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国民一般の宗教性は一朝一夕に変わらない──島薗進著『国家神道と日本人』をテキストに考える その2 [島薗進国家神道論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成22年10月31日)からの転載です


 神無月(かんなづき)を締めくくるメルマガです。神無月の語源については諸説があるようで、一説によれば、全国の神々が出雲に集まるので、神々がいなくなるのだといわれます。このため出雲では逆に、神在祭(かみありまつり)が行われます。

 これは俗説に過ぎず、有力なのは、神祭りを行う「神の月」がなまったのだともいわれます。なるほど皇祖神をまつる伊勢神宮では、「神がいない」どころか、1年でもっとも重要な神嘗祭(かんなめさい)が行われるほどです。

 もっとも、神の存在というのは時空を超えているわけですから、神がいるとか、いないとか、どこにいるとか、という議論は意味がありません。

 神無月だからというわけではありませんが、当メルマガは、「神がいない」というより、日本人の「無宗教」性について、前号にひきつづき、現代を代表する宗教学者・島薗進東大大学院教授の『国家神道と日本人』をテキストにして、考えてみます。

 その前に、それこそ神がいない、宗教を否定している隣国・中国での「反日デモ」への連帯を、読者の皆さんに呼びかけたいと思います。

 宮崎正弘さんのメルマガによれば、どうやら「反日」は口実のようです。日本人を見かけないような片田舎で「反日」デモが起きていて、そのプラカードには「多数政党制度を認めよ」「腐敗粛正」などと書かれ、ネットは「反政府に華麗に変身」と書き込まれているからです。
http://www.melma.com/backnumber_45206_5005296/

 日本とは異なり、言論の自由のない中国では、「反日」というかたちでしか抵抗権を行使できません。それでも民主化を求める声が陸続として上がっていることに、目を覚まされる思いがします。

 さらにチベットでは、AFPによれば、チベット語で学習する権利を求める学生たちのデモさえ起きています。彼らにとって、それは命がけのはずです。
http://www.afpbb.com/article/politics/2768645/6349475?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

 時代錯誤もはなはだしい武力支配と異民族侵略を続ける中国共産党政府、およびこれに付和雷同する日本の民主党政府は、日中両国人民の共通の敵といわざるを得ません。皆さん、中国大陸内での民主化の動きを応援しましょう。

 それでは本文です。


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国民一般の宗教性は一朝一夕に変わらない
──島薗進著『国家神道と日本人』をテキストに考える その2
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◇1 関東大震災の追悼式は無宗教形式で行われた

 「日本人の多くは『無宗教』だといわれる」。島薗先生の著書はこの一行で始まります。そして先生は、敗戦を境にして日本人の宗教性が変わった、という歴史認識を提示しています。「戦前はおおかたの日本人が国家神道の影響下で生活」していたのに対して、戦後は「特定宗教の教えや礼拝に慣れ親しむ」ということが無くなった、というわけです。

 この書き出しに、私は大きな違和感を覚えずにはいられません。1つは現代の日本人に「無宗教が多い」という意味についてで、それは前回取り上げました。先生の分析はキリスト教的な一神教モデルに縛られているというのが私の見方です。

 「……といわれる」という表現も、現代を代表する宗教学者にしては、かなり曖昧に聞こえます。先生は人格的に立派な方だし、専門書ではない、一般書であればこそ、おだやかな表現をなさったのかもしれませんが、ジャーナリズムならまだしも、アカデミズムとしては、おおざっぱな感じが否めません。

 しかし、それよりも、戦争の時代を境に、日本人の宗教性が「有」から「無」に変わったという見方は、にわかに信じがたいのです。国民一般の精神性、宗教性が一朝一夕に変わるというようなことがあるとは思えないからです。それが宗教学のイロハのはずです。

 まず、戦前について、少しだけ考えてみます。先生は、すでに書いたように、「戦前はおおかたの日本人が国家神道の影響下で生活し、その崇敬様式に慣れ親しんでいた」というお考えです。しかし、その国家神道なるものは「宗教」的なのでしょうか。

 たとえば、大正12年の関東大震災のあと、犠牲者を慰霊する東京府・市合同の追悼式は宗教者や宗教儀礼を排除する、「無宗教」形式で行われました。このため、「行政は宗教に無理解だ」という宗教者たちの猛反発を招いたという歴史があります。無宗教儀礼としての黙祷が国民的に導入されたのは、翌年の震災1周年のようです。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/SRH1802mokutou.html

 いま東京都慰霊堂で年2回、行われているのは仏教者による仏教形式による慰霊法要ですから、戦前の方が「無宗教」的なのです。「国家神道→無宗教」という先生の図式は、必ずしも成り立ちません。


◇2 現代の日本人は宗教を失っていない

 戦後になると、日本の住環境が変わり、木造の一軒家はめっきり減りました。アパートやマンションには神棚も仏間もありません。竈(かまど)神をまつる竈もないし、水神をまつる井戸もありません。その点では日本人は「無宗教」化しました。しかし「移動するリビング・ルーム」である自家用車には、必ずといっていいほど、お札がまつられています。日本人はけっして宗教を失っていないのです。

 神社関係者が積極的に呼びかけているわけではないのに、初詣の人出は増えています。「関東最古の神社」といわれる鷲宮(わしのみや)神社にアニメ好きの若者がお参りにやってくるのは、よく知られていますが、それ以外にも、パワー・スポットとして脚光を浴びる神社は少なくありません。

 先生は「特定宗教の教えや礼拝に慣れ親しんでいない」ということをもって、戦後の日本人を「無宗教」と呼んでいるのですが、日本人はけっして「無宗教」的ではありません。むしろ先生の定義にこそ、誤りがあります。

 以前、お世話になったムスリムは、日本人と付き合っていることを、母国の友人たちからからかわれることがある、とときどき話してくれたものです。「日本人は、酒は飲むし、豚肉も食べる。女遊びもする。そんな連中となぜ付き合うのか?」というわけです。

 それに対して彼はこう答えたといいます。「イスラムの教えからすれば、日本人は不信仰そのものかもしれない。しかし日本人に犯罪者は少ないし、日本人ほど高潔に生きている民族はいない」。

 むかしもいまも、日本人は十分、宗教的に生きているのです。「無宗教」などとどうしていえますか。


◇3 国家レベルと国民レベルでは異なる

 島薗先生がおっしゃる、一神教世界での「宗教─無宗教」概念と、日本社会における「宗教─無宗教」概念は別だということをしっかりと理解する必要があります。欧米のキリスト教モデルを日本に当てはめても意味はありません。

 たとえば、ヨーロッパの友人たちのなかには、「教会に行っていない」「教会のメンバーではない」と話すだけでなく、教会批判や宗教批判をするインテリがけっこういます。「特定宗教の教えや礼拝に慣れ親しんでいない」という点では、島薗先生のいう「無宗教」であり、かつ「非宗教」ともいえます。

 けれども、友人たちの話を聞いていると、考え方は神と悪魔の二元論的であったり、過去から未来へと続く直線的な歴史理解を示すなど、きわめてキリスト教的です。つまり、キリスト教的無宗教、キリスト教的非宗教なのです。

 それなら、日本人はどうか、といえば、先生が著書の冒頭でおっしゃるように、国民一般のレベルにおいて、敗戦を境に、国家神道的な日本人から無宗教的に変わったのではありません。明治以来の近代国家建設に伴って、国家のレベルにおいては「無宗教」的な国家儀礼が整備された。しかし国民一般は、これとは別に、むかしもいまも多神教的、多宗教的であり続けている、と私は考えます。

 いみじくも島薗先生が指摘しているように、国家レベルと国民レベルとを区別して、歴史を見つめる必要がありますが、そのことについては次回、あらためて取り上げます。

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