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整合性なき擁護論 by 佐藤雉鳴  書評 佐藤優『日本国家の神髄──禁書『国体の本義』を読み解く』 [国体の本義]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年3月19日)からの転載です


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整合性なき擁護論 by 佐藤雉鳴
書評 佐藤優『日本国家の神髄──禁書『国体の本義』を読み解く』
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 『国体の本義』は平成15年、日本図書センターから『臣民の道』も含め、戦後道徳教育文献資料集の第2巻として復刻出版されており、図書館等で読むことが出来る。

 『国体の本義』論については、これまで閲覧が容易なものとしては、杉原誠四郎『日本の神道・仏教と政教分離』、雑誌『諸君』に掲載された保阪正康「『国体の本義』という仮面」があった。

 この昭和10年代の我が国を象徴する公式文書について、正面から論評した著作が信じられないほど少ないというのが我が国の実態である。

 GHQの占領下において発せられた神道指令によって『国体の本義』『臣民の道』は関連書も含め、政府による普及は禁止となった。そして占領下はおろか、戦後六十有余年経った今日まで、『国体の本義』が普及禁止となった理由を検証した本格的な著作は見当たらない。

 このこと自体、我が国が未だに神道指令を克服していない証明といってもよいかもしれない。


◇ 1 神がかり的観念論を阻止するため?

 平成21年の暮に出版された佐藤優『日本国家の神髄』は副題に「禁書『国体の本義』を読み解く」とあるとおり、その原文をすべて引用して解説した希有な『国体の本義』論だといってよいものである。

〈『国体の本義』を、国体明徴運動の結果生まれた非合理的な神憑り的テキストで、このような極端な思想によって、日本は戦争への道を歩み、破滅したという見方は間違いである(29ページ)〉

 そして著者は以上のような「非合理的、神憑り的な観念論を阻止するために、欧米思想と科学技術の成果を日本が取り入れることを大前提に」『国体の本義』は考えられたものであるとしている。

 この見方を検証する前に、いくつかの予備知識を欠いてはいけないだろう。『国体の本義』を論評するにあたっては、その発行の経緯を知ることが重要である。

 美濃部達吉の「天皇機関説」が貴族院で論議となったのは昭和10年である。本来は学術論争であるものが、政治問題化して国体明徴運動へと発展した。要するに国体明徴運動はいわば天皇機関説排撃運動である。そして二・二六事件を経て昭和12年5月に出版されたのが『国体の本義』である。

 また昭和20年12月、GHQが神道指令において『国体の本義』の政府による普及を禁止した経緯も同様である。神道指令は国家と神道の分離指令であり、その神道は国家神道とGHQが名付けたものである。そしてGHQはその主な聖典は教育勅語だと断定し、教育勅語は『国体の本義』によって再解釈が試みられたと考えられていたことが記録にある。


◇2 靖国神社論との矛盾

〈大東亜戦争で、日本が自らの生き残りと、アジアの解放のために戦う大義はあった。靖国神社に祀られている英霊に対する感謝をわれわれは持ち続ける。そのことによって、大東亜戦争に敗北したという現実から目をそむけてはならない(9ページ)〉

 著者は、『国体の本義』が結果として日本を破滅から救えなかった現実はあるが、思想において日本人が劣っていたことを意味するものではないとしている。

 むろん戦争の勝敗は戦略戦術、そしてなにより戦力が重要な要素であって、思想そのものは別な観点から比較されるべきものだろう。ただ、上記の文章には矛盾があると言わざるを得ない。

 マッカーサーがブルーノ・ビッター法王使節代理に、靖国神社の焼却について意見を求めたことはよく知られている。神父は「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根元であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない」と答えている。

 つまり靖国神社を認めるなら、国家神道の聖典とされた教育勅語は排除すべき、という論理となる。そのとおり我が国は国会において教育勅語の排除・失効確認決議を行ったのである。

 著者は〈教育勅語の精神は、われわれの心の中で生き続けているのだ(75ページ)〉としているが、どう整合させているのだろう。

 靖国神社と教育勅語、そしてその再解釈といわれて認めざるを得ない『国体の本義』をともに擁護することは、GHQの政策に従わざるを得なかった我が国の姿勢に矛盾する。ここに近現代史の大きな謎がある。

 GHQの占領政策にこそ誤りがあるというなら、その点を明確に示すべきであると思うが、本書にその分析は皆無である。GHQがなした広義の政教分離政策、それに対し六十有余年もの間、有効な検証をしてこなかった戦後知識人とまったく変わらない無頓着さがここにあるように思われる。


◇3 教育勅語解釈の誤りを正さず

 本書は著者による『国体の本義』の感想を主体とする逐条解説風の著作であるから、その範囲で読む分には云々するところはない。ただ、歴史文献として『国体の本義』を分析する場合、著者の解釈にはいくつかの大きな疑問を持たざるを得ない。

 著者は山田孝雄の「ここに天皇の現人神であらせられることは勿論であるが、国土も神格を有し、国民も神格を有すると考える」を引用して、〈山田孝雄が日本精神について的確な指摘をしている(80ページ)〉と述べている。

 GHQの神道指令にいう国家神道の教義は、要約すると、「天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るという理由から日本の支配を他国他民族に及ぼす」というものであった。

 GHQが排除したかった国家神道の教義と山田孝雄の考えは近似している。そして著者は山田孝雄のほか紀平正美を引用して解説しているが、二人はともに昭和14年文部省「聖訓の述義に関する協議会」の委員であった。そして他の委員同様、教育勅語の解釈について致命的な誤りを放置したことが、その奇妙奇天烈(きてれつ)な議事録に明らかである。

 ここを正さないままの引用では歴史文献としての『国体の本義』を読む意義が薄くなるのではないか。本書の各章にある重要な註のいくつかに誤った解説がある。

 以下は筆者が当事者の文献資料に基づいて、拙著やHP等で明らかにしたものである。


◇4 註釈の重大な誤り

〈7樹徳 教えを広く及ぼして民を導き、恩を施して民を恵む、即ち仁政のこと(58ページ)〉

 この樹徳は教育勅語にある「徳を樹つること深厚なり」の樹徳である。したがってこの徳は、私という事のない「しらす」という意義の「君治の徳」である。教育勅語草案作成者の井上毅に「君徳」に関し、これ以外の内容は見当たらない。仁政という儒教的表現は井上哲次郎の解釈である。

〈32現御神 世に明らかに現れまします神のこと。=現人神、天皇(59ページ)〉

 文芸の世界は別として、宣命などの公式文書に天皇=現御神はひとつも存在しない。文脈上では「現御神止」として、しろしめすの副詞として用いられているのである。このことは本居宣長・池辺義象・木下道雄らの著作に明らかである。ちなみに、昭和21年1月1日の詔を「人間宣言」と謂うは誤りである。

〈36皇祖皇宗 皇室の御先祖の方々。「皇祖」は天照大神をはじめ、皇業の基礎をひらいた神々のこと。「皇宗」は歴代の天皇のこと(59ページ)〉

 教育勅語にある皇祖皇宗が神武天皇と孝明天皇までの歴代天皇であることは、井上毅が明言している。歴史文献としてこれらを読むのなら、教育勅語と『国体の本義』での用法の違いを明確に示すべきだろう。

〈48中外 国の内と外。全世界という意味(297ページ)〉

 教育勅語の「中外に施して悖(もと)らず」の中外は「宮廷の内外」であり、転じて「全国(民)」の意である。教育勅語をそのまま引用した『国体の本義』には誤ったまま用いられている。教育勅語の「中外」は、民政教育に関する叡慮をもとに、勤倹の詔を「中外に公布」せられることを右大臣に懇請したもう一人の教育勅語草案作成者、元田永孚の文書にあるこの中外=全国(民)と同じ意味である。

〈社会は、個人でもなければ、国家でもない中間団体によって形成されている(9ページ)〉

 この文章と第十章「君民共治」の評価には少し矛盾が感じられる。君民共治などは結局、中間組織を否定する、国家社会主義の思想につながるものであった。したがってここの解説は不足している感がある。また『国体の本義』における天皇御親政を引用して、積極的に否定している文章は見当たらないから、天皇御親政を肯定していると読んでいいのではないか。ここも疑問である。


◇5 歴史文献として読み解く限界

 国体明徴運動の延長線上にあった『国体の本義』である。そして現在、天皇機関説についての評価は定まっている。

 「『明治憲法のコメンタリー』として、学問的に一流で、おかしなところなどどこにもない天皇機関説」とは中川八洋筑波大学名誉教授の言であるが、『国体の本義』が大日本帝国憲法下で書かれ、その憲法に違背したものであることは歴然である。

 帝国憲法に天皇=現御神はなく、天皇の御親政もない。これらは伊藤博文『憲法義解』に明らかである。そして中外(全世界)に施して悖らざる皇国の道によって皇運を扶翼し奉る、この内容が世界征服思想であるとGHQに誤解されたのである。これについてはGHQ民間情報教育局ダイク局長と安倍能成文部大臣の対談記録に仔細がある。

 GHQとその命令に従わざるを得なかった我が国政府が否定したものに、大日本帝国憲法と教育勅語、『国体の本義』と『臣民の道』がある。『国体の本義』と『臣民の道』はその本質においては同じものであり、したがってどちらも帝国憲法に背いている。

 帝国憲法と教育勅語は本来同じものであるが、『国体の本義』が教育勅語の再解釈といわれて認めざるを得ないから、帝国憲法と教育勅語の解釈に問題があったと分析するのが論理的な帰結となるのではないか。

 帝国憲法=A、教育勅語=B、『国体の本義』=Cとすると、A=B=Cのはずが、A≠Cである。この複雑なネジレを解明することが、『国体の本義』を歴史文献として読み解くことだろう。


◇6 帝国憲法と教育勅語の曲解

 ここを理解できなかったGHQであるが、そもそも我が国要人たちが帝国憲法と教育勅語を曲解していたことを明らかにすべきである。

 帝国憲法の起草に深く関与したのは伊藤博文・井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治であるが、井上・伊藤の没後、伊東巳代治は統帥権干犯論に加担し、また金子堅太郎は「天皇と警察官を同一視するの嫌ある」として天皇機関説を排撃したことが彼の自叙伝にある。

 我が国の近現代史は複雑なこのネジレを整理しないで解明はできないのではないか。

 教育勅語の誤った解釈=bとすれば、A=B、B≠b=Cとして、A≠Cが理解できる。帝国憲法と教育勅語は同じゾーンにあり、教育勅語の誤った解釈の上に『国体の本義』と『臣民の道』があった。

 ここを解明するためには、先にあげた本書のいくつかの註を重要なキーと捉えなければならない。このキーによって当時の我が国要人の誤りと、GHQがそれらを鵜呑みにした事実の謎が解ける。

 「之を中外に施して悖らず」は「我が国の道は全国(民)に示して間違いがない」であった。それが明治大帝と草案作成者の意図を離れ、「我が肇国の理想を東亜に布き、進んでこれを四海に普くせんとする聖業」に変容したのである。GHQのいう世界征服思想である。

 靖国神社の擁護と国家神道という制度の排除は、靖国神社の擁護と教育勅語の誤った解釈の排除、と同じ意味である。したがって靖国神社の擁護とともに『国体の本義』を称賛することには極端なネジレが存在する。この複雑なネジレを丁寧に正さない限り、神道指令の克服も正しい政教論争もあり得ない。

 『国体の本義』を読み解く現代的な意義は、『憲法義解』・神道指令、そして教育勅語の正しい解釈との関係から近現代史を解明することにあるのではないか。


◇7 自滅的戦争への道

 杉原誠四郎『日本の神道・仏教と政教分離』は「日本の占領教育改革で初期に辣腕をふるったロバート・キング・ホールの占領教育改革に関する出版図書が紹介すらされてこなかったという事実は、戦後の日本の教育史学会がいかにいびつであったかを物語る」としたその検証の熱意において、高く評されるべきである。

 ただ残念なことに、佐藤優『日本国家の神髄』、保阪正康「『国体の本義』という仮面」と同様に、教育勅語と宣命の曲解が解明されておらず──その意識さえないが──これらと同じレベルに止まっている。

〈日本の政治エリートが『国体の本義』の立場にきちんととどまっていれば、少なくとも負け戦に突入するようなことはなかったと私は思っている(30ページ)〉

 天皇機関説排撃から国体明徴運動があり二・二六事件を経て『国体の本義』『臣民の道』は出版された。その後、我が国が自滅的な戦争にのめり込んでいったことは歴史の示す事実である。

 結局のところ、『国体の本義』の作成者たちは大東亜戦争の理屈を、帝国憲法を枉げ教育勅語を曲解してつくりあげることになったのではないか。この仮説を事実で否定しない限り、著者のこの文章は説得力を持つに至らない。

 佐藤優『日本国家の神髄』は名のある現代言論人の神道指令、および近現代史上の公式文書にたいする認識を知る上で貴重な一冊となった。本音で言えば、そのことのみがこの本の価値だと思う。


 ☆斎藤吉久注 読者の便宜を考え、原文に適宜、編集を加えています。


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