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1 天皇学への課題 その3 by 斎藤吉久───空知太神社訴訟は裁判のやり直しを [空知太神社訴訟]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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1 天皇学への課題 その3
───空知太神社訴訟は裁判のやり直しを
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▽1 多数意見による「違憲」判断

 結論からいえば、空知太神社訴訟は裁判のやり直しをすべきだと私は考えます。合憲か違憲かを判断する以前の問題として、事実認識において、神社関係者も見落としている重要なポイントがあると思うからです。

 空知太神社訴訟は一審の札幌地裁、二審の札幌高裁とも「違憲」でした。いずれの判決も目的効果基準に立ち、公機関と宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りながら、実質的には国家の宗教的無色中立性を求める絶対分離主義に近い判断をしているように思います。

 そして市側が上告し、最高裁が審理することになったのですが、昨春、小法廷から大法廷に回付され、もう1つの市有地内神社、富平神社に関する政教分離訴訟とあわせて憲法判断が示されることになったのでした。

 1月20日に出された判決は、裁判所のホームページでだれでも読むことができます。「違憲判決」と単純化して伝えるメディア報道もありましたが、正確には、違憲判断は14人の判事のうち9人による多数意見であり、しかも「差し戻し」判決でした。

 今井功、堀籠幸男の2人の裁判官がそれぞれ「反対意見」を述べているほか、藤田宙靖、原睦夫、近藤崇晴の4人がそれぞれ「補足意見」を、甲斐辰夫、中川了滋、古田佑紀、竹内行夫の4人が共同して「意見」を述べています。判事の判断が分かれているということが重要だと思います。それだけ判断が難しい事案だということだと思います。

 とくに同じ「反対意見」でも、今井功裁判官は「上告を棄却すべきものと考える」と多数意見以上の完全な「違憲」と判断しているのに対して、堀籠幸男裁判官はまったく逆に「憲法に違反しない」「請求は棄却すべきものと考える」と「合憲」判断を示していることが注目されます。


▽2 行政に協力した結果

 判決文の中身を見てみます。判決文(多数意見)は「原判決を破棄する。本件を札幌高等裁判所に差し戻す」とする短い「主文」が冒頭にあり、判決の「理由」が長々と続きます。そのあとに、「補足意見」「意見」「反対意見」が続きます。

 違憲・差し戻し判決の「理由」は、「第1 事案の概要」、「第2 上告人の上告理由」、「第3 職権による検討」、第4 結論」の4部構成で述べられています。

 まず「事件の概要」です。

 判決文によれば、空知太神社は、(1)明治25年ごろ、住民らが五穀豊穣を祈願して祠(ほこら)を置いた。(2)30年に住民らが北海道庁から3120坪の土地の御貸下を受け、神社を創建した。(3)同年9月には天照大神の分霊が祀られ、地元青年会が管理に当たった、というのが歴史の始まりです。

 明治のはじめ、全国の神社は、お寺と同様、上知例によって境内地が国有化されましたが、空知太神社は創建時において、すでに公有地内の神社なのでした。

 その後、空知太神社は行政によって翻弄されます。判決文によると、(4)明治36年に隣接して建設された小学校が昭和23年ごろ、校舎を増設するなど拡張計画が持ち上がり、境内地を建設用地に当てることになった。(5)計画に協力し、神社を移転させるため、住民Dが私有地を移転先として提供し、25年には同じ土地に地神宮が建てられました。


▽3 私有地から市有地に

 ところがさらに状況が変わります。(6)住民Dは固定資産税の負担を解消するため、砂川町(当時)に土地の寄付を願い出、(7)町は28年の町議会で土地を採納し、同時にこの土地を神社に無償で使用させることを議決し、寄付によって所有権を得ます。

 こうして公有地内に神社が置かれるという状況が生まれたのです。

 さらに判決文によれば、(8)45年になって、こんどは境内地とその周辺地を建設用地として、町内会館が新築されます。(9)併行して神社は改修され、会館内に祠が遷されるとともに、鳥居が建てられました。(10)市はこの会館建設などに補助金を支出しました。

 (11)現在は関係するすべての土地は市の所有で、そこに町内会館が建てられ、その一角に空知太神社の祠が設置され、建物の外壁に「神社」と表示されているほか、同じ土地に鳥居と地神宮が置かれています。

 (12)会館や神社は町内会の所有で、市は私有地を無償で提供しています。また、(13)神社は住民らによる氏子集団で管理運営され、初詣と春と秋のお祭りの祭事が行われています。(14)祭りにはA神社から神職が派遣されます。

 以上が、裁判所が認定した事実で、裁判では砂川市が市有地を神社境内地として無償使用させていることが政教分離原則に違反するかどうかなどが、争われたのでした。


▽4 問われているのは一神教信仰である

 さて、紙幅が尽きてきましたので、手身近に申し上げますが、重大な事実認識の欠落もしくは事実の軽視があると私は考えます。それは次の4点です。

 (1)100年を超える本州以南の神社では、仏教寺院も同じですが、明治維新後、上知例によって境内地が国有化されました。北海道の空知太神社の場合は創建の時点で公有地内の神社でした。3000坪を超える広大な土地の貸下を受けたのも、公的な存在であると考えられていたからです。

 (2)空知太神社は砂川市発祥の地に鎮まる、この地方では最古の神社で、明治の開拓者たちはかならずこの神社に参拝し、成功を祈願したといわれます。この地方の歴史にとってきわめて重要な神社です。

 (3)裁判では市有地内に神社があることが法的に問われたのですが、それは結果に過ぎません。そのようになったのは、神社が公的存在であるがゆえに、境内地を市に提供し、挙げ句の果てに市有地内の神社になったのです。

 (4)由緒正しい神社でありながら、戦後、宗教法人にもならず、神職もいません。それかあらぬか、一般の神社は国有境内地の払い下げを受け、国家管理を離れたのに、空知太神社はこの制度改革に洩れています。

 (5)空知太神社は境内というひとつの聖地に天照大神を祀る本社と土地の神を祀っているという地神宮の信仰とが多神教的、多宗教的に共存してきました。憲法の政教分離原則を盾に、この宗教的共存を破ったのは、一神教信仰に立つ原告らでした。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書いたように、まさに政教分離問題とはキリスト教問題なのであり、本来、問われるべきなのは空知太神社ではなく、キリスト教信仰なのです。


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