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一日も早いご快復を──長引く天皇陛下のご入院 [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 一日も早いご快復を──長引く天皇陛下のご入院
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 まずお知らせです。

 再来週、11月26日(土曜日)の午後1時から、東京・代々木の神社本庁大講堂で、「政教関係を正す会」設立40周年記念シンポジウム「政教関係の諸相─過去・現在・未来」が開かれます。

 パネリストは百地章・日本大学教授(憲法学)、矢澤澄道・雑誌「寺門興隆」編集発行人、それと私の3人です。

 司会は八木秀次・高崎経済大学教授(憲法学)で、オブザーバーとして大原康男・国学院大学教授(宗教学)が加わります。

 第一部でパネラーによる発題がそれぞれ20分ずつあり、休憩をはさんで、第二部で討論が行われます。

 事務局によれば、一般の参加も大歓迎だそうですから、どうぞ皆さん、お越しください。


▽1 20年以降、旬祭の親拝がない

 さて、本題です。天皇陛下のご入院が長引いています。心配です。

 今回の御不例を時系列で振り返ってみます。

◇ 11月1日(火曜日) 以前なら宮中三殿で旬祭の親拝がありましたが、この日のお出ましはありませんでした。

 20年暮れの御不例をきっかけに、御負担軽減のかけ声に乗って、21年1月以後、祭祀簡略化が進められ、昭和の先例を踏襲して、毎月1日の旬祭の親拝は5月と10月以外は御代拝によることとされたからです。

 けれども、より正確にいえば、親拝はその前年からありませんでした。20年11月の旬祭も御代拝でした。この年の10月30日から11月2日まで天皇陛下は、皇后陛下を伴い、奈良県・京都府を行幸されていたからです。11月1日に国立京都国際会館で行われた源氏物語千年紀記念式典へのご臨席が主たる目的でした。

 憲法に規定される国事行為でもない、いわゆる御公務の日程の影響で、旬祭が御代拝となるケースは以前からありました。

 今年はこの日、宮内庁が「新嘗祭について」という重大な発表を行いました。いわゆる簡略化です。その問題点は前回、お話しました。

「皇室医務主管より、専門医からの報告として、本年2月に行ったご検査の結果判明した冠動脈の狭窄状況により、陛下が、長時間にわたってお祀りを行われることには、様々なリスクがあるとの指摘があった」ことが理由とされていることだけ、確認しておきます。

 なお、陛下はこの日、御所でご執務をなさいました。

◇ 11月2日(水曜日) 陛下はこの日、皇后陛下とともに、宮殿でベトナム首相夫妻をご引見なさるなど、3件の御公務をお務めになりました。

◇ 11月3日(木曜日) この日は文化の日でした。明治天皇のお誕生日です。

 天皇陛下は宮殿で文化勲章親授式に臨まれました。また、皇后陛下とともに、御所で、悠仁親王殿下の着袴の儀につき、秋篠宮同妃両殿下、悠仁親王殿下のご挨拶をお受けになりました。


▽2 症状の悪化でご入院

◇ 11月4日(金曜日) この日、陛下は御所でご執務をなさいましたが、午後に予定されていた文化勲章受章者及び文化功労者等茶会へのお出ましは、お取りやめとなりました。「お風邪による発熱のため」と宮内庁は発表しました。皇太子殿下が陛下の御名代をお務めになりました。

 また、同じく午後にデンマーク王子ヨアキム同妃両殿下とのお茶が御所で予定されていましたが、皇后陛下のみのお務めとなりました。

◇ 11月5日(土曜日) 陛下のお風邪の症状は続きました。宮内庁は「明日午前に予定されている第60回全日本手をつなぐ育成会全国大会式典への行幸はお取りやめとなります」と発表しました。

◇ 11月6日(日曜日) 前日の宮内庁発表通り、東京国際フォーラムでの第60回全日本手をつなぐ育成会全国大会式典への行幸はお取り止めとなり、皇太子殿下がご名代としてご臨席になりました。

 陛下はこの日、御所でご執務をなさいましたが、症状が悪化し、陛下はこの夜、にわかに入院されることになりました。

 宮内庁は次のように発表しています。「天皇陛下には、最近、軽い気管支炎に繰り返しお罹りになっておられましたが、今回は、発熱が続き、気管支炎がより重くなってきております。これまでにご疲労が相当蓄積し、お身体の抵抗力が低下しているご状況にあられると拝察されますので、この際、大事を取って、今夜から東大病院にご入院頂き、ご治療を続けさせて頂くことになりました」

 ご入院に伴い、政府は国事行為を皇太子殿下に委任することになりました。野田内閣は「天皇陛下は、御病気御療養につき、11月7日から当分の間、日本国憲法第4条第2項及び国事行為の臨時代行に関する法律第2条第1項の規定に基づき、国事に関する行為を皇太子徳仁親王殿下に委任して臨時に代行させられることとする」と閣議決定しました。

 それにしても「これまでにご疲労が相当蓄積し、お身体の抵抗力が低下しているご状況にあられると拝察されますので、この際、大事を取って」という宮内庁発表は、他人事のようです。御公務削減に真剣に取り組まなかった責任は、間違いなく側近にあります。


▽3 よみがえる平成20年の記憶

 思い起こせば、平成の祭祀簡略化のきっかけとなった20年暮れの御不例も、当時の発表などによれば、陛下が変調を感じられたのは、新嘗祭の前でした。

 しかし陛下は宮中第一の重儀である新嘗祭を粛々と親祭になり、さらに12月1日の旬祭もお務めになりました。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」)という祭祀王としての御自覚から、新嘗祭の親祭を強く望まれたのかとも拝察されます。

 けれども、陛下のお気持ちとは裏腹に、宮内庁の御公務見直しはきわめて歪なかたちで進みました。ご日程件数は減るどころか増えるばかりで、21年7月には2週間におよぶカナダ、ハワイ公式ご訪問までが実施されました。

 他方、祭祀ばかりが御負担軽減の標的にされ、伝統無視の簡略化が行われてきたことは、当メルマガの読者ならご承知のとおりです。

 旧皇室祭祀令によれば、大祭は皇族または掌典長に祭祀を行わせ、小祭は皇族または侍従に拝礼させればすむことでした。日本国憲法の施行に伴い、皇室令はすべて廃止されましたが、宮内府長官官房文書課長の依命通牒により、祭祀の伝統は守られてきました。

 ところが、昭和40年代、入江相政侍従長はみずからの加齢から「工作」を進め、伝統無視の祭祀の「簡素化」を企て、50年8月15日の宮内庁長官室会議で依命通牒が廃棄されたことにより、無原則な祭祀改変が加速しました。

 この昭和の悪しき先例を踏襲するのが、いま目の前で進行する平成の祭祀簡略化です。祭祀のお務めを果たせない陛下のご無念はいかばかりでしょうか。


▽4 延期されたご退院

◇ 11月10日(木曜日) この日の発表では、「東大病院の担当医師の判断によれば、天皇陛下のご症状は、順調に回復しつつあるので、明11日以降はご退院が可能とのことであり、よって、天皇陛下には、明11日午後に退院なさいます」とのことでしたが、実現されませんでした。

◇ 11月11日(金曜日) 皇室医務主管の発表によれば、前日の夜からふたたびお咳がひどくなり、この日の朝は一時的にお熱が高くなったため、大事を取って、ご退院は見合わされることになりました。

 一日も早い陛下のご回復をお祈りするばかりです。

タグ:宮中祭祀
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