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天皇学への課題 その7 by 斎藤吉久───身もだえる多神教文明の今後 [天皇学]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 当メルマガはこのところ毎週末、畏友・佐藤雉鳴さんの「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」をお届けしています。
教育勅語@官報M231031
 教育勅語は、冒頭、「朕(ちん)惟(おも)ふに、我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり」で始まりますが、佐藤さんの指摘によれば、驚くべきことに、この解釈が当初から一貫して誤ってきたというのです。

 つまり、「徳を樹つる」の「徳」とは、天皇統治の本質が「しらす」政治であること、つまり、国民の声なき声を聞くこと、民意を知って統合することを示しているのに、教育勅語の解説書を最初に書いた東京帝国大学教授(哲学)の井上哲次郎にして、そのことが理解できなかったのでした。

 明治政府は当世随一の碩学に解説を書かせ、検定のうえ、教科書にしようと予定し、解説者として白羽の矢が立ったのが井上でした。ところが、持てる知識を総動員して期待に応えようとしたはずの井上の原案に対して、明治天皇はご不満を漏らし、結局、井上の解説書は私書扱いに格下げされ、教科書になることもありませんでした。

 最高のインテリでさえ天皇の本質が理解できなかった、というのはそれだけで深刻ですが、問題はそのことにとどまりません。その後の日本の歴史に影響を与え、未曾有の戦争と敗戦の悲劇をもたらし、現代にも尾を引いています。当メルマガがしつこく追及している空知太神社訴訟問題とも、政教分離問題というかたちでつながっています。


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天皇学への課題 その7 by 斎藤吉久
───身もだえる多神教文明の今後
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▽1 多神教文明の発展に成功しなかった近代化

 天皇学の構築を目下のテーマとする当メルマガは、当面、空知太神社訴訟最高裁判決を主なテキストに用いて、学問的な追究に何が必要なポイントとなるのか、を追っています。これまで指摘してきたのは、以下の6点です。

(1)情緒に流れる観念的な天皇論であってはならない。
(2)「伝統と近代」の一次元モデルではなく、「一神教文明と多神教文明」の座標軸を加えた二次元モデルで、近代の天皇史を実証的に検証する。
(3)一神教文明批判の視点を持つ。
(4)多神教文明を再評価する視点を持つ。
(5)日本の宗教伝統に対する深い理解を持つ。
(6)日本人自身が一神教化している現実を見すえる。

 今日は、いま目の前で何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか、について、私の思うところを書きます。

 歴史を振り返ると、明治の日本は、誰でも知っているように、一神教文明の文化を積極的に受容し、近代化を進めました。その先頭に立ったのは、古来、多神教文明の中心である天皇です。

 天皇を先頭にした日本の近代化は、一神教文明圏の先進的文化を取り入れることには成功しました。しかし多神教文明を豊かに発展させたかといえば、疑問です。教育勅語の歴史はその典型です。一神教文明に学ぶことに巧みだった皮肉な結果ともいえます。


▽2 一神教文明に衣替えした戦後

 朝鮮神宮に天照大神を祀ることや日韓併合に神道人が猛反対した歴史が示すように、植民地支配や戦争の悲劇という日本近代史のカゲの部分は、多神教文明からの逸脱でした。ところが、戦後の歴史論では逆に、天皇、神道といった日本の伝統がもっぱら矢面に立たされ、濡れ衣を着せられています。

 それは日米戦争中、アメリカ政府が「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉である、と考えていたことに端を発しています。占領軍が、戦時国際法にあえて違反して、神道撲滅運動に血道を上げ、「国家神道」の中心施設であると理解する靖国神社を焼却処分にしようとまで考えたのはその結果です。

 多神教文明の中心である宮中祭祀を「天皇の私事」として閉じ込め、駅の神棚やしめ縄をはずさせる、という神道圧迫政策が進められた一方で、銀座のデパートではクリスマス商戦が敗戦のその年から始まったと聞きます。

 端的にいえば、戦前の近代化は多神教的近代化の不成功ですが、戦後の現代化は、多神教文明を否定し、一神教文明に衣替えする、文字通りの一神教化です。

 当メルマガの読者ならご存じのように、アメリカは数年を経ずして、自分たちの「国家神道」観の誤りに気づきます。だからこそ、たとえば松平参院議長の参議院葬は、議長公邸に祭場を設け、神式で行われています。神道撲滅政策は緩和されました。

 しかし、戦後体制の基本的枠組みである憲法も宗教法人法も存続しています。その結果、日本の多神教文明は身もだえしています。


▽3 公有地を追われた信州大学構内神社

 ところが、空知太神社訴訟問題が示すように、きわめて好戦的な原告はまだしも、被告とされた行政側も、裁判を審理した司法当局者も、「文明のもだえ」に気づきません。日本の宗教伝統を見失い、ものの考え方が一神教化してしまっているからです。

 その結果、何が起きているのか? 何が起きようとしているのか?

 日本の多神教文明のシンボルである神社を守る人が見当たらない。とすれば、日本の風景に溶け込んでいた鳥居や祠(ほこら)などが早晩、少なくとも公有地から消えていく、ということではありませんか? 日本の風景が一神教化し、さらに非宗教化する。日本人の精神は伝統から離れ、すさんでいくことになりはしないかと心配します。

 すでに実例があります。空知太神社と同様、公有地にあることの法的是非を裁判で問われた結果、公有地から追われた、信州大学構内の稲荷神社のケースです。

 信州大学旭キャンパス(松本市)には以前、江戸時代に地主が創建したという稲荷神社がありました。戦前はこの土地に松本歩兵第50連隊の駐屯地がおかれ、神社は連隊の守り神とされました。しかし敗戦で連隊が解散したあと、松本医学専門学校(信州大学医学部の前身)が移ってきたとき、神社は占領軍の神道圧迫政策で構外に移転させらました。

 戦後、国家管理の廃止を受けて、一般の多くの神社は国有境内地の無償譲渡などを受けましたが、空知太神社と同様に神職がいないだけでなく、氏子もいないこの神社は、この扱いにもれてしまったようです。

 それでもサンフランシスコ条約で日本が独立を回復したあと、大学側の依頼を受けて、出入り業者などで組織される任意団体によって神社は旧地に復しました。それ以後、この任意団体によって毎年、お祭りが行われ、受験生には学問の神様として、患者には病気平癒の神として信仰を集めてきたそうです。

 ところが、にわかに訴訟が持ち上がり、神社はいわば追放されました。


▽4 神社を本気で守る人間がいない

 平成15年、キャンパスの近くに住む、経済理論を専攻するという私大教授が「国立大学に神社があるのは政教分離違反。信教の自由を侵害された」などと主張し、国などを訴えます。地裁も高裁も請求を棄却し、敗訴となりました。けれども、高裁は傍論で「神社の存置は憲法の精神に反する」と批判したことから、マスコミは「憲法違反」と伝えました。

 大学は対応を協議し、他方、くだんの私大教授は課税を要求する訴訟や監査請求などを執拗に繰り返し、結局、社殿は解体され、350年の歴史を持つ聖地は更地になりました。

 裁判には勝ったはずなのに、「国有地の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」と訴える、歴史的偏見に満ちた原告らの裁判闘争に屈したのです。訴えられた国や大学側に、本気で神社を守ろうとする思いより、厄介者扱いする気持ちが優ったからでしょう。

 空知太神社のケースも同様でしょう。

 行政は日本の宗教伝統を格別に深く理解しているわけではありません。むしろ基本的には事なかれ主義です。「(鳥居や祠など)神社物件に宗教性は希薄」というのが砂川市側の上告理由だったくらいですから、裁判を正面から受けて立ち、日本人の宗教心のシンボルとしての神社を本気で守ろうとするような気概は感じられません。

 だとすると、結論は決まっています。いかに由緒正しい歴史があろうとも、神社を守る人間がいなければ、静かに消えていくだけでしょう。栄枯盛衰は世の常です。

 それだけではありません。市有地にある空知太神社のありようが憲法上、許されないというのなら、同様のケースは北海道だけでさえ、何千とあります。何が起きるのか、想像がつくでしょう。

 私の悲観論に対して、むろん反論もあるでしょう。神社を守っている神職がいる。祭りを続けてきた地域の氏子がいるではないか、と。しかし、それが難しいのです。どういうことか、くわしくは次回お話しします。



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