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身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン───雑誌ジャーナリズムの最前線で [皇室報道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 天皇学の構築を目標とする当メルマガは、目下、私個人の媒体から、より開かれたメディアへの脱皮を図っています。「学問は1人でするものではない」と信じるからです。

 そのため葦津泰国さん、市村眞一先生、佐藤雉鳴さん、高井三郎先生など、私以外の方々のエッセイなどを掲載しています。今日、お届けするのは、雑誌編集記者として皇室報道にたずさわる、麹町のアン様による皇室報道論です。

 とかく批判の多い皇室報道ですが、当事者側からの反論ないし生の声というものを聞く機会はあまりないと思いますので、今回はたいへん貴重な機会かと考えます。

 ところで、先日、デンマーク人と話していたら、「王制はsillyだ(バカげている)」と強い調子で批判していたのには、驚きました。デンマーク国民の王制への信頼は揺るがない、と思い込んでいた私がステロタイプだったようです。

 このデンマーク人は「誰でも大統領になれる」という共和制の方が優れている、と信じて疑わず、議論の余地もないほどでした。

 日本にもそのように確信的に考える人がいますが、だとすれば、君主制、あるいは天皇の本質、存在意義というものを理論的に、かつ現代的に深める必要があるとあらためて考えています。感情論では議論は少しも進展しないからです。相手を説得することはできないからです。

 それでは、本文です。


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 身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン
 ───雑誌ジャーナリズムの最前線で
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 私はある月刊誌で毎月、皇室記事を執筆している。担当するようになって2年以上が経過するが、日に日に遅筆になり、考えがなかなかまとまらないのが現状である。なぜなら、皇室は非常に奥深く、一言でいうならば“日本史”をおさらいして、現在の皇室のトピックスと結びつけるという、いわば強引なやり方で執筆しなければならないからだ。

 たとえば、いま国民的な関心事になっている「愛子さまの不登校騒動」である。

 週刊誌などは「乱暴なA君」が誰なのか、どんな「乱暴」があったのかとか、雅子さまと愛子さまが何時間目に登校し、下校は何時ごろだったのか、給食は食べたのかどうなのかなどの表面的な事象を取り上げている。

 しかし、この騒動の本質は「皇室の在り方が根本的に変わる」というところにあると私は思っている。私を含めた皇室担当の記者たちは、まずこのことに呆然(ほうぜん)として、次に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


◇1 直接取材で確認できないもどかしさ

 2000年の長きに渡り、わが皇室は「私事よりも公」を優先し、国民のために祈ることを“家訓”にしてきたと思う。また、どんな立場の人にも公平にその慈愛を注いできた。だから、国民は皇室を敬ってきたのだと思っている。つまり、国民と皇室の関係は慈愛と敬愛を仲立ちに成り立ってきたのだと思っている。

 ところが、3月5日に野村一成東宮大夫(とうぐうだいぶ)から発せられたのは「愛子内親王が“乱暴な男児”に怯(おび)えて登校を躊躇(ちゅうちょ)されている」という衝撃的な内容だった。当然、皇太子ご夫妻のご意向を踏まえての発言だったと考えるのが自然で、結果的に“国家”の体現者がわずか8歳の子どもを“告発”したかたちになったのとニアリー・イコールだと思う。

 いまだに皇太子妃殿下は毎日車で“同伴登校”を続けられているし、授業も参観されている。愛子内親王のご不安がそこまで強いというのはお気の毒としかいいようがない。母親なら誰でもそんな我が子をなんとかしなければならないとパニック同然に陥るはずだ。

 しかし、皇太子妃殿下という「立場」を考えると、厳しいようだが首を傾げざるを得ない。一連の騒動ではっきりしたのは、皇太子妃殿下が「公よりも私事を優先」するご姿勢が強いと見られても仕方がないことである。

 しかし、このことをご本人をはじめ、皇族方に取材するすべはない。“確認”できないから、どうしても安易な枝葉末節な事象にスポットを当てざるを得ないのが現状だ。靴の上から足を掻(か)くようなもどかしさがある。


◇2 ブラックホールと隣り合わせのような緊張感

 未成年皇族と一般教育の問題点も表面化したといえる。

 皇太子同妃両殿下は学習院側に「普通の子どもと同じように扱ってください。特別扱いはしないで下さい」とご要望だったと聞いている。しかし、私が取材する限り、学習院側は愛子内親王のご入学にあわせ、さまざまな特別体制を整えていた。

 大人の世界では“特別扱い”を「特別なお立場の方なのだから当然のこと」と受け止められても、子どもの世界、特に低学年までの間にはそういう大人の論理は通用しない。愛子内親王といえども“揉まれる”のが避けて通れないのではないだろうか。

 妃殿下のご病気のことは承知しているつもりだが、今回のことは、どう考えても皇室の「私事より公を優先」という伝統からかけ離れすぎていると思えてならない。これまでも皇太子妃殿下が静養ばかりしているとか、三ツ星レストランに出かけたとか、ご実家とばかり交流しているなど、バッシング記事が頻繁に掲載された。しかし、ここまで「公よりも私事を優先」という強烈さはなかったように思う。

 皇室問題はじつに奥深く、まるで大きく口を開けたブラックホールと隣り合わせにいるような緊張感がある。

 たとえば宮中祭祀に関する記述をするとき「御代拝」を「ご代拝」と記せば、記者の能力が問われるし、記事全体がとたんにうそ臭くなる。政治問題とも密接に関わっている。つまり、あまりの広がりに呆然としてしまうことも多々あるのだ。

 枝葉末節の事象を面白おかしく書き連ねる雑誌の皇室報道にご批判があるのは十分承知している。しかし、10人集まれば10人それぞれに違った皇室観があること、勉強を重ねなければ枝葉末節の事象の本質を理解できないこと、皇室の歴史は日本史そのもの──などの特殊さもあり、皇室の報道は非常に難しいのも事実なのだ。

 毎回、記事を執筆するたびに身震いするほど実感している。


タグ:皇室報道
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