが、いずれにしても気分は世界に向かっている。『世界統一の天業』では霊的統一主義などという言葉も用いている。
◇3 「大道を世界に宣布せよ」
◎堂屋敷竹次郎著『実践教育勅語真髄』(明治44年)
「此中外に施して悖らざる大道を世界に宣布せよとなり、此大道を以て中外を征服せよとなり、嗚呼世界統一は、天神が日本国に下し給ひたる唯一の使命たるを、炳々晃々として疑ふ可からず」
『実践教育勅語真髄』は日清日露戦争の後、日韓併合の翌年に出版されており、沢柳政太郎東北大学総長の序文や井上円了文博の題辞がある。したがってこの時期の一般的な教育勅語の解説書だとみて妥当だろう。
「我国の世界を統一せんとするは、一に此美麗なる忠孝仁義の大道を知らざる不孝者をして、幸福なる天神の目的に副はしめんとの至慈至誠心に外ならざる也」
各国と日本との世界統一の根本精神の差異を述べているのであるが、中外に施して悖らざる大道を世界に宣布、という意識ははっきりしている。
そしてこの明治44年には井上哲次郎の「教育勅語に関する所感」がある。「日本は仏蘭西と非常に違って教育勅語といふやうな聖典があるのであって」と述べ、「さうして又日清戦争日露戦争といふ二大戦争の前に此勅語が発布されて居りまするが此二大戦争に依(よ)って教育勅語の御精神は充分に実現されていると思ふ」と語っているのである。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼(ふよく)すべし」が実現されているということだろう。
◎徳富蘇峰「大正の青年と帝国の前途」(大正5年)『近代日本思想大系8』
「折角の教育勅語も、之を帝国的に奉承せずして、之を島国的に曲解し、之を積極的に拝戴せずして、之を消極的に僻受し、之を皇政復古、世界対立の維新改革の大精神に繋がずして、之を偏屈、固陋なる旧式の忠孝主義に語訳し、……(中略)……大和民族を世界に膨張せしむる、急先鋒の志士は、却て寥々世に聞ゆるなきが如かりしは、寧ろ甚大の恨事と云はずして何ぞや」
「帝国的に奉承」「大和民族を世界に膨張せしむる」という言葉は扇動的であるが、これもこの時代の雰囲気を表わしているだろう。
◇4 「世界的大真理」
◎田中智学『明治天皇勅教物がたり』(昭和5年)
「既に、皇祖皇宗の御遺訓たる斯道は、その儘『天地の公道』『世界の正義』で、決して日本一国の私の道でない。トいふ義は、元来日本建国の目的が、広く人類全体の絶対平和を築かうために、その基準たる三大綱に依って『国ヲ肇メ徳ヲ樹テ』られたのである。……(中略)……此三大綱は、建国の基準、国体の原則であって、彼の自由平等博愛などより、もっと根元的で公明正大な世界的大真理である」
教育勅語の「斯の道」を解説して、日本書紀から引用し、「積慶(せきけい)」「重暉(ちょうき)」「養正(ようせい)」の三大綱によって「建国の目的」を語っている。
「故(か)れ蒙(くら)くして以て正を養ひ、此の西の偏(ほとり)を治(しら)せり。皇祖皇考(みおや)、乃神乃聖(かみひじり)にまして、慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ね、多(さは)に年所(としのついで)を歴(へ)たまへり」(神武天皇・天業恢弘東征の詔)
肇国の古伝承が「現に違はせ給はざるを以て、神代の古伝説の、虚偽ならざること」(本居宣長)として、教育勅語の基にあることは井上毅「梧陰存稿」に明らかである。ただしそれは、「しらす」という意義の君徳と臣民の徳目を、我が国体の精華・教育の淵源として諭されるためのものであった。
しかし田中智学の「斯の道」は「天地の公道」「世界の正義」で「世界的大真理」となっている。これらは「古今に謬らず中外に悖らざる天地の公道だと喝破せられたのは、即ち神武天皇のご主張たる『人類同善世界一家』の皇猷(こうゆう)を直写せられた世界的大宣言と拝すべきであらう」にあるとおり、「中外に施して悖らず」の誤解が推進力となっている。
また田中智学の「徳を樹つること深厚なり」の「徳」の解説も物足りない。「しらす」が一言も解説されていないからである。「世界的大真理」は井上毅のいわゆる起草七原則からはあり得ない。そして昭和17年の『思想国防の神髄』では「日本は武国なり、武を以て国土経営の精神を為し、民衆指導の目標と為して建鼎せられたる国也」と述べているのである。
◇5 誤解が集中した『国体の本義』
◎荒木貞夫『昭和日本の使命』(昭和7年)
「我建国の真精神と、日本国民としての大理想の、渾然たる融和合一の示現とも称すべき『皇道』は、その本質に於て、四海に宣布し、宇内に拡充すべきものである
日本は、日本だけの平和と繁栄を守るだけで満足すべきではなく、更に東亜の天地にその理想を展べ、更に更に広くこれを世界に及ぼさねばならぬ。この大理想は、皇祖神武天皇東夷御親征の大事業を畢(お)へさせ給ひ、大和の橿原に……
明治、大正の両時代を通じて、漸次に興隆したる、国民的意気を紹述して、更にこれを建国の大精神と合致せしめ以て皇道を四海に宣布する、これが昭和日本の真使命である」
昭和7年の2月に出版された同書は4月には第20版となっている。全国に流布したと考えてよいだろう。満州事変の原因に支那の日本軽侮があるとして、武を用いることも降魔の剣を揮うことに外ならない、とも述べている。ほとんど田中智学とかわらない。
◎文部省『国体の本義』(昭和12年)
「我等が世界に貢献することは、ただ日本人たるの道を弥々発揮することによってのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによって、惟れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である」
『国体の本義』にある天皇御親政と天皇=現人神が大日本帝国憲法に違背したものであることは、当サイト「人間宣言異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/ningensengen.html〉に仔細を述べた。大日本帝国憲法と教育勅語に対する誤解がこの『国体の本義』に輻湊(ふくそう)しているといってもよい。
◎桐生悠々「世界大なる日本精神」(昭和13年)『日本平和論大系9』
「我には我に独自な、しかも「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らざる」万古不易にして、世界大なる日本精神が存在するのに、何の必要あってか、ドイツの全体主義、名は全体主義であっても、実は非全体主義なる、しかも北方ゲルマン民族の興隆にのみ重きを置き、他の民族を排するが如き思想を、無批判的に、その儘輸入して、これに臣従するの理由があろう」
いろいろな考え方があっても、教育勅語の「中外」の解釈はみな誤っている。桐生悠々はおそらく最も多く「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」を引用したのではないかと思われるが、「中外」の誤解は他の著作者たちと同じである。
◇6 「国体が世界大に拡大する」
◎東亜聯盟同志会「昭和維新論」(昭和18年)『超国家主義』(現代日本思想大系第31)
「皇国日本の国体は世界の霊妙不思議として悠古の古より厳乎として存在したものであり、万邦にその比を絶する独自唯一の存在である。中外に施して悖らざる天地の公道たる皇道すなわち王道は、畏くも歴代祖宗によって厳として御伝持遊ばされ、歴世相承けて今日に至った。
八紘一宇とは、この日本国体が世界大に拡大する姿をいうのである。すなわち御稜威の下、道義をもって世界が統一せられることであって、換言すれば天皇が世界の天皇と仰がせられ給うことにほかならない」
東亜聯盟同志会の指導者は石原莞爾であって、この論調は彼の『最終戦争論』と同じものである。皇国日本の国体は万邦にその比を絶する、ということはその通りとしても、その「日本国体が世界大に拡大する」というような表現はホルトムが指摘する日本国家主義の本質的な基礎にほとんど同じである。「中外に施して悖らず」がその基盤にある。
◎林銑十郎『興亜の理念』(昭和18年)
「日本を結び、日本を統べます君であると同時に広くは世界を結び、統べます君である。ここに日本が八紘一宇の世界結びの中核体であることが自からはっきりとしてくるのである」
これらの言説も基は「之を中外に施して悖らず」にあるだろう。
◇7 言質を与えた神祇院
◎神祇院『神社本義』(昭和19年)
「この万世易ることなき尊厳無比なる国体に基づき、太古に肇より無窮に通じ、中外に施して悖ることなき道こそは、惟神(かんながら)の大道である
まことに天地の栄えゆく御代に生れあひ、天業恢弘の大御業に奉仕し得ることは、みたみわれらの無上の光栄であって、かくして皇国永遠の隆昌を期することができ、万邦をして各々その所を得しめ、あまねく神威を諸民族に光被せしめることによって、皇国の世界的使命は達成せられるのである」
GHQ神道指令にいう過激なる国家主義を概括したような『神社本義』となっている。さしたる成果もないまま廃止となった神祇院である。しかし惟神の大道を中外に施して悖らず、皇国の世界的使命は神威を諸民族に光被せしめることとして、GHQに過激なる国家主義があたかも神道と関係があるかのような言質を与えたのは痛恨事としか言いようがない。
◎鈴木貫太郎総理大臣(施政方針演説)(昭和20年6月9日)『日本国会百年史』
「万邦をして各々其の所を得しめ、侵略なく搾取なく、四海同胞として人類の道義を明らかにし、其の文化を進むることは、実に我が皇室の肇国以来のご本旨であられるのであります。米英両国の非道は遂に此の古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる国是の遂行を、不能に陥れるに至ったものであります。即ち、帝国の戦争は実に人類正義の大道に基づくものでありまして、断乎戦い抜くばかりであります」
「古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる国是」は誤解の上に立ったものであるから、その具体的な内容は、本当のところはよく分からない。明治維新から日清日露戦争に勝利して、日韓併合まで50年も経っていない。すでに一等国の仲間入りを果たしている。我国の来歴を想えば由緒正しい肇国の古伝承がある。明治大帝は、之を中外に施して悖らず、と勅語に仰せられた。神州不滅が当然のこととなったのである。
先の戦争へのそれぞれの思惑は異なったものがあるにしても、思想傾向を問わず、さまざまな人たちの言説に「之を中外に施して悖らず」がある。「肇国の大義を諸民族に施して悖らず」と同義であった。「中外に施して悖らざる国是」だから「聖戦」とされたのである。
しかし「中外」解釈の誤りは訂正されていない。教育勅語の「中外」を「国の内外」と解釈できる根拠はひとつも存在しない。教育勅語についてGHQが疑問とした部分がここにある。(つづく)
☆斎藤吉久注 佐藤さんのご了解を得て、佐藤さんのウェブサイト「教育勅語・国家神道・人間宣言」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/index.html〉から転載させていただきました。読者の便宜を考え、適宜、編集を加えています。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴
第3回 「中外」の誤解
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
◇1 「之(これ)を中外に施して悖(もと)らず」
ホルトムやウッダードらの著作からすると、彼らのいう国家神道の聖典は教育勅語だというのであるから、これを検証せずして神道指令は理解できない。教育勅語は道徳紊乱(びんらん)を正すために渙発(かんぱつ)された明治天皇のお言葉である。それがなぜ国家神道の聖典だというのだろう?
ダイクの語る教育勅語の「之を中外に施して悖らず」の「中外」が、官定解釈といわれた井上哲次郎『勅語衍義(えんぎ)』以降、つまり最初から誤解されてきたことは、当サイトの「教育勅語異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kyouikuchokugo.html〉に述べたところである。この場合の「中外」は「国の内外」ではない。「宮廷の内と外」「朝廷と民間」が正しい解釈である。
明治11(1878)年8月30日から同年11月9日までの北陸東海両道巡幸から戻られた天皇は、各地の実態をご覧になったことから、岩倉右大臣へ民政教育について叡慮(えいりょ)あらせられた。それについて元田永孚(もとだ・ながさね)は「古稀之記」に次のように記している。
「12月29日同僚相議して曰(いわく)、勤倹の旨、真の叡慮に発せり。是(これ)誠に天下の幸、速(すみやか)に中外に公布せられ施政の方鍼(ほうしん)を定めるべしと。余、佐々木と二人右大臣の邸を訪ひ面謁(めんえつ)を乞ひ、明年政始の時に於て勤倹の詔を公布せられんことを懇請す」
そして翌明治12年3月、「興国の本は勤倹にあり。祖宗実に勤倹を以て国を建つ。」という内容の「利用厚生の詔」が渙発されたのである。これは内容のとおり国民に勤倹を促すものであるから、「中外に公布」は「宮廷の内と外」つまり「全国(民)に対し公的に広める」である。教育勅語の「中外」と同じであり、外国は関係がない。
◇2 徳目の普遍性
この「之を中外に施して悖らず」をめぐっては、さまざまな文章が残されている。
◎大久保芳太郎著『教育勅語通證』(明治32年)
「之ヲ中外ニ施シテ悖ラスは、皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶に遵守すべき所の道は内地に施行するもまたは外国に施設するも、悖戻(はいれい)することなくなり」
日清戦争後の出版であるが、前後の文脈から「之」は「斯の道」であり「忠孝の道」としているから徳目について語っていると考えてよいだろう。この徳目は普遍的である、と述べていると解釈できる。誤解は訂正されていないものの、「日本の影響を世界に及ぼす」ことは感じられない。
◎田中巴之助『勅語玄義』(明治38年)
「天壌無窮の皇運が、すでに世界統一といふことに邁進すべき使命天運を有して居るのである……(中略)……『之を中外に施して悖らず』とは、姑らく(しばらく j消極的部面から温順に世界統一の洪謨(こうぼ)をお示し遊ばされたもので、其必然的気運の命ずる所、必ず積極的意義の忠孝徳化が、快活霊妙なる力となって、世界を信服せしめねばならぬ筈(はず)である」
田中巴之助は「八紘一宇」を造語したといわれている田中智学である。参考にしたものは2版であって、これが日露戦争中から書かれていたか、戦後に書かれたかは確認できないが、いずれにしても気分は世界に向かっている。『世界統一の天業』では霊的統一主義などという言葉も用いている。
◇3 「大道を世界に宣布せよ」
◎堂屋敷竹次郎著『実践教育勅語真髄』(明治44年)
「此中外に施して悖らざる大道を世界に宣布せよとなり、此大道を以て中外を征服せよとなり、嗚呼世界統一は、天神が日本国に下し給ひたる唯一の使命たるを、炳々晃々として疑ふ可からず」
『実践教育勅語真髄』は日清日露戦争の後、日韓併合の翌年に出版されており、沢柳政太郎東北大学総長の序文や井上円了文博の題辞がある。したがってこの時期の一般的な教育勅語の解説書だとみて妥当だろう。
「我国の世界を統一せんとするは、一に此美麗なる忠孝仁義の大道を知らざる不孝者をして、幸福なる天神の目的に副はしめんとの至慈至誠心に外ならざる也」
各国と日本との世界統一の根本精神の差異を述べているのであるが、中外に施して悖らざる大道を世界に宣布、という意識ははっきりしている。
そしてこの明治44年には井上哲次郎の「教育勅語に関する所感」がある。「日本は仏蘭西と非常に違って教育勅語といふやうな聖典があるのであって」と述べ、「さうして又日清戦争日露戦争といふ二大戦争の前に此勅語が発布されて居りまするが此二大戦争に依(よ)って教育勅語の御精神は充分に実現されていると思ふ」と語っているのである。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼(ふよく)すべし」が実現されているということだろう。
◎徳富蘇峰「大正の青年と帝国の前途」(大正5年)『近代日本思想大系8』
「折角の教育勅語も、之を帝国的に奉承せずして、之を島国的に曲解し、之を積極的に拝戴せずして、之を消極的に僻受し、之を皇政復古、世界対立の維新改革の大精神に繋がずして、之を偏屈、固陋なる旧式の忠孝主義に語訳し、……(中略)……大和民族を世界に膨張せしむる、急先鋒の志士は、却て寥々世に聞ゆるなきが如かりしは、寧ろ甚大の恨事と云はずして何ぞや」
「帝国的に奉承」「大和民族を世界に膨張せしむる」という言葉は扇動的であるが、これもこの時代の雰囲気を表わしているだろう。
◇4 「世界的大真理」
◎田中智学『明治天皇勅教物がたり』(昭和5年)
「既に、皇祖皇宗の御遺訓たる斯道は、その儘『天地の公道』『世界の正義』で、決して日本一国の私の道でない。トいふ義は、元来日本建国の目的が、広く人類全体の絶対平和を築かうために、その基準たる三大綱に依って『国ヲ肇メ徳ヲ樹テ』られたのである。……(中略)……此三大綱は、建国の基準、国体の原則であって、彼の自由平等博愛などより、もっと根元的で公明正大な世界的大真理である」
教育勅語の「斯の道」を解説して、日本書紀から引用し、「積慶(せきけい)」「重暉(ちょうき)」「養正(ようせい)」の三大綱によって「建国の目的」を語っている。
「故(か)れ蒙(くら)くして以て正を養ひ、此の西の偏(ほとり)を治(しら)せり。皇祖皇考(みおや)、乃神乃聖(かみひじり)にまして、慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ね、多(さは)に年所(としのついで)を歴(へ)たまへり」(神武天皇・天業恢弘東征の詔)
肇国の古伝承が「現に違はせ給はざるを以て、神代の古伝説の、虚偽ならざること」(本居宣長)として、教育勅語の基にあることは井上毅「梧陰存稿」に明らかである。ただしそれは、「しらす」という意義の君徳と臣民の徳目を、我が国体の精華・教育の淵源として諭されるためのものであった。
しかし田中智学の「斯の道」は「天地の公道」「世界の正義」で「世界的大真理」となっている。これらは「古今に謬らず中外に悖らざる天地の公道だと喝破せられたのは、即ち神武天皇のご主張たる『人類同善世界一家』の皇猷(こうゆう)を直写せられた世界的大宣言と拝すべきであらう」にあるとおり、「中外に施して悖らず」の誤解が推進力となっている。
また田中智学の「徳を樹つること深厚なり」の「徳」の解説も物足りない。「しらす」が一言も解説されていないからである。「世界的大真理」は井上毅のいわゆる起草七原則からはあり得ない。そして昭和17年の『思想国防の神髄』では「日本は武国なり、武を以て国土経営の精神を為し、民衆指導の目標と為して建鼎せられたる国也」と述べているのである。
◇5 誤解が集中した『国体の本義』
◎荒木貞夫『昭和日本の使命』(昭和7年)
「我建国の真精神と、日本国民としての大理想の、渾然たる融和合一の示現とも称すべき『皇道』は、その本質に於て、四海に宣布し、宇内に拡充すべきものである
日本は、日本だけの平和と繁栄を守るだけで満足すべきではなく、更に東亜の天地にその理想を展べ、更に更に広くこれを世界に及ぼさねばならぬ。この大理想は、皇祖神武天皇東夷御親征の大事業を畢(お)へさせ給ひ、大和の橿原に……
明治、大正の両時代を通じて、漸次に興隆したる、国民的意気を紹述して、更にこれを建国の大精神と合致せしめ以て皇道を四海に宣布する、これが昭和日本の真使命である」
昭和7年の2月に出版された同書は4月には第20版となっている。全国に流布したと考えてよいだろう。満州事変の原因に支那の日本軽侮があるとして、武を用いることも降魔の剣を揮うことに外ならない、とも述べている。ほとんど田中智学とかわらない。
◎文部省『国体の本義』(昭和12年)
「我等が世界に貢献することは、ただ日本人たるの道を弥々発揮することによってのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによって、惟れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である」
『国体の本義』にある天皇御親政と天皇=現人神が大日本帝国憲法に違背したものであることは、当サイト「人間宣言異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/ningensengen.html〉に仔細を述べた。大日本帝国憲法と教育勅語に対する誤解がこの『国体の本義』に輻湊(ふくそう)しているといってもよい。
◎桐生悠々「世界大なる日本精神」(昭和13年)『日本平和論大系9』
「我には我に独自な、しかも「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らざる」万古不易にして、世界大なる日本精神が存在するのに、何の必要あってか、ドイツの全体主義、名は全体主義であっても、実は非全体主義なる、しかも北方ゲルマン民族の興隆にのみ重きを置き、他の民族を排するが如き思想を、無批判的に、その儘輸入して、これに臣従するの理由があろう」
いろいろな考え方があっても、教育勅語の「中外」の解釈はみな誤っている。桐生悠々はおそらく最も多く「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」を引用したのではないかと思われるが、「中外」の誤解は他の著作者たちと同じである。
◇6 「国体が世界大に拡大する」
◎東亜聯盟同志会「昭和維新論」(昭和18年)『超国家主義』(現代日本思想大系第31)
「皇国日本の国体は世界の霊妙不思議として悠古の古より厳乎として存在したものであり、万邦にその比を絶する独自唯一の存在である。中外に施して悖らざる天地の公道たる皇道すなわち王道は、畏くも歴代祖宗によって厳として御伝持遊ばされ、歴世相承けて今日に至った。
八紘一宇とは、この日本国体が世界大に拡大する姿をいうのである。すなわち御稜威の下、道義をもって世界が統一せられることであって、換言すれば天皇が世界の天皇と仰がせられ給うことにほかならない」
東亜聯盟同志会の指導者は石原莞爾であって、この論調は彼の『最終戦争論』と同じものである。皇国日本の国体は万邦にその比を絶する、ということはその通りとしても、その「日本国体が世界大に拡大する」というような表現はホルトムが指摘する日本国家主義の本質的な基礎にほとんど同じである。「中外に施して悖らず」がその基盤にある。
◎林銑十郎『興亜の理念』(昭和18年)
「日本を結び、日本を統べます君であると同時に広くは世界を結び、統べます君である。ここに日本が八紘一宇の世界結びの中核体であることが自からはっきりとしてくるのである」
これらの言説も基は「之を中外に施して悖らず」にあるだろう。
◇7 言質を与えた神祇院
◎神祇院『神社本義』(昭和19年)
「この万世易ることなき尊厳無比なる国体に基づき、太古に肇より無窮に通じ、中外に施して悖ることなき道こそは、惟神(かんながら)の大道である
まことに天地の栄えゆく御代に生れあひ、天業恢弘の大御業に奉仕し得ることは、みたみわれらの無上の光栄であって、かくして皇国永遠の隆昌を期することができ、万邦をして各々その所を得しめ、あまねく神威を諸民族に光被せしめることによって、皇国の世界的使命は達成せられるのである」
GHQ神道指令にいう過激なる国家主義を概括したような『神社本義』となっている。さしたる成果もないまま廃止となった神祇院である。しかし惟神の大道を中外に施して悖らず、皇国の世界的使命は神威を諸民族に光被せしめることとして、GHQに過激なる国家主義があたかも神道と関係があるかのような言質を与えたのは痛恨事としか言いようがない。
◎鈴木貫太郎総理大臣(施政方針演説)(昭和20年6月9日)『日本国会百年史』
「万邦をして各々其の所を得しめ、侵略なく搾取なく、四海同胞として人類の道義を明らかにし、其の文化を進むることは、実に我が皇室の肇国以来のご本旨であられるのであります。米英両国の非道は遂に此の古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる国是の遂行を、不能に陥れるに至ったものであります。即ち、帝国の戦争は実に人類正義の大道に基づくものでありまして、断乎戦い抜くばかりであります」
「古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる国是」は誤解の上に立ったものであるから、その具体的な内容は、本当のところはよく分からない。明治維新から日清日露戦争に勝利して、日韓併合まで50年も経っていない。すでに一等国の仲間入りを果たしている。我国の来歴を想えば由緒正しい肇国の古伝承がある。明治大帝は、之を中外に施して悖らず、と勅語に仰せられた。神州不滅が当然のこととなったのである。
先の戦争へのそれぞれの思惑は異なったものがあるにしても、思想傾向を問わず、さまざまな人たちの言説に「之を中外に施して悖らず」がある。「肇国の大義を諸民族に施して悖らず」と同義であった。「中外に施して悖らざる国是」だから「聖戦」とされたのである。
しかし「中外」解釈の誤りは訂正されていない。教育勅語の「中外」を「国の内外」と解釈できる根拠はひとつも存在しない。教育勅語についてGHQが疑問とした部分がここにある。(つづく)
☆斎藤吉久注 佐藤さんのご了解を得て、佐藤さんのウェブサイト「教育勅語・国家神道・人間宣言」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/index.html〉から転載させていただきました。読者の便宜を考え、適宜、編集を加えています。
タグ:教育勅語
コメント 0