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2 靖国神社とそのあるべき姿 by 葦津泰国 第7回 祭神の決定とは [靖國神社]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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2 靖国神社とそのあるべき姿 by 葦津泰国
第7回 祭神の決定とは
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[1]「A級戦犯」合祀表面化後の混乱

 靖国神社が東京裁判の刑死者や拘禁中に死亡した英霊などを合祀したことが判明すると、日本の国内はあげてそれを批判する空気に塗りつぶされたような雰囲気になった。

 私も靖国神社に対して、いったん合祀は先延ばしする結論を出しておきながら、それを決定した委員にも説明なく、国民にも知らせずに合祀した神社の運営姿勢には強い抗議をした。だが、それは新しく祀られた祭神の適否の評価に関しての抗議ではなく、神社を運営する基本姿勢に関する問題だった。

 靖国神社は戦後、宗教法人として登記している。宗教法人には信教の自由があり、祭神にだれを選ぶのも法的には自由である。合祀は、この観点で見るかぎり、問題はない。

 だが、靖国神社は日本国の戦没英霊に対する強い哀悼の思いが創建のきっかけになり、明治天皇の深い御心が靖国神社という名前になった施設である。敗戦までは、国のもっとも神聖な祈りの場として大切にされてきた施設である。

 占領軍が日本に進駐し、日本国の自由が奪われていた時期に、靖国神社は国の所轄から切断されて廃絶の危機にさらされた。それを、独立を回復したら、ふたたび日本の聖なる国民統合の祈りの場にしよう、と引き受けて維持してきたのが、靖国神社関係者ではないのだろうか?


[2]留守番役の勇み足

 靖国神社の関係者はそんな願いをもった、国という主人がいない間の国民を代表する留守居役のはずであった。

 だが、その間の基本方針であった「国が維持管理してきた基本方針をそのまま変えずに継承し、いつでも国に返すことができるようにして維持する」という方針が、国が正式に祭神と決定していない霊を祭神に加えることにより、脱線してしまった。これこそが問題なのではないだろうか?

 従来の国の祭神概念内の祭神なら、国家管理の最終時期に、神社はとくに大招魂祭を開いて、新たにお名前を付け加えても、国の方針とは離れないことをご祭神にもはっきり示している。だが、昭和20(1945)年11月の祭典実施の時点で、その後に起きたA級戦犯死刑への指針は、含まれていなかった。

 新しく追加した御霊たちを祭神として合祀を決めたのは、国の意思ではなく、靖国神社の意思だと言わざるを得ない。祭神決定権はあくまでも国になければ、靖国神社の百年を超す伝統は崩れてしまう。関係者が、個人的には祭神に加えたいと思っても、それを加えていたら、国の代わりに神社を預かっている筋が壊れる。


[3]東京裁判は報復

 一般のマスコミなどの靖国神社への批判の合唱は、私の指摘とはまったく異質だった。それは東京裁判で有罪とされた戦争指導者を祭神に加えたのは、近隣の中国や韓国などとの摩擦を深め、神社の軍国主義的思想体質を露骨に示している、との主張である。

 これとは逆に、合祀を支持する側からは、東京裁判は戦勝国の国際法を蹂躙(じゅうりん)した犯罪的報復行為で、彼らはその犠牲者だ。現に日本の指導者を処刑した連合国側からも、この裁判の無効性は指摘されており、日本国も裁判を犯罪行為として認めないことをはっきり定めている、という反論がなされた。

 すべてではないが、私も東京裁判にはこれに近い意見も持っている。私は東京裁判を連合国の戦時における禁止行為も、法の定める基本条件もまったく無視した違法行為をもとにした報復以外の何ものでもない、と判断している。

 日本の指導者たちが日本を誤った道に導いて、天皇陛下や日本国民、日本の国に多大な損失を招いた責任があるとすれば、それは日本国が処理しなければならない種類の問題だ。戦後の日本はそれもせず、ただあいまいに占領政治を引き継いで、日本を迷走するままにまかせてきた。

 独立国なら独立国らしく、占領政治を総括し、否定された日本の持つ美点はふたたび復活させ、汚点は矯正(きょうせい)して、占領時代の殻(から)を破って、再スタートしなければならない。こんなだらしなさでは碌(ろく)な日本は回復されない。

 ただ、靖国神社は国の聖なる祭祀の場、顕彰の場として復活させるべき施設である。その祭神を決定するのは、軍がない今では、国民の総意に基づく国の判断であるべきだ、と考える点で、私は合祀擁護者とは違っている。


[4]一般神社と異なる近代施設

 祭神からこれらの霊を取り下げよ、との圧力に対して、靖国神社を支持する立場から、神社界などが、それは無理だ、との意見を出しているのが注目される。神社とは、合祀はできるが、その祀られた祭神から特定の神を選び出し、除去することができない、という説である。

 私も神社人の一人で、長い間、神社界で仕事をさせていただいた男である。神道神学を論ずる人がそのような説を発表されるのなら、神社ではそうなのであろうと思う。その方面には何の見識もない私が、あえて反対することは何もない。神社なら、伝統的な神社としての道をしっかり守り続けていかなければならないと思う。

 ただ忘れてはいけないことは、靖国神社はその創立からも歴史からも、神社によく似た面はあるが、全国の神社とは別のもの、明治時代に日本国が作った近代国家の施設だということである。

 靖国神社は、それまで日本各地に長い歴史を重ねて存在し、国民の祈りの場として国民生活に大きな影響力を行使してきた神社を参考に作られた。しかし一般の神社とは違って、国家が英霊を定め祀り、神社(かりにこの名を使わせてもらう)は国が定めた英霊に対し、慰霊と顕彰を行う祭儀を行ってきた。それは近代国家の英霊に対する追悼施設なのだ。その違いは、機能を細かく見ればはっきりとしている。

 終戦まで、じつは全国の神社も国の機関とされ、国の規制も加えられ、神社関係者も政治活動などは禁止されていた。いわゆる「国家神道体制」である。

 だがそんな時代でも、全国の神社は神道という、いまの概念からみれば宗教的な活動をする余地は残されていたし、国の意思ではなく、神社関係者の意志で行事をしたり、活動する余地も残されていた。しかし靖国神社は、同じ国の施設でも、全国の神社とは独立して祭神までを国が定めて、国の意思で維持管理がされる、特別の組織としての歴史をたどってきた。


[5]まずは国の管理にもどす

 そんな質も組織も機構も違う日本の近代国家への前進とともに、その必要から設けられた伝統的庶民信仰とは異質の新しい組織なのである。

 それが全国の伝統的神社がそうであるからと、必ずしも神社の奉ずる神道の枠に従わねばならないものとは考えられない。日本の大事な祭祀施設なのだから、大いに神社のことは参考にしてほしいが、同じでなければならないとは考えない。

 これからも、この種の混乱は、国家護持がされるまでは、他の問題ででも起こり得るだろう。靖国神社は国から離れて、仮の姿で維持管理を始めて60年が経過している。そんな神社をどうしたらよいと思うか?

 私はいま、緊急にしなければならないのは、合祀された祭神をどうするか、ということではなく、まずは靖国神社を一刻も早く国の管理する施設に復刻し、国が以前同様に世話をして、以前同様に追悼顕彰のできる道を回復して、そのあと論議になっている宗教法人である間に、神社が新たに合祀したこの種の祭神をどう扱うか、の国による判断を固めることだと思っている。

 ここに祀るべき祭神を決める権限は国にある。

 国が新しく祀られた祭神を靖国の戦没英霊と認めるのがよいと判断したら、国によって形を整えて追認の手続きを取るべきだし、靖国神社の英霊の概念から逸脱すると判断すれば、国によってそれにふさわしい措置を講ずるべきだと思う。


[6]祭神の遷座は丁重に

 ただそれらの行為は、形だけでも宗教法人とされているいま、靖国神社を維持管理している者に命じてさせることは、これからの宗教法人への国家権力介入の前例にもなりかねないので、やるべきではない、と思う。

 それはあくまで、祭神の決定権を持っていた国が、国家護持を回復し、祭神の決定権を回復したのちに決めるべき問題である。

 ただ、その場合も忘れてはならない原則がある。

 靖国神社は国のもっとも高貴な祭祀をおこなう施設である。それは日本人の最高の礼儀、道義感に基づいて維持されるべき施設である。日本国民の礼儀正しく接しなければならない精神的柱でもあり、国のために命を落とした者を偲ぶ最高の祭りの場でもある。

 そこにいったん祀られた祭神を国の手によってお遷しする場合には、それ相応の日本人最高の礼をもって行うのが大切である。靖国神社に祀られていたとき以下とは思えないだけの「昭和殉難者慰霊施設」とでもいうようなものを設けて、丁重にお移り願い、以後もしっかりと維持していく。

 私の掲げる提案は、国が占領回復後に、すぐに神社の地位を回復していれば、必要のないものだった。それを国がせずに逃げ回っていたためにこんな論争がおこり、万一、祭神から取り下げたりするときには、負担を強いられることになってしまった。新しく生じた国の負担になるものかもしれない。しかし、一時は日本の国を指導していた国の指導者の霊の扱いを、国に代わって、60年以上もいまの靖国神社関係者にしてもらってきたなかでの事態なのだ。その程度の負担は当然国がしなければなるまい。


[7]精神的に独立していない日本

 靖国神社の国家護持の回復は、日本国が占領軍の手から独立を回復して、まず最初にしなければならぬ独立回復への象徴的任務であり義務であった。国民はそれを熱望し、国に強く働きかけてきたのたが、国が逃げ回っていて実現しなかった。

 実現を阻んだ大きな壁は、国の事務を取り扱う政務や司法などの官僚たちが、すっかり占領政策に頭を固められていて、神道指令がいまだに生きているかのごとく対応し、また選挙で選ばれた国会議員たちも意欲が乏しく、その官僚の幻の占領行政を打破する気力がなかったことであった。

 目先の自分や支持者たちのお金にならないことには手をつけない、こんな戦後の政治家たちの姿勢が、ここまで日本をおかしくしてしまった。いまの社会が抱えて苦しんでいる日本国内の犯罪の増加、非常識者や傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なわがままの横行も、煎じ詰めれば、日本の伝統的な社会意識や公徳心を「封建的」の一語によって追放しようとした占領政治のままに、日本の国が精神的に独立を回復し切っていないところに原因がある、と私は思っている。(つづく)


 ☆斎藤吉久注 葦津様のご了解を得て、「私の『視角』」〈http://blog.goo.ne.jp/ashizujimusyo〉から転載させていただきました。適宜、若干の編集を加えてあります。

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