SSブログ

「女性宮家」創設の本当の提案理由──政府関係者はきちんと説明すべきだ [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2012年3月11日)からの転載です


 今日は鎮魂の日です。

 陛下は、皇后陛下とともに、大震災1周年追悼式にお出ましになり、犠牲者に黙祷を捧げ、「この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切」とお言葉を述べられました。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h24e.html#D0311

 陛下は3週間前に心臓外科手術を受けられ、1週間前に退院さればかり。その後も御所で療養中だが、ご臨席を強く希望され、時間を限られてのお出ましとなりました。

 思えば、昭和天皇が晩年、最後までこだわられたのが終戦記念日の全国戦没者追悼式のお出ましと新嘗祭の親祭でした。

 天皇の祭りは神人共食の食儀礼です。神と民と命を共有し、その命を蘇らせる。古来、国民の命をわが命とし、祭りの霊力で国と民を統合してこられた天皇であればこそ、でしょう。

 けれども、両陛下とも祭祀の簡略化に苦悩されています。今上陛下は大震災追悼式にお出ましになりましたが、歴代天皇が第一のお務めとした祭祀は今後、どのようになるのでしょうか。 


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「女性宮家」創設の本当の提案理由
──政府関係者はきちんと説明すべきだ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


▽1 「皇位継承問題とは別の次元」と強調する前侍従長

 さて、今回も、いわゆる女性宮家創設問題について、考えます。

 まず、これまでの考察を簡単に振り返ります。

 私の第一の疑問は、議論の中味に統一性がない、概念が明確でない、ということです。皇位継承問題として議論としている論者も多いのですが、宮内庁関係者はそういう議論ではないと否定しています。

 これではまともな議論は不可能です。いったい誰が、いつ、何の目的で「女性宮家」創設を言い出したのか、はっきりさせる必要があります。

 今回の議論のきっかけは、衆目の一致するところでは、昨年11月、「宮内庁が、皇族女子による『女性宮家』創設の検討を『火急の案件』として野田首相に要請したことが分かった」と伝える読売新聞の「スクープ」です。

 しかし、当代随一の皇室ジャーナリスト、岩井克己朝日新聞記者によると、羽毛田信吾宮内庁長官は「女性宮家創設を提案したと報じられた」ことについて、「長官は強く否定している」のでした。

 岩井記者によれば、羽毛田信吾宮内庁長官は歴代首相に対して、所管事項を説明する際、女性皇族の皇籍離脱と宮家消失の恐れについて「危機感を訴えてきた」のであり、女性宮家創設を主張しているのではありません。

 女性宮家創設の提案は羽毛田長官ではなくて、渡邉允前侍従長なのでした。岩井記者によると、女性宮家創設案は前侍従長が数年前から「私案」としてたびたび公言し、「週刊朝日」誌上の対談でも表明してきたと指摘しています。

 しかし、「週刊朝日」の対談記事には、「女性宮家」という表現はありません。前侍従長が述べているのは、(1)皇室のご活動が十分に確保されるように、皇族女子が婚姻後も皇族にとどまり、(2)悠仁親王の時代を支えること、(3)皇位継承問題とは別の当面の措置であること、(4)陛下がおっしゃる将来の問題とは皇室のご活動に関する問題と理解されること、の4点です。

 渡邉前侍従長が「女性宮家」と明確に表現したのは、昨年暮れに出された『天皇家の執事』文庫版の「文庫版のための後書き」です。「たとえば、内親王さまが結婚されても、新しい宮家を立てて皇室に残られることが可能になるように、皇室典範の手直しをする必要があると思います」と書かれています。

(1)現行の制度のままでは皇族の数が激減する。(2)皇室のご活動が不十分になり、(3)皇室が国民からかけ離れたものとなる恐れがあるから、(4)女性皇族が結婚されても、皇室に残れるようにする必要がある。そのための「女性宮家」創設だというわけです。

 羽毛田長官は「何年もの間、陛下は皇統の問題などを憂慮されている」という理解で、そのため女性天皇・女系継承容認論に執念を燃やしていますが、渡邉前侍従長はこれとはまったく異なり、皇位継承問題とは「別の次元の問題」と繰り返し強調しています。

 忘れないうちにもう1点だけ指摘しておきますが、「皇室のご活動」を確保するという目的なら、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる必要も、新宮家を創設する必要もありません。実際に、臣籍降下した元皇族が社会的活動をなさっている例は少なくないし、寛仁殿下は三笠宮家の一員のままご公務をお務めです。


▽2 最初の提案者であることを否定する研究者

 ところが、いまや現実の「女性宮家」論議は、皇位継承問題に終始し、男系派と女系派の熱い議論がふたたび始まっています。

 というのも、皇位継承問題としての「女性宮家」創設を訴える識者がいるからです。所功京都産業大学教授の議論です。

 朝日新聞のデータベースで、「女性宮家」をキーワードに検索すると、もっとも古い記事は「週刊朝日」2004(平成16)年7月9日号に掲載された「雅子さま、救う『女性宮家』考」という4ページの記事です。

 記事のリードには、「皇太子さまの異例発言を受け、盛り上がる皇室典範改正論議。『女性天皇』が認められれば、皇太子妃雅子さまの悩みも軽減される──というわけでもないらしい。愛子さまのプレッシャーを軽くするには『女性宮家』の創設が先だとする研究者もいる」とあるのですが、その研究者こそ、所教授なのでした。

 所先生はこうコメントしています。「雅子さまや愛子さまの身になって考えれば、いま、いきなり女性天皇にいってしまうのは重圧が大きすぎると思われます。天皇になると、男性でも過酷な重労働を一生続けなければなりません。まずは女性皇族が結婚しても皇族の身分でいられる制度を整えるべきだと思います」

 雑誌記事が出てから約半年後の12月に設置されたのが、「安定的で望ましい皇位継承」のための方策を追求する皇室典範有識者会議で、教授は翌年6月8日の会議に招かれ、明確に「女性宮家」創設を提言しています。

「皇族の総数が現在かなり極端に少なくなってきております。しかも、今後少子化が進み更に減少するおそれがあります。このような皇族の減少を何とかして食い止めるためには、まず女性皇族が結婚後も宮家を立てられることにより、皇族身分にとどまられることができるようにする必要があります」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7siryou3.html

 教授が当日配布した資料には、「女系継承の容認と女性宮家の創立」と明記され、「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女も皇族とする必要があろう」などと記されています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai7/7gijisidai.html

 所教授の発言は会議の報告書を先取りする内容でした。

 報告書には「現行制度では、皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れることとされているが、女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」(「3、皇族の範囲」)と述べられています。

 ただ、報告書には「宮家を立てて」が脱落し、「女性宮家」という表現が消えています。

 皇位継承論としての「女性宮家」創設論は所教授が最初に提案し、有識者会議で議論されたけれども、なぜか報告書からは消えたということなのでしょうか?

 興味深いことに、所教授は「誰が女性宮家創設を言い出したのか、知らない」といい、ご自身が最初の提唱者であることを認めていません。


▽3 内閣法制局の極秘プロジェクト

 じつは所教授以前に、たしかに「女性宮家」の提案者がいるのです。国立国会図書館のデータベースで、「女性宮家」をキーワードに検索すると、さらに遡れるからです。

 検索でヒットするのは30数件。古い順に並べると、もっとも古いのが10年前、元毎日新聞記者で、CNN日本語サイト編集長だった森暢平氏が執筆した、(1)「女性天皇容認!内閣法制局が極秘に進める。これが「皇室典範」改正草案──女帝を認め、女性宮家をつくるための検討作業」(「文藝春秋」2002年3月号)でした。

 次が2年後、先述した所教授のコメントが載る、(2)「お世継ぎ問題 結婚しても皇籍離脱しない道 雅子さま救う「女性宮家」考(「週刊朝日」2004年7月9日号)、その次が同時期に所教授自身が書いた、(3)「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」(「Voice」2004年8月号)と続きます。

 所教授の存在感があらためて確認できますが、教授に先駆ける提案者がいたことが分かります。

 森氏の記事によれば、内閣法制局が皇室典範改正の極秘プロジェクトを進めていたのでした。その基本方針は、(1)女性天皇容認と(2)女性宮家創設容認の「2つの柱」だったのです。

 同年4月に33歳をお迎えになる紀宮殿下の結婚問題を背景にして、安倍晋三官房副長官ら官邸筋もからみ、早期改正が視野に入っている、と記事は指摘しています。

 それなら、内閣法制局の官僚たちが考える「女性宮家」とは何か、森氏によれば、「女性天皇」と同じなのです。

「女性天皇を認めた場合、一般の女性皇族にも皇位継承権があり、基本的には結婚しても皇室に残ることになる。つまり、必然的に女性宮家が認められる。いわば、女性天皇と女性宮家は表裏の関係で、検討案の『2つの柱』は、突き詰めると1つと見なせる」

 女性天皇・女系継承容認と一体のかたちで、「女性宮家」創設論が生まれていることが分かります。

 この問題に詳しい産経新聞の阿比留瑠偉記者によれば、平成8年に宮内庁内で皇位継承制度にかかわる基礎資料の作成が始まったことが、同紙が入手した極秘文書によって分かるといいます。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2560514/

 翌9年4月から12年3月まで、内閣官房が加わった非公式の「特別研究会」が2期に分かれて設置され、第1期メンバーには、工藤敦夫元内閣法制局長官、古川貞二郎内閣官房副長官(当時)、大森政輔内閣法制局長官(同)らのほか、元宮内庁幹部らが名を連ねています。

 第2期研究会には、やはりのちに有識者会議の委員(副座長)となり、いま「女性宮家」検討担当内閣官房参与を務める園部逸夫元最高裁判事が加わりました。

 研究会は12年3月にいったん閉じますが、宮内庁内では資料の作成、整理が続けられました。

 森氏の記事はちょうどこの段階で書かれています。


▽4 本質論が欠けたまま誘導される

 阿比留記者によると、その後、15年5月から16年6月にかけて、内閣官房と内閣法制局、宮内庁による皇位継承制度の改正に向けた共同検討が実施されました。そして皇室典範有識者会議が16年12月に発足しますが、会議の最終報告書では「女性宮家」の表現は消えました。

 ともあれ、現在の「女性宮家」創設論が女性天皇・女系継承容認と同一の議論だとするならば、さまざまな謎は解けます。森氏が書いているように、女性皇族にも皇位継承権があることになり、当然、宮家を立てなければなりません。

 しかし、だとすれば、そのように説明されてこそ、国民的な議論は可能です。前侍従長のように、当事者であるはずの宮内庁関係者が「皇位継承問題とは別の次元の問題」などと強調することなどあるべきではありません。

「別の次元」と先手を打って、女性天皇・女系容認反対論を封じ込める一方で、過去の歴史にない制度改革を粛々と進めるのは、まるで愚民政策といわねばなりません。

 先日、東京新聞特報部の取材を受け、3つのことを指摘しました。

(1)いまの「女性宮家」創設論議は提案者が見えない。提案者はその中味、目的をきちんと説明すべきだ。

(2)提案者の1人らしい前侍従長は「皇室のご活動」を確保するために皇室にとどまる必要性を説明しているが、理由にならない。旧皇族がオリンピック委員会の活動を行い、伊勢神宮の斎主を務めているケースもあるからだ。

(3)前侍従長の発想はヨーロッパ的、近代的な「行動する」皇室論であり、天皇・皇族のお務めは何か、という本質論が欠けている。であればなおのこと、提案者はきちんと提案理由を説明すべきだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2012030302000039.html

 天皇が「象徴」という単なる国家機関だとするならば、男だろうが、女だろうがかまわない。「世襲」とはただ血がつながっていればいいというのなら、男系でも女系でもかまわない、という結論になるでしょう。

 天皇とは何か、という本質的な論議が欠けたまま、けっして表に顔を出さない官僚たちに、私たちは誘導されているかのようです。天皇の地位は国家のもっとも基本的な問題であるにもかかわらず、です。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。