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影をひそめた「国家神道」批判──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで [日本カトリック]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成22年8月29日)からの転載です


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影をひそめた「国家神道」批判
──「終戦記念日」カトリック大司教談話を読んで
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 日本のカトリック教会(司教団)は、過去30年間にわたり、広島の原爆記念日から終戦記念日までを、平和のための祈りと行動の期間と位置づける「平和旬間」と定め、平和アピールを続けてきました。

 今年は司教協議会会長の池長潤大司教名で談話が発表されました。その内容は、これまでと同様、カトリック2000年の歴史を偽るかのような観念的で危険な平和主義ですが、「国家神道」批判が影をひそめたのは目新しい傾向です。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/100707.htm


◇1 教皇メッセージのつまみ食い

 大司教談話は、冒頭、「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです」という、30年前に来日した教皇ヨハネ・パウロ二世のメッセージを引用し、今年は世界では核廃絶を求める声、国内では沖縄の基地不要の声がわき起こったと続き、オバマ大統領のプラハ宣言を「過去の過ちに目を向けた」と評価しています。

 さらに、今年が韓国併合百年であることに言及し、「過去の植民地支配や武力による侵略という歴史的事実」に対する反省、歴史認識の共有、和解を訴えています。

 日本の司教様方は過去の植民地支配や戦争批判にはきわめて熱心です。しかしヨハネ・パウロ二世がアピールしたのは核兵器廃絶であって、日本の「侵略」やアメリカの原爆投下を告発し、批判したのではありません。

 本来、カトリックの教義は戦争を絶対的に否定しているわけではありません。教皇は信仰の完成を呼びかけたのであって、悔い改めに名を借りて「戦争責任」を追及したわけではないのです。絶対平和主義に立つ日本の司教様方の平和アピールは、バチカンの教えに背く、教皇メッセージのつまみ食いといえます。

 他方で、現実に目の前で進行している平和への脅威、すなわち中国共産党政府によるチベットや新疆ウイグルの植民地的支配や軍拡、北朝鮮の核開発については、司教様方は完全に口をつぐんでいます。観念的であるだけでなく、平和を現実に阻害するのが、池長司教協議会長の談話です。

 目の前の軍事的脅威が見えないのだとすれば、世間知らずそのものだし、意図的に見ようとしないのなら、これまたバチカンが禁ずる聖職者の政治的言動そのものです。要するに異端行為です。

 ただ、今回の談話でとくに注目されるのは、「国家神道」批判が消えたことです。表面上、みずからの反省だけになりました。


◇2 表面的な誤魔化しか

 振り返れば、20年前、昭和天皇が亡くなり、国民が悲しみに暮れた当日、司教協議会は、「明治以降の天皇制と結びついた国家神道」をあげつらい、「過去の忌まわしい時代に逆戻りする危険を絶えずはらんでいる」と主張したうえで、「追悼ミサをあげたり、政府行事に教会の名を連ねたりしないことが望ましい」と、国と国民統合の象徴である天皇の崩御に際して、冷酷非情な文書を、聖職者におくりました。

 5年前の戦後60年には「非暴力による平和への道」なる「平和メッセージ」を発表し、中国や韓国で高まっていた反日運動を取り上げ、その背景に日本の歴史認識や首相の靖国参拝、憲法改正論議などの問題があると指摘し、さらに政教分離原則を緩和する憲法改正の動きは戦前の復活になりかねない、と牽制しました。

 つまり、司教様方の「反省」はこれまで、みずからの「反省」ではなく、「国家神道」批判でした。ところが、今回の談話は、少なくとも表面上は、「国家神道」が消え、「私たちカトリック教会の責任を含め、日本の植民地政策がどのようなものであったか、それが人々をどう傷つけてしまったのかを真摯に振り返ることが大切です」と、「被害者」の目線に立った、自己批判の立場をとっています。

 それなら具体的に何を「反省する」というのでしょうか。

 司教様方による日本批判のスタートは、戦後50年の節目に発表された「平和への決意」と題する司教団教書で、公式に過去の歴史を反省し、平和への決意を宣言しました。

 絶対的平和主義の立場に立ち、日本人と教会の戦争責任をそれぞれ指摘し、「日本軍は朝鮮半島や中国、フィリピンなどで、人々の生活を踏みにじった」「残虐な破壊行為で無数の民間人を殺した」「強制的に連行されてきた朝鮮人や元従軍慰安婦は、日本が加害者だったことを示す生き証人だ」などと激しく追及したのです。

 いまや「朝鮮人の強制連行」説は史実ではないと否定されています。司教様方の「国家神道」悪玉説もどこまで実証的なのか、危ういところです。歴史を謙虚に学びなおした結果として、「国家神道」が司教団の談話から消えたのか、それとも表面的な誤魔化しなのか。

 前者なら、これまで教会が発した公的文書を書き換える必要がありますが、司教様方にそのような動きはないようです。とすれば、表向きの取り繕いなのでしょう。


◇3 北朝鮮で殉教したバーン神父

 司教様方がほんとうに反省すべきなのは、一面的な事実を振り回し、歴史を偽証してきたことではないでしょうか。戦前および戦時中に教会が迫害を受けたかのような主張はその最たるものです。

 むしろ戦時中のカトリックには輝かしい信仰の歴史があります。しかし戦後、司教様方は黙して語ろうとしません。

 たとえば、アメリカ人のパトリック・バーン神父(メリノール会。のちに司教)です。

 バーン神父は戦時中、日本にとどまった唯一のアメリカ人でした。日米開戦後は当然、軟禁状態におかれたのですが、担当の特高の刑事は「えらい方ですわ」とすっかり心酔し、祈りをともにするほどだったといいます。

 そればかりではありません。戦闘が終わったあと、要請を受けて、ラジオのマイクロフォンに向かい、勝利者として日本に進駐してくるアメリカ兵たちに対して、暴行の恐怖におびえる日本女性たちへの節度をくり返し求めたのがバーン神父でした。「大和撫子の恩人」といわれるゆえんです。

 さらに、福音を述べ伝えるために朝鮮半島に渡った神父は、不運にも北朝鮮軍にとらえられ、8日間におよぶ「死の行軍」のさなか、わずかな食料を人々に分け与え、最後はみずからの命を神に捧げました。

 バーン神父の最後の言葉は感謝でした。「司祭になったという恩寵(おんちょう)以外に、キリストのために苦しむ恩寵を与えられたことは、私の生涯における大きな恵みである」

 韓国ではバーン司教の列福運動が盛んに行われているようです。イエズス会が中心の日本の教会指導者は逆に、北朝鮮支援者と強い関わりがあると指摘されていますが、日本批判に固まる司教様方は、誇るべきカトリックの歴史を忘れています。じつに偽善的であり、不信仰的といわねばなりません。

 最後にひと言、付け加えます。池長司教協議会会長の談話は、今年、日本では、「沖縄の基地は不要」という声がうねりとなった、と一方的に決めつけています。基地で働く信徒もたくさんいるでしょうに、眼中にないようです。配慮を欠いた断定は聖職者としての資格を疑わせます。

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