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検証・平成の御代替わり 第2回 ──石原信雄内閣官房副長官の証言を読む その2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年9月26日号)からの転載です

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検証・平成の御代替わり 第2回
──石原信雄内閣官房副長官の証言を読む その2
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▽1 皇室儀礼に「宗教色がある」から無宗教儀礼を作った

 それでは、前号に続いて、石原信雄内閣官房副長官の著書『官邸2668日』を読み進めます。

 その前にお断りしておきますが、私の目的は、聡明な読者ならお分かりのように、石原氏を個人攻撃することではありません。石原氏の著書を取りあげるのは、ほかに材料が見当たらないからです。

 別ないい方をすれば、御代替わりの儀礼は少なくとも千年の歴史を持っているはずですが、敗戦によって成分法的根拠を失い、新憲法下で最初の事例となった平成の御代替わりは、皇室の意思にもよらず、ひと握りの政府関係者によって決められ、関わった為政者は多くの場合、ものを語ろうとしません。

 石原氏の著書はきわめて例外的に、歴史検証のための貴重な資料を提供してくれています。

 その石原氏の著書のなかで、政教分離問題に関して例示されているのは、(1)皇位継承後の践祚の儀式、(2)御大喪における葬場殿の儀、(3)大嘗祭、の3点です。前回は(1)について振り返りました。

 今日は(2)の御大喪について、振り返ります。

 昭和天皇の大喪の礼は平成元(1989)年2月24日に新宿御苑で行われました。石原氏によれば、昭和天皇崩御ののち、大喪の礼委員会が設置され、「どういう形で、いつ、執り行うか、新憲法のもとでどこまで伝統的な葬儀を執り行えるか、についてだいぶ議論した」といいます。その結果、「天皇家の公式行事として葬場殿の儀を行ったあと、国事行為の大喪の礼を行うという分離方式を採った」のでした。

 大喪の礼というのは過去の歴史にない新例でした。皇室行事としての伝統的な葬場殿の儀に新例としての国事行為である大喪の礼を加え、しかも分離して挙行する方式が取られたのは、石原氏によれば、葬場殿の儀に「宗教色がある」からでした。

 石原氏はこう説明しています。

「まず、葬場殿の儀は伝統的な方式にのっとり、鳥居を設け、大真榊を置き、葱華輦(そうかれん)で昭和天皇のご遺体を葬場殿まで運んで安置するという一連の儀式です。しかし、これはかなり宗教色があるわけです。そこで政府主催の国事行為として行う大喪の礼は、葬場殿の儀に引き続いて執り行うことにした」


▽2 鳥居と大真榊が撤去された理由

 これに対して、「多様な意見があがった」そうです。「2つの儀式は別の場所を行うべきだ」「国事行為と皇室行事とが混同する」というような意見でした。

 結局、石原氏らは、御大喪が荘重な雰囲気のなかで、外国元首らが参列して行われているのに、「別々ではいかにも不自然だ」と反対論を押し切り、その代わり、「前半の葬場殿の儀と後半に行う大喪の礼の切り替え時に、宗教的なものである鳥居と大真榊を撤去することにした」のです。

 なぜ鳥居と大真榊は撤去されたのか?

 石原氏の著書によれば、「天皇家の喪儀を鳥居なしでやるとはまったく考えられない」という意見があった一方で、「当時の味村治法制局長官以下、法制局が、『どう考えても鳥居は宗教のシンボルだから、鳥居を置いたまま国事行為を行うわけにはいかない、絶対ダメだ』と主張していたことが原因」でした。

「小渕官房長官を中心にずいぶん議論したが、結局、折衷案に落ち着いた」と石原氏は書いています。

 石原氏の著書では説明がありませんが、皇室行事として行われた葬場殿の儀も、当初の計画では、鳥居は立てられない予定でした。しかしその後、葬場殿の儀にかぎって鳥居が建てられ、国の行事としての大喪の礼では取り外されることになりました。

 平成元年1月25日付朝日新聞に「政教分離に疑問残す、大喪の礼」という記事が載っていますが、この記事は、藤波孝生元官房長官(皇室問題懇話会座長)が党内の神社関係者らの要求を吸い上げ、政府側と内々に折衝し、また亀井静香議員(国家基本問題同志会)が政府に強く要求した結果、鳥居が「建立」されることになったと解説していました。

 しかし不思議なことに、このメディアは、なぜ当初の計画で、鳥居が建てられないことになっていたか、については、追及していません。憲法の規定からすれば、大喪の礼に「宗教色」があってはならない、と記者自身、思い込んでいるからなのでしょう。


▽3 4つの問題点

 問題点はなにかといえば、次の4点が考えられます。

(1)宗教色のない葬送儀礼など、この世にあろうはずはないのに、しかも悠久の歴史を持つ皇室の伝統儀礼は宗教と密接に関連しているのに、政府関係者もメディアも、皇室の歴史や伝統より、近代憲法の政教分離原則に忠実たらんとしていること。

(2)憲法は信教の自由を謳い、明らかに宗教の価値を認めているのに、憲法に則って、といいつつ、あたかも宗教を否定しているかのような、違憲が疑われる対応を採っていること。

(3)大行天皇の御大喪が皇室の宗教的伝統に従って行われた場合、国民の信教の自由が侵されるのか、皇室の宗教的儀礼とはそもそもそのようなものなのかどうか、宗教論的にも、憲法論的にも掘り下げられていないこと。

(4)その結果、憲法の政教分離原則を掲げながら、皇室の「宗教」に介入したばかりでなく、無宗教的・非宗教的な国家儀礼を作り、国民に援助・助長・促進するという論理矛盾を敢行した疑いがあること。

 以上、より簡単に表現すれば、私たち日本人は古来、何を信じて、どのような文明を築いてきたのか、が問われているのだと私は考えています。皇室の伝統は「宗教色がある」というような理由で、否定されるべきようなものだったのでしょうか?

 次回は、石原氏が例示する(3)の大嘗祭について、考えてみます。(つづく)

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