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3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴 最終回 「国家神道」の正体 [国家神道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴
    最終回 「国家神道」の正体
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◇1 教育勅語解釈の変遷

 GHQが神道指令に「国家神道」と述べたものの教義は、日本の超国家主義・過激なる国家主義である。そして過激なる国家主義を表現したものには、教育勅語の「之(これ)を中外に施して悖(もと)らず」が共通の基盤として存在する。

 さまざまな資料から分かることは、GHQが日本人の教育勅語解釈に疑問を感じていたことである。疑問を解けないまでも、「斯(こ)の道」=「之」の主張する内容に変化があったことまでは突き止めている。残念ながら、当時の日本の要人たちよりは教育勅語をよく研究していたといってよいだろう。

「教育勅語異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kyouikuchokugo.html〉に述べたとおり、教育勅語の「斯の道」の解釈には変遷がある。渙発(かんぱつ)当初からしばらくは、「斯の道」は忠孝等の「徳目」であった。それが日露戦争以降は「世界統一」などの要素が加わってくる。そして大正から終戦までは「建国の精神」「八紘一宇(はっこういちう)」による「世界統一」が「斯の道」であり「皇国の道」となったのである。

「之を中外に施して悖らず」の「之」=「斯の道」が「徳目」から「皇国の道」となり、「肇国(ちょうこく)の精神の顕現」とも言われ、我が国の「世界史的使命」とまでなったのである。一言でいうと、まさにそのことが「皇運扶翼(ふよく)」であった。

 教育勅語の「斯の道」とは、本来は「しらす」という意義の君徳とそれに対する臣民の忠孝などの徳目実践である。それゆえ「子孫臣民の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所」と続いているのである。したがって、この日露戦争以降からの「斯の道」の解釈の変遷は、最初から誤ったものだと言えるのである。


◇2 誤解を決定づけた井上哲次郎『勅語衍義』

 また、「中外」は「国の内外」ではない。「宮廷の内と外」、文脈から解釈すれば「全国民」である。したがって「中外に施して悖らず」とは、「全国民に示して(教えて)間違いがない」という意味である(「教育勅語異聞」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kyouikuchokugo.html〉)。「国内だけでなく、外国でとり行っても」は誤解である。そしてこのことは、現在でも訂正されていない。

 教育勅語渙発直後の明治23年11月7日の新聞「日本」は説明不足であった。「中外」は「宮廷の内と外」つまり「全国民」という意味であることを明確に示すべきだったろう。誤解を生じさせた可能性があるといわれても仕方がない。そして井上哲次郎『勅語衍義(えんぎ)』が誤解を決定的にした。

「斯の道」が「肇国の精神の顕現」となれば、記紀の文言が引用されるのは当然の成り行きである。昭和戦前の国家主義的といわれるものの文章に神がかり的な文言が多いのはこのためである。

◎「ルーズベルトに与ふる書」市丸海軍少将(靖国神社遊就館)

「畏(かしこ)くも日本天皇は、皇祖皇宗の大詔に明なる如く、養正(正義)、重暉(ちょうき)(明智)、積慶(せっけい)(仁慈)を三綱とする、八紘一宇の文字により表現せらるる皇謨(こうぼ)に基き、地球上のあらゆる人類は其の分に従ひ、其の郷土に於て、その生を享有せしめ、以て恒久的世界平和の確立を唯一念願さらるるに外ならず」

 田中智学『明治天皇勅教物がたり』にほぼ類似した文章であるが、この文章を正確に読むには、やはり教育勅語の「斯の道」の解釈の変遷と「中外」の誤解を知る必要があるだろう。「肇国の精神の顕現」となれば、神武天皇・天業恢弘(かいこう)東征の詔(みことのり)が引用されるのである。


◇3 神がかり的発言の心情的基礎

 竹山道雄『昭和の精神史』はこの時代を語って説得力のある好著である。このなかでグルー大使の興味ある話が紹介されている。「日本人は事実を知ることを許されていないのだから、この点は割引して考うべきかも知れないが、長い年月自由主義を標榜してきた早稲田大学の総長ともあろう理知的で学究的な人が、どうして次のようなたわごとを書くことができるのか、いささか了解に苦しむ」というものである。そしてそのたわごとと言われたものを孫引きすると次のとおりである。

「過日の近衛声明に力説されたように、現闘争における日本の目的は、些々(ささ)たる領土獲得ではない。これはむしろ中国の独立を防衛し、中国の主権を尊重しつつ、東亜に新秩序を建設せんとするにある。この堂々たる使命を達成せんとして、日本は歴史上最大の戦争を敢(あえ)てせざるをえなかった。世界のいずくにかかる崇高なる理想をもって戦われる戦争の実例が見出されるか? これこそ正しく聖戦と呼ばるべきである」

 しかし、この文章も驚くには至らない。大正6年10月、西田幾多郎は『思潮』において「日本的趣味が真に芸術的となるには、日本人の私有物ではなくて、公のものとならねばならぬ。古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる公道の一部でなければならぬ。……(中略)……我が国の文化に対して、唐人も高麗人も大和心になりぬべし、という自信をもってみたい」と、「日本的ということについて」で述べている。

 また、昭和18年にまとめられたとされている「世界新秩序の原理」は具体性を欠いているが、「我国の皇道には、八紘為宇(はっこういう)の世界形成の原理が含まれて居る」として、「今日の世界史的課題の解決が我国体の原理から与へられると云ってよい。英米が之に服従すべきであるのみならず、枢軸国も之に倣ふに至るであらう」と結んでいる。

 井上哲次郎は昭和17年、『釈明 教育勅語衍義』において、「我が日本には『惟神大道』が行はれて来て居って、而(しか)して今回の支那事変だの、大東亜戦争だの、いろいろに戦争が展開されて、大きな世界的関係を有するに至って、益々(ますます)日本が一種云ふべからざる神秘的な権威を有することが明かになって来たのは、『惟神大道』の然(しか)らしめるところであると吾々は信じて疑はない」と言い切っている。

 国家機関や軍人、政治家のみならず、学者・言論人も、総じて神がかり的発言をなしたものが多い。そしてその心情的な基礎には、教育勅語の「之を中外に施して悖らず」の誤った解釈が厳然たる事実として存在する。


◇4 利用された教育勅語

 最初に述べたとおり、我が国の法令上に国家神道を特定できるものは存在しない。むろん教義もない。GHQが日本軍とともに解体しようとした日本人の精神基盤を、「国家神道」という枠組みで考えようとしたことには、複雑な経緯があるはずである。

 日本人のさまざまな著作から判断して、天皇を現御神・現人神とする信仰があり、教育勅語の「之を中外に施して悖らず」が過激なる国家主義のもとになっている。「之」や「斯の道」のすべては解読できないが、教育勅語の超国家主義的解釈が存在する。GHQがこう考えて無理はない。

「教育勅語」は、『国体の本義』などの解説書によって公的解釈をつけられて、他国に対する日本の優越を主張し、日本国が神聖な使命を負っていることを説くものとして利用されたのである(『天皇と神道』)

 GHQ神道指令にいう「国家神道」は、日本の過激なる国家主義、超国家主義を解明しない限りその正体は分からない。「八紘を一宇とする肇国の大精神」(東條英機宣誓供述書)を過激なる国家主義とするか否かは、ここでは論じない。GHQがこれを「国家神道」の教義と呼ぶのは勝手である。しかし我が国がこの定義をそのまま受け入れたことは、近現代史の一大痛恨事である。

 GHQ神道指令にいう「国家神道」は、教育勅語と宣命の誤った解釈から発生した(彼らの謂う)日本の過激なる国家主義である。神道とはまったく関係がない。


☆ 結 び ☆

◇1 真意を知る日本人がいなかった

 ポツダム宣言・人権指令・神道指令、そして日本国憲法第20条と第89条にまで発展したGHQの宗教政策であるが、憲法改正はCIE(民間情報教育局)の任務ではなかったようである。

 しかしバンスは、最終草案完成まで民政局の討論に加わっている(『天皇と神道』)。バンスはもちろん、GHQには教育勅語解釈の誤りも宣命解釈の誤りも剔抉(てっけつ)できない。したがっていわゆる人間宣言についても、正確な解釈はできていない。その状態で日本国憲法草案はつくられたのである。

 しかし何より問題なのは、日本人の誰一人として教育勅語や新日本建設に関する詔書の真意を語る者がいなかったことである。GHQの占領下にあって、未曽有の制約があっただけではない。どちらについても、誤った解釈を疑わなかったのである。

 ウッダードによれば、神道についてバンスに影響を与えたのはホルトムだけではない。姉崎正治博士、加藤玄智博士、宮地直一博士、岸本英夫博士らも同様に大きな影響を及ぼしたとある。彼らの著作や現在までの状況を考えると、教育勅語と現御神に関する宣命を正しく解釈していた博士は一人もいない。ウッダードの『天皇と神道』にそれは明らかである。

 村上重良著『国家神道』は「国家神道」の教義は教育勅語で完成したとし、ホルトムは「国家神道」のもとには国家主義があり、その聖典は教育勅語であるとした。いずれも事実に基づいていない。

 GHQのいう「国家神道」を連想させる文言は、日露戦争以前の教育勅語解釈には見当たらない。最初から誤解された教育勅語ではあるが、「斯の道」の変遷と「中外」の誤解が相俟(あいま)って出来たのが、「国家神道」の教義といえば教義である。神道そのものとは関係がない。

 このことが理解されていれば、日本国憲法施行から今日まで何らかの議論になったはずである。終戦直後の侍従次長木下道雄は「新日本建設に関する詔書について一言」として明確なメッセージを残してくれている(『宮中見聞録』)。しかしその真意を語る者はなく、未だにあの詔書を人間宣言と謂(い)って憚(はばか)らない。

 教育勅語についても、誤った解釈を訂正しようとしない。上にあげた宗教学関係の学者たちについて云えば、彼らが井上毅『梧陰存稿』や本居宣長『続紀歴朝詔詞解』を理解していなかったことは、疑う余地がない。


◇2 これまでの靖国論議は無効

 我が国の政教問題は泥沼化して、今日に至っている。日本国憲法第20条と第89条の基となった神道指令にある「国家神道」の正体が、不明なままの議論だからである。

 事実に立脚していないこれまでの靖国論議は、すべて無効なのではないか。政教問題を論ずるには、まずこのGHQ神道指令にある「国家神道」の定義を正すことが優先されるべきではないか。

 昭和21年5月、GHQの強力な圧力の下、文部省は「新教育指針」において、「国家神道(神社神道)だけは……実際上は宗教たる性質をそなえ、しかも国民の宗教として国家と深く結びつき……神社神道以外の宗教(例えばキリスト教の如き)を、あたかも国事に有害であるかのように取り扱う人々すらあった」と書かされた。「実際上」ならその違法・逸脱行為者を問題とすべきであり、神道に責を負わせるべきものではないはずである。

 昭和24年4月、矢内原忠雄東大教授は「近代日本における宗教と民主主義」において、「事実上神社に国教的地位を認めながら……」と述べ、「日本の民主主義化のためには、国民の間に真正の基督教信仰が広く且つ深く植えつけられねばならない」と記している。

 昭和52年7月の「津地鎮祭裁判」における最高裁判決の追加反対意見(違憲判断)には、この矢内原論文を引用したことが明記されている。帝国憲法は制限付きの治教の自由であったとして、「事実上神社神道を国教的取扱いにした国家神道の体制が確立」していたとある。書いたのが矢内原忠雄と同じキリスト教徒の藤林益三裁判長であったことは、よく知られているところである。


◇3 根拠を示さない政教分離裁判

 平成9年4月、「愛媛玉ぐし料訴訟」における最高裁大法廷の判決文には、帝国憲法の信教の自由は制限付きであった、と前置きをして次のように記されていた。「国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、ときとして、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し、厳しい迫害が加えられた」。

 平成16年の「福岡靖国判決」にもこの「事実上の国教」は採用され、「国家と神道は密接に結びつき、事実上国教的な地位を与えられ、これに対する信仰が強制され、また、一部の宗教団体に対して厳しい迫害が加えられた」として、ほとんど同じ文面で用いられている。

 平成22年1月の「北海道砂川市政教分離訴訟」最高裁判決においては──事実根拠が提示できないせいか──「国家神道」は二つの「補足意見」に用いられている。

「過去の我が国における国家神道下で他宗教が弾圧された現実の体験に鑑み」政教分離を制度として保障したのが憲法第89条の趣旨だ、というのがその一つである。もう一つは、帝国憲法が信教の自由を保障しながら「神社神道につき財政的支援を含めて事実上国教的取扱いをなし」たとして、日本国憲法第20条と第89条の背景を語っている。

 以上の判決文にある「事実上の国教」について、「国家神道」について、検証し得る根拠は一つも示されたことがない。これが我が国の政教分離裁判における判決文の実態である。

 平成16年の「福岡靖国判決」における被告は、小泉純一郎総理大臣と国の代表者野澤太三法務大臣であった。なぜ福岡地裁にたいし、「事実上の国教」や国家神道の客観的根拠を求めなかったのか。このままでは「歴史の刷り込み」で誤りが角質化してゆくばかりではないか。


◇4 誤りを垂れ流す無責任

 やはり「国家神道」を、事実に基づいて定義することが必要である。「教育勅語と宣命(せんみょう)解釈の誤り」というキーを挿入すれば、GHQのいう「国家神道」の教義は一瞬にして雲散霧消する。この手続きを経た上で、神道指令を克服し、国家としての祭祀の在り方を議論することが正しい政教論争となるのではないか。

 GHQ占領憲法といわれる日本国憲法の第98条にしたがって、教育勅語は他の教育に関する諸詔勅とともに排除された。したがって歴史的文献となった詔勅の解釈を正しても、ただそれだけという可能性がある。

 しかし政教分離裁判における「国家神道」の定義について、教育勅語の事実に立脚した解釈として採用されたなら、客観的で公的な解釈として後世に伝えられるのではないか。鬱陶(うっとう)しい政教分離訴訟ではあっても、「奇貨(きか)居(お)くべし」の「奇貨」となる可能性がある。

 それにしても、1世紀以上にわたって、教育勅語の誤った解釈を放置してきた我が国である。誤った解釈の上塗りのような雑文はいまでもときどき目にするが、教育勅語の事実に立脚した解釈を目指す研究は見つけられない。そして未だに、国民道徳協会の口語訳文を垂れ流している惨状がある。

 このオウン・ゴールに対する無責任さは一体どうしたものだろう。またいわゆる「人間宣言」と謂うことに対し、宣命解釈を基礎とする立場からの批判も語られることがない。

 教育勅語や宣命解釈の研究はじつに時事問題であり、また誤った解釈のままでは将来に大きな禍根(かこん)を残すことになる。参考資料は県立図書館などにそろっている。漢文調の文体を毛嫌いさえしなければ、誰にでも検証のできるものである。詔勅は歴代天皇から賜った私たち日本人の財産である。関連する詔勅についての誤った解釈を
正し、神道指令の真実を明らかにすべき秋がきた。このことはまさしく現代に生きる私たちに課せられた最も大きい義務なのではないか。(おわり。文中敬称略)


 ☆斎藤吉久注 佐藤さんのご了解を得て、佐藤さんのウェブサイト「教育勅語・国家神道・人間宣言」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/index.html〉から転載させていただきました。読者の便宜を考え、適宜、編集を加えています。当連載は今回をもって終わります。


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