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苦悩する神社神道──仲執持がボランティアに変身する? [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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 苦悩する神社神道──仲執持がボランティアに変身する?
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 先日、政教分離問題に関する勉強会がありました。そのなかで若い研究者の発表はたいへん興味深いものでした。

 彼は、社会が変化して、いままでのように神社が公共的存在であるというだけでは、神社の公共性、公益性をうたえなくなっている。このため神社および神職の社会貢献が求められる時代になった、というのです。

 88年前の関東大震災では、彼の発表によれば、全国神職会を中心として、義援金を募り、慰霊祭を奉仕するなど、素早い対応がなされたといいます。神社の境内にバラックが立ち並んだという状況もありました。

 今回の東日本大震災では、救援物資配布の拠点になった神社が少なくありません。アピールの苦手な神社界が、社会的評価を考慮し、市民社会から認められるためにどうしたらいいのか。神社の公共性をどう守るか、が課題となっている、と若い研究者は指摘するのでした。

▽1 失われたムラ

 私は講演を聴きながら、日本の神社が大きな時代の波にさらされているということをあらためて感じました。それは明治以来の近代化という波であり、簡単にいえば、キリスト教化です。

 時代の荒波にもまれるなかで、日本の神社は歴史的な存在意義を180度、変えつつあるようにさえ見えます。

 この研究者がいう「社会の変化」とはどういうものなのか、必ずしも明確ではありませんが、私なりの理解では、神社を取り巻く社会的環境はたしかに一変しています。

 このメルマガでも、現代の日本人が農耕民的な定住性を失い、遊牧民化しているという指摘を何度かしました。定住民の共同体としてのムラがあり、ムラの鎮守とムラの祭りがあるという日本の宗教的伝統の大前提が崩れているのです。ムラを失ったところに、ムラの鎮守はあり得ません。

 若い研究者がいう「神社の公共性・公益性」の意味それ自体が変わってしまったのです。

▽2 キリスト教がモデルの宗教法人法

 かつて神社はムラの鎮守は、文字通りムラのものであり、住民のものでした。だからこそ、この研究者が指摘するように、明治20年ごろから東京市では、神社の境内が市の公園として取り扱われるようになったのでしょう。

 神社は公共物だったのです。

 しかし現代は必ずしもそうではなくなっています。

 占領期に制定された宗教法人法は、「宗教団体」について、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、および信者を教化育成することを主たる目的とする、と規定します。キリスト教なら、福音、ミサ、宣教が絶対的要素ですが、ムラの鎮守には本来、教義も宣教師も、布教という概念すらありません。戦後日本の宗教基本法は、日本の宗教伝統の歴史と実態を無視しています。

 けれどもキリスト教というグローバルスタンダードに合わせた、いわば靴に足を合わせるような宗教基本法は、独立を回復してもなお、改正されず、戦後の社会的変化と相まって、日本の神社はムラの鎮守から神職による強化育成の拠点に様変わりしているようにさえ見えます。

 であればこそ、この研究者が指摘するように、「神社・神職の社会貢献が必要な時代が到来」したということになります。氏子こそが信仰の主体であり、神職は神々と氏子を仲介する仲執持であったはずなのに、氏子も神職もキリスト教的に変質したかのようです。

▽3 「市民」とは何か

「市民の意識、評価が大事で、市民の評価で公共性、必要性の有無を決める時代」に、「神社がどれだけの存在意義を発揮できるか」と問いかけることそれ自体が、変質を物語っています。

 そもそも「市民」とは何なのか。

 小野祖教・国学院大学教授(神道学者、故人)は、何十年も前にこう指摘しています。

「国民の半数は郷土を持たない随時、転勤転住する浮き草性市民となり、世代的に、親子の職業関係がつながらず、居住もつながらず、親族、隣保、郷土の意識が薄れると……今後、氏神はいかなるものに変質するか分からない。神社神道史上の大きな課題を含む過渡的時代に当面している」

 神社神道を成立させてきた定住社会とは正反対の位置にある「浮き草性市民」に訴え、神社の存在意義について評価を委ねることは、神社の存在意義をみずから変質させることになりはしないかと恐れます。

 それでもなお、仲執持は宣教師に変身し、市民運動家もしくはボランティア活動家に身をやつさなければならないのかどうか。

▽4 神道人・今泉定助は何をしたのか

 若い研究者は、関東大震災の歴史を振り返り、当時の神職が組織的に活動したことを紹介しています。

 神社を中心とした社会事業の奨励が行われたというのですが、それらはよく見ると、神職らの活動というより、当時の行政が全国神職会の媒体を利用して、そのように呼びかけていたというように見えます。

 広い境内地を持つ神社に対して、無料宿泊所や託児所を設け、困窮した人々を支援し、教化公益に尽くすべきだと主張していたのは、この研究者によれば、東京市社会局であり、神社側は逆に神域の尊厳護持に努めようとしていたほどです。

 実際、当時の神道人は未曾有の大震災のなかで、何をしようとしていたのでしょうか。当メルマガの読者ならお分かりのように、当時の行政は今日以上の無宗教的政策を推進しており、宗教界との対立的状況さえありました。

 この時代を代表する神道人といえば今泉定助ですが、次回から、彼らの行動を振り返ってみたいと追います。近代における神社の位置、いわゆる国家神道の歴史について、検証する材料を提供してくれると思うからです。同時に、今後の神社神道の行方を考えるヒントを与えてくれると思うからです。
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