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島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴──第3回 もはや教育勅語を悪者に仕立て上げているときではない [教育勅語]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成22年8月15日)からの転載です


 当メルマガはこの春から数回にわたり、畏友・佐藤雉鳴氏の教育勅語論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」を連載しました。

 その後、現代を代表する宗教学者、島薗進・東大大学院教授による批判を8月7日付のvol.146に掲載しました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4931746/

 今号は、これに対する佐藤さんの反論の3回目、最終回です。


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島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴
──第3回 もはや教育勅語を悪者に仕立て上げているときではない
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 当メルマガで連載した拙論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」について、著名な宗教学者である島薗進・東大大学院教授から3点にわたるご指摘を頂戴しました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4931746/

 今回は、ご指摘の第3点、教育勅語が批判されなければならないのは、国内の思想・良心の自由を制限する方向に機能したという点について、反論を試みたいと思います。

 島薗教授は近著『国家神道と日本人』の本文において、教育勅語をめぐる様々な論議や事件があったことを述べておられます(P41)。

 そして、拙論に対しては、くり返しになりますが、こう述べておられます。

「国家神道や教育勅語が今日、批判されなければならないのは、対外的な攻撃的政策に関わったからだけではない。国内の思想・良心の自由を制限する方向に機能したことにもよっている。佐藤さんの議論は、こちらの側面についても意識されてはいるが、あまり踏み込んでいないように思える」

 ここは大変重要なご指摘です。

 帝国憲法のもっとも権威ある解説書は伊藤博文『憲法義解』ですが、井上毅の筆になったことは明らかにされています。したがって、帝国憲法・『憲法義解』・教育勅語は順接で結ばれています。つまり、近代史を理解するには三者を総合的に検討する必要があります。


◇1 精査されていない戦前の重要文書

 しかし島薗教授の研究には、戦後の諸研究が踏襲されることはあっても、戦前の重要文書が十分に精査されていないように見えます。

 たとえば、昭和戦前期を象徴する天皇機関説排撃を考えてみます。渦中の人である美濃部達吉『憲法撮要』『逐条憲法精義』を読むと、じつのところ『憲法義解』に副ったものであることが分かります。

 明治憲法に精通している中川八洋筑波大学名誉教授も「“明治憲法のコメンタリー”として、学問的に一流で、おかしなところなどどこにもない天皇機関説」(『山本五十六の大罪』P325)と記しています。

 ゆえに美濃部達吉のいわゆる天皇機関説は帝国憲法・『憲法義解』、そして教育勅語と順接で結ばれているといってよいと思います。

 その天皇機関説排撃から国体明徴運動となり、文部省『国体の本義』『臣民の道』が出版されました。したがって、『国体の本義』『臣民の道』は帝国憲法・『憲法義解』・教育勅語と逆接の関係です。

 島薗教授は『現代日本の思想』から久野収の「顕教・密教」論を第4章に引用(P177)されていますが、帝国憲法に「顕教=天皇絶対君主説」は存在しません。帝国憲法第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し、此の憲法の条規に依り之を行ふ」がそれを示しています。

 さらに島薗教授は、福田義也『教育勅語の社会史』から、帝国憲法・教育勅語では天皇は神ではなく、『国体の本義』では天皇は現人神(あらひとがみ)であった、ということを引用されています。

 帝国憲法・教育勅語と『国体の本義』は逆接ですから、その通りです。天皇現御神(あきつみかみ)論と天皇御親政論は前者になく、後者に特徴的です。

 統帥権干犯論から五・一五事件となり、天皇機関説排撃から二・二六事件が起きました。テロに襲われた要人は帝国憲法遵守派でした。

 そして本当の意味で思想・良心の自由が制限されたのは、統帥権干犯論や天皇機関説排撃で憲法蹂躙(じゅうりん)時代となった昭和戦前ではないでしょうか?

 教育勅語がそのように機能したのではなく、教育勅語の曲解が、そして教育勅語に違背した『国体の本義』『臣民の道』が人々の自由を制限したのではないでしょうか?


◇2 国家神道の発生原因は詔勅解釈の誤りにある

 『国体の本義』は、詔勅解釈の誤りが反映されています。現御神は宣命(せんみょう)において、「現御神止(と)」と「止」がついて、「現御神と天下(あめのした)しろしめす」と用いられています。「現御神止」は「しろしめす」の副詞であり、天皇=現御神という意味に解釈すべきではありません。

 以上のことは、本居宣長『続紀歴朝詔詞解』『直毘霊』、池辺義象『皇室』、木下道雄『宮中見聞録』に明らかです。木下道雄の「自称」は思い違いですが、天皇が自らを現御神と宣言されたものは一つも存在しません。詳細は私のホーム・ページの「人間宣言異聞」に書きました。
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/ningensengen.html

 また、島薗教授の『国家神道と日本人』の第五章には戦後の天皇不親政論が紹介されていますが、帝国憲法下においても、前述のとおり憲法第4条から天皇御親政論は誤りです。

 つまり『国体の本義』は帝国憲法を蹂躙(じゅうりん)し、教育勅語に違背したものだとの分析が説得力をもつと思います。明治中期以降の誤った詔勅解釈を踏襲した著述者たちが、『国体の本義』をまとめたことが原因です。

 「教育に関する勅語」と「新日本建設に関する詔書」(いわゆる「人間宣言」)の誤った解釈が戦後の我が国を支配しています。

 国家神道や天皇現御神(現人神)論の発生原因は詔勅解釈の誤りにあった、と言っても過言ではないと思います。今こそ詔勅学の構築がなされるべきではないでしょうか?

 『国家神道と日本人』の第一章に記されている、勅語渙発(かんぱつ)後におきた「不敬事件」等は、やはり残念なことだったと思います。しかし柏木義円や新渡戸稲造の教育勅語観からすると、問題の本質が勅語の内容にあったとは思えず、やはり極端な神格化に原因があったと思います。


◇3 神道指令の「国家神道」解明こそが最優先課題

 さてそれでは、いま学問的に何が求められているのでしょうか?

 GHQ職員のウッダードはのちに次のように述べています。

「日本の政治学者や思想家は、日本の「国体」にさまざまな解釈を与えた。しかしわれわれの関心は、(1)一九三〇年代および一九四〇年代初期に極端な超国家主義者と軍国主義者が「国体」について行った解釈、(2)警察国家の権力によって日本国民にカルトとして強制された「国体」の教義および実践活動、に限られる」(『天皇と神道』P9)。

 GHQが考える「国家神道」は時代がきわめて限られています。

 他方、島薗教授の『国家神道と日本人』第二章(P80)で語られている1908年の帝国議会で用いられた「国家神道」は小田貫一の発言ですが、「国家的神道」とも言っており、内容は同じです。しかしそこに「世界征服」思想はありません。神道指令の国家神道とは明確に区別するべきかと思います。

 『国家神道と日本人』の対象とする広い意味の国家神道(私が思うに国家的神道)と私が追求した神道指令の国家神道とは、そもそもターゲットが異なります。

 神社行政史から国家神道を追及すると、島薗教授のいわれるように、「制度史に力をおいて考えていくと、イデオロギーをも含んだ国家神道の歴史はわずか数年ということになってしまう」というのはよく理解できます。上のウッダードらの発言を重要視すれば、必然的にそうなるでしょう。

 神道指令の国家神道こそ、いま解明すべき最優先のテーマであると思います。


◇4 杜撰(ずさん)な政教関係裁判に拍車をかける

 島薗教授の『国家神道と日本人』では全体として、きわめて批判的な国家神道研究の先駆者である宗教学者の村上重良『国家神道』を評価されていますが、それは日本の宗教学研究の停滞を示すだけでなく、政教分離裁判の混迷に拍車をかけるものといえます。

 たとえば、次のA・Bいずれが村上重良の文章かわかるでしょうか?

A「そしてかようないわゆる国家神道は単なる宗教ではないとして、キリスト教や仏教と区別され、国民はめいめいの信仰のいかんに拘らず神社には崇敬の誠をつくすべきものとされたのである。この状態は明治維新からこの度の終戦まで約八十年間続いた」

B「国家神道は、二十数年前まで、われわれ日本国民を支配していた国家宗教であり、宗教的政治制度であった。明治維新から太平洋戦争の敗戦にいたる約八〇年間、国家神道は、日本の宗教はもとより、国民の生活意識のすみずみにいたるまで、広く深い影響を及ぼした」

 Aは昭和24年、岸本英夫東大名誉教授が「神道とは何か」のタイトルで書いたものです。そしてBが昭和45年、村上重良『国家神道』にあるものです。

 岸本英夫は渋川謙一元神社本庁事務局長から「どちらかというとGHQの側から活動した人」といわれたGHQの日本人助言者でした。Aは昭和24年の段階で、さしたる根拠もなく、漠然と書かれたものだと推測できます。

 おそらくは、先に引用したダイクGHQ民間情報教育局長の次の談話が根拠だろうと推測できます。

「誤った他民族に対する優越感を與へてゐた『神の子』として侵略その他の蛮行がすべて合理化されたのは明治以来の官製神道の教義によるものである」ダイク(「朝日新聞」1945年12月17日)。

 しかし明治維新から「世界征服思想の教義」をもつ国家神道などあるはずがありません。

 以下は昭和四十六年五月に下された「津地鎮祭訴訟」の名古屋高裁判決(違憲判決)にあるものです。

「昭和20年(一九四五年)の敗戦に至るまで約八〇年間、神社は国教的地位を保持し、旧憲法の信教の自由に関する規定は空文化された」(神社本庁『津地鎮祭裁判資料集』)

 しかし法令上に国教が存在しなかったことは同裁判の最高裁判決(合憲判決)に明記されました(同)。

 この名古屋高裁判決の文章の根拠がダイクや岸本英夫を受け売りした村上重良『国家神道』にあるといわれて否定できるでしょうか?(名古屋高裁は『国家神道』を証拠として採用しました)。

 バンスGHQ宗教課長は、のちにインタビューに答えて「ケン・ダイクの在任中に行った政策では、神道指令が最高だったと、彼自身、後になって言っていました」と語りました(竹前栄治『日本占領』)。

 神道指令は今日に至るまで多大な影響を及ぼしています。GHQは国家神道の主な聖典は教育勅語だと断定しました。その教育勅語と国家神道との関係がなぜ研究されなかったのか、私には知る由もありません。

 我が国の政教関係は混迷の度を増しています。やはり神道指令の国家神道を解明しない限り、実のある政教論争とはならないのではないでしょうか?


◇5 史実の整理では「教育勅語後遺症」を克服できない

 教育学者の貝塚茂樹武蔵野大学教授は『現代教育科学』平成22年6月号において、「急がれる「教育勅語後遺症」の克服」を書かれました。

「道徳教育には目標となる道徳的価値(徳目)が必要である。たしかに、学習指導要領にも道徳的価値は列挙されているが、教育勅語が十分に清算されず、戦後教育がこれに正面から向き合うことがなかったために、戦後教育は総じて道徳的価値(徳目)を明確にすることに否定的であり、これを「教える」ことには極めて消極的である」(P115)

 まさしく「教育勅語が十分に清算されず」に今日まで至ったことは、我が国知識人全員の怠慢であると思います。

 島薗教授の『国家神道と日本人』をはじめ、これまでの国家神道論では、歴史上に起きた事柄が正確に整理され、かつリアルに著述されています。しかし今やその事柄の原因を正しく解明する時期にきていると思います。

 おそらくは「教育勅語の十分な清算」が、徳育問題や政教問題を混迷から救う唯一の道になるのではないかと考えています。

 以上、島薗教授から頂戴したご指摘3点について、深い感謝の意を込めつつ、私なりにコメントさせていただきました。最後になりましたが、ご研究の今後の発展を心から願ってやみません。(おわり)


タグ:教育勅語
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