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政府は戦後の重大な歴史にフタをしている──検証・平成の御代替わり 第6回 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年10月5日)からの転載です


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 政府は戦後の重大な歴史にフタをしている
 ──検証・平成の御代替わり 第6回
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 政府の公式記録をもとに、平成の御代替わりを検証しています。前々回は踐祚、前回は大喪儀を振り返りました。今回は「即位の礼」です。

▽1 皇室典範第25条が法的根拠

 内閣総理大臣官房が編集・発行した『平成即位の礼記録』(平成3年)は、「即位の礼」が国の儀式として行われた法的根拠を、皇室典範第24条「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」にあると説明しています。

 憲法第7条に列挙された天皇の国事行為の最後、10番目に「儀式を行うこと」とあり、法体系の整合性からいって、そのように考えられたということでしょう。

 けれども「即位の礼」の中身についての明文的規定はありません。そこで、憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統を尊重して、内閣の責任において、決定された、と説明されています。

 そのため、内閣では段階的に委員会が設けられ、「即位の礼」の中身について、検討がなされたのですが、既述したように、昭和天皇崩御の当日に行われた「剣璽等承継の儀」、二日後に行われた「即位後朝見の儀」については、「即位の礼」の一環として、すでに行われていました。2つの儀式は内閣の独自の判断で行われたわけです。

 昭和天皇崩御から半年を経た、諒闇中の平成元年6月29日、「即位の礼」について、事務レベルで調査・検討する「即位の礼検討委員会」が設置されました。委員長は石原信雄内閣官房副長官(事務)、副委員長は工藤敦夫内閣法制局長官、宮尾盤宮内庁次長でした。

 同じ日に、宮内庁では藤森昭一宮内庁長官を委員長とする「大礼検討委員会」が発足しました。

 約3カ月後、9月26日に「即位の礼準備委員会」が内閣に設置され、「即位の礼」に関する協議が始まりました。委員長は森山眞弓内閣官房長官で、工藤内閣法制局長官、藤本孝雄内閣官房副長官(政務)、石原内閣官房副長官(事務)、藤森宮内庁長官が委員となりました。

 同じ日に宮内庁では、宮内庁長官を委員長とする「大礼準備委員会」が設置されています。

「即位の礼準備委員会」は11月から4回にわたり、儀式のあり方などについて、大嘗祭も含めて、曾野綾子氏、岡田精司氏、上山春平氏など15人の参考人の意見を聴取しました。

▽2 興味深い反対派の意見

『平成即位の礼記録』には、聴取された意見が10ページにわたり、事務局によるメモ書きで収録されています。

 とくに反対派と目される意見には興味深いものが多々あります。実証的に、あるいは理論的に克服すべきヒントが示されているからです。いくつかを拾ってみます。

「戦前は神話に天皇の根拠があったが、現在の憲法は社会契約的発想に立っており、天皇の存在根拠は憲法にしかない。憲法に定められた以外の役割、機能をいっさい持つわけにはいかない」

「登極令は本来の即位儀礼の姿を復元したというが、儀場を皇居から遠隔地とし、即位礼と大嘗祭を連続の行事とし、中国風を純神道様式にし、御帳台が立てられ、総理が祝詞を奏上し、萬歳の大声を上げ、御禊は復活させず、大饗は分立して別の行事となり、親祭が加わるなど、伝統の継承ではなく、古来の儀礼や場所を材料に用いながら、新しい儀礼を創造したもので、伝統行事ではなく、大正・昭和の2回しか実施されていない」

「大嘗祭は中断されたこともあり、きちんと行われたのは近々190年のことであるので、皇位継承に伴う不可欠の儀式であるとはいえない」

「現行憲法下においては、皇室典範第24条で「即位の礼」についてのみ定め、明治憲法下の旧皇室典範、旧登極令による踐祚と大嘗祭に関する規定はすべて廃止されたものであるから、大嘗祭は「即位の礼」には含まれない。また、現行の皇室典範制定に際して、当時の金森徳次郎国務大臣が『即位の礼』の予定しているところは信仰に関係のない部分であり、大嘗祭は含まれない旨、答弁している」

「諸外国の国家と教会の関係が緩やかなのに対して、日本の政教分離原則が厳格なのは、人々を弾圧する側に荷担したのが神道の流れだという歴史的認識による」

「即位礼は旧登極令などに準拠して行われるべきではなく、高御座の使用、剣璽の奉安、大饗は憲法の主権在民原則、政教分離原則から避けるべきであり、また、天皇のお言葉、それに対する内閣総理大臣の奉答などについても、憲法にふさわしい内容のものでなければならない」

「『賢所大前の儀』は宗教の問題だから、国はまったく関知すべきではない」

「大嘗祭は宗教的儀式であるから、公務員がこれに参列することは国の宗教的活動に当たり、違憲である」

 日本の歴史の実証的研究の深まり、天皇統治に関するより深い探究などが必要なことが、あらためて分かります。

▽3 閣議で了解された3つの儀式

 平成元年12月21日、即位の礼準備委員会は約3か月間の検討結果をまとめ、「即位の礼」および大嘗祭の挙行について、閣議に報告し、了解されました。

「即位の礼」については、喪明け(諒闇明け)後、(1)「即位礼正殿の儀」=即位を公に宣明し、内外の代表が即位を寿ぐ儀式、参列者は約2500名、(2)「祝賀御列の儀」=即位礼正殿の儀のあと、広く国民に即位を披露され、祝福を受けられるためのお列、宮殿から赤坂御所まで(3)「饗宴の儀」=即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴、出席者は約3400名、4日間──が行われ、総理府本府が担当することになりました。

 このうち(2)のパレードは新例でしたが、多くの国民から歓迎されました。

 準備委員会は大嘗祭について、意義と位置づけなどを検討しています。

 意義については、次のようにまとめられています。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、はじめて、大嘗祭において、深刻を皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、かならず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式である」

 したがって、「趣旨・形式などからして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることは馴染まない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」として、皇室の行事として位置づけられることになりました。

 この大嘗祭の意義と位置づけに関する理解には大きな問題がある、と私は考えていますが、それは次回、触れることにします。

▽4 歴史から消えた文書課長の依命通牒

 さて、政府は「即位の礼」を行うことの根拠を皇室典範第25条に置いています。そして、その中身については、明文的規定がないということで、内閣に委員会が段階的に設置され、検討されたのでした。

 けれども、これには大きな歴史の見落としがあります。政府は重大な史実にフタをしています。

 当メルマガの読者ならすでにお気づきのように、昭和22年5月、日本国憲法が施行されたのに伴い、戦前の皇室令が「廃止」されましたが、宮内府長官官房文書課長名の依命通牒、いまでいう審議官通達で、「従前の例に準じて事務を処理すること」(第3項)とされました。

 18か条の本則のほかに、附式の第1編で「践祚の式」を、第2編で「即位礼および大嘗祭の式」を事細かに定めていた登極令の「中身」は、少なくともこの時点で生きていたことになります。

『平成即位の礼記録』は、準備委員会に参考人として呼ばれた反対派の識者が皇室典範改正当時の議論に言及したことについて、記述していますが、皇室典範改正の議論が行われたのは依命通牒の前年でした。このときの議論はさらに興味深いものです。

『皇室典範』(日本立法資料全集1、平成2年)によると、21年12月5日、第91帝国議会では皇室典範案について、第一読会が行われました。議事速記録には即位踐祚に関する議論がなされたことが記録されています。

 吉田茂首相の提案理由説明のあと、発言したのは吉田安議員で、皇位継承資格、女帝問題などに続いて、現行典範には踐祚即位の章が設けられているのに、改正典範案はあっけない規定しかない、これで完全といえるか、質問し、これに対して金森徳次郎国務大臣が、次のように答えています。長くなりますが、関係箇所をすべて引用します。

「踐祚即位につきましての特別なる章を設けなかったのはどういうのであるか、というお尋ねでありましたが、踐祚および即位に関します規定は、現行の皇室典範には御説のごとく、3か条、規定があるわけであります。

 そうしてこれに基づきまする諸般の制度は、登極令という皇室令のなかに定まっておりまするが、これを分解してひとつひとつに考えてみますると、踐祚に関する規定、すなわち天皇崩御になりますれば、皇嗣すなわち踐祚を遊ばされる、という規定が1つでありまして、これは先にもご指摘になりましたように、文字こそ違っておりまするけれども、ほとんどそのままに今回の改正案の中に入っておるのであります。

 また、即位の礼を行わせられ、大嘗祭を行わせられるというふうの規定は、これは即位の礼に関しましては、今回制定せられまする典範のなかに、やはり規定が設けられてありまして、事実において異なるところがございませんので、大嘗祭などのことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりますがゆえに、皇室典範のなかに姿を現すことは、あるいは不適当であろうと考えておるのであります」

▽5 これは立法者が予定した「即位の礼」ではない

 金森答弁から浮かび上がるのは、次の3点です。

(1)改正案には「踐祚」という文字は消えたが、中身に変更はない、と少なくとも金森大臣は考えていた。したがって平成の御代替わりに行われたような、「即位の礼」に「踐祚」の式の一部を含める考えはなかったこと

(2)少なくとも即位礼について、中身について変更はない、と考えられていたこと

(3)大嘗祭についての記述がないのは、信仰面を含むことから明文化は不適当と考えられたこと。つまり、大嘗祭の挙行が不適当だと考えられたわけではないこと

 こうした国会審議を経て、皇室の法律である皇室令ではなくて、国会が定める法律としての皇室典範は、22年5月3日、日本国憲法とともに施行されました。

 前日に皇室令は廃止されましたが、このとき宮内府長官官房文書課長名で出された依命通牒では、「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」とされました。

 50年8月の宮内庁長官室会議でこの依命通牒が人知れず反故にされるまで、この通牒が生きていたのであり、踐祚、即位礼、大嘗祭に関する皇室の伝統は続いていたのです。

 平成2年1月19日の閣議は、皇室典範を法的根拠として、同年11月に「即位の礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」の3つの儀式を「即位の礼」として挙行することを決定しましたが、皇室典範の立法者たちはそのような「即位の礼」を予定していなかったといえます。

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