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日本を受容し、排斥する韓国人の引き裂かれた精神──米大統領府晩餐会に出された日本料理への不満 [韓国]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年10月29日)からの転載です


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日本を受容し、排斥する韓国人の引き裂かれた精神
──米大統領府晩餐会に出された日本料理への不満
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 先日、ジャーナリストの黒田勝弘さんが、訪米した李明博・韓国大統領に対する、ホワイトハウスでの晩餐会について、興味深いニュースを伝えていました。メニューに日本料理が出されたことから、韓国内で不満の声が出ている、とくに韓国メディアは「ホワイトハウスの深刻なミス」と批判している、というのです。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111025/kor11102501340000-n1.htm

 黒田さんの記事によると、朝鮮日報が発行する雑誌「週刊朝鮮」が伝えた晩餐会のメニューは、前菜は「マサゴ」と名付けられた「カリフォルニア巻き」のようなお寿司で、サラダは「ダイコン」。メインディッシュのステーキは「ワギュウ」、添えられた野菜は「カボチャ」でした。

 同誌は「これはホワイトハウスの深刻なミスで失礼にあたる。とくに韓国料理の世界化に努力中の韓国大統領の金潤玉夫人は不満だったはず」と伝えているのだそうです。


▽1 反日的脳細胞を刺激する

 韓国誌の記事は「現実的に米国では日本料理は最高級料理になっている」というアメリカの食の現実を認めつつ、「韓国人出席者は受け入れがたい気持ちではなかったか」と指摘しているというのですが、何をどう受け入れられないのでしょうか?

 結論からいえば、現代の韓国人は「日本」を受け入れられない、ということなのでしょう。現実には日本の文化を多く受け入れているのに、です。韓国人の心は分裂しています。

 アメリカは人種の坩堝(るつぼ)ですから、当然、アメリカの食文化は世界の食文化のモザイクです。アメリカで「最高級」とされる「日本料理」が、賓客をもてなす料理として晩餐会に出されるのにはそれなりの理由があります。

 もちろんアメリカの食文化を代表するハンバーガーが「ハンブルグ風」であるように、「カリフォルニア巻き」はアメリカ風にアレンジされたアメリカ料理のはずです。それを韓国人は「日本料理」と見るから、韓国人自身の反日的脳細胞を刺激するのです。

 どこの国であれ、食文化は多かれ少なかれ、他国との歴史的交流の産物です。韓国誌の記者が強い反発を感じているらしい日本料理の食材も、もともと日本オリジナルではありません。

 ダイコンは地中海沿岸地方が原産地で、日本には弥生時代に伝わったようですし、カボチャはアメリカ原産ですが、室町時代にポルトガル人によって日本にもたらされました。「カンボジア」が名称の由来であることは日本では常識です。ステーキの「和牛」にしても、近代以降、在来の牛に輸入牛をかけ合わせて、新たに改良されたものです。

 こうした食の歴史を、口を酸っぱくして解説しても、日本嫌いの韓国人記者にはたぶん馬耳東風でしょう。

 しかし、それほど日本がいやなら、「韓国料理の世界化に努力中の韓国大統領の金潤玉夫人」は、大根キムチのカクテキを世界化の対象から外すべきではないでしょうか? 大根キムチ追放キャンペーンを新聞社は推進すべきではないですか?


▽2 キムチの唐辛子は日本から伝えられた

 韓国政府が数年来、「韓国の食文化の国際化」を推進するようになった要因のひとつは、日本食が世界に広がっていることへの対抗意識でした。けれども、日本を鏡にするほかに自画像が描けないのなら、日本を否定することは自分の存在を失わせます。

 なぜなら、韓国食文化を代表するキムチそれ自体、日本との交流の結果、生まれたからです。キムチに欠かせない唐辛子は、南米原産ですが、朝鮮半島にもたらされたのは、韓国人が「侵略」と呼ぶ、秀吉の朝鮮出兵のころ、日本からでした。

 朝鮮の実学者・李晬光が1613年に編纂した『芝峰類説』には、朝鮮半島には日本を通じて知らされたので、「倭芥子(ウェゲジャ)」と呼ばれると記載されています。キムチに唐辛子を用いるようになったのは18世紀の半ばで、ピリリと辛いキムチが一般化したのは18世紀後半といわれます。

 大根や白菜のキムチが韓国で大量に流通するようになったのは、日本人女性を母として日本で生まれ、日本で学び、その後、独立直後の韓国で、野菜の種子の自給体制確立に貢献し、やがて「韓国農業の父」と呼ばれた禹長春氏の功績によります。

 食文化ばかりではありません。韓国の新聞の歴史にも日本が関与しています。韓国で最初にハングル文字を用いた新聞は漢城周報ですが、福沢諭吉や井上角五郎など日本人が協力しました。韓国・朝鮮の近代化には多くの日本人が貢献しています。

 ソウルには日本時代の面影がいまも色濃く残されています。ソウル市庁舎は旧京城府庁ですし、市議会議事堂は旧京城府民館です。ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)はかつて明治村と呼ばれていたのではありませんか。

 どこの国にも他国の文化を受け入れ、発展させてきた歴史があります。韓国の歴史も例外ではありません。韓国・朝鮮は日本の文化を受け入れ、独自の文化を創ってきたのに、その事実を認めることができず、まるで人類の歴史が朝鮮半島から生まれたかのような説さえ、しばしば主張されています。

 日本文化の受容は現代も例外ではありません。10年前、歴史教科書問題をきっかけに日韓関係が抜き差しならない状況になったとき、ソウルの街ではどこへ行っても、人気歌手のポジションが韓国語で歌う、尾崎豊の「アイ・ラブ・ユー」が流れ、そのCDはヒットチャートのトップをずっと走り続けていました。

 日本を受容しながら、日本を排斥する。韓国人の精神は分裂している、といわざるを得ません。


▽3 韓国宮廷料理研究家・黄慧性さんの思い出

 黄慧性(ファン・ヘソン)さんという韓国人女性がいます。忠清南道の裕福な両班の家庭に生まれ、日本の女学校に学んだあと、長年、朝鮮の宮中料理を研究しました。重要無形文化財に指定され、ソウル大など各大学の教壇に立ち、後進の養成に尽くし、5年前、86歳でこの世を去りました。

 黄慧性さんの偉大さは日本と日本人をしっかりと理解し、評価していたことにあります。第2次大戦後、失われかけていた朝鮮の宮廷料理を研究できたのは、ほかでもありません。日本時代に朝鮮総督府が李王職を設け、宮廷文化を保存、記録していたからでした。

 亡くなる何年か前、黄慧性さんを「韓国のお母さん」と慕う、韓国文化に詳しい友人に連れられてソウルを旅しました。戦前は朝鮮神宮の境内だった、南山頂上にある宮廷料理店で、優雅なチマチョゴリ姿の黄慧性さんと食卓を囲んだとき、黄慧性さんが語った言葉が印象的でした。

「最近の人はすぐに栄養学的な意味を考えようとする」

 国王が毎日、食する宮廷料理には儒教的な意味づけがある、それが欧米の学問を学んだ現代の韓国人には理解できない、というのが黄慧性さんの嘆きでした。

 黄慧性さんは、日本および日本人に対する好悪の感情を超えて、客観的に評価する目を持ち、学ぶべきところあり、とすれば、素直に学ぶ姿勢を持っていました。事実を無視して、観念的に日本を批判する、しかも言っていることとやっていることが百八十度違う。そんな親米・反日の李承晩の息子たちとは雲泥の差があります。


▽4 謙虚に他者を受け入れる日本

 ひるがえって日本はどうでしょうか?

 日本は有史以来、水田稲作、漢字、仏教、儒教など、海外文化を積極的に受け入れてきました。そして皇室こそは世界文化受容の中心です。

 たとえば宮中に伝わる雅楽は、唐楽、高麗楽、渤海楽、林邑楽など古代のアジア諸国の音楽が源流となっています。近代以後、キリスト教の社会事業を深く理解され、経済的、精神的に支援されたのも皇室です。

 驕り高ぶらずに、他者を謙虚に受け入れる力が、日本の文化を豊かにしてきたのです。


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