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イギリスご訪問決定への懸念──天皇に「めくら判」を押させる構造 [皇室外交]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2012年5月13日)からの転載です


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イギリスご訪問決定への懸念
──天皇に「めくら判」を押させる構造
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 天皇陛下が、皇后陛下とともに、イギリスをご訪問になることが決まりました。18日金曜日に予定される、エリザベス女王即位60年の午餐会に出席なさるためです。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h24uk/eev-h24-uk.html

 陛下は60年前の1953(昭和28)年に行われたエリザベス女王の戴冠式に、昭和天皇のご名代として参列されています。当時の参列者で、今回も出席するのは、陛下のほかは、ベルギーのアルベール国王だけで、話題に花を添えることになりました。

 しかし、不安もあります。


▽1 術後3カ月も経っていないのに

 日本の天皇が即位後、外国を訪問されたのは昭和天皇がはじめてで、昭和46年にはヨーロッパを、50年にはアメリカを訪問されました。70歳を超えてからのご旅行ですが、今回はさらにご高齢での海外ご訪問となります。

 しかも、陛下は2月に心臓外科手術をお受けになり、それからまだ3カ月も経っていません。

 陛下と同様に開胸手術の経験を持つ、石岡荘十・元NHK記者によると、術後3カ月は無理をしてはならないとされているようです。航空機による長旅の懸念もあります。石岡氏は、「(高齢者は)回復が遅いから、半年ぐらいは、低気圧環境の機内に長くいるのはいいわけはない」「術後、胸水があれだけ長く続くのは異常」という「高名な心臓専門医」のコメントを引用しています。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/2676140/

 それかあらぬか、外務省などでは皇太子殿下をご名代とする案が検討されたと伝えられますが、医師団は先月末、「ご訪問に支障がない」と診断しました。

 いささか強引とも思えるご訪問決定には、報道によれば、「陛下の強い思い」があったと伝えられます。けれども、外国ご訪問は「内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」べき、10項目の国事行為ではないにしても、陛下のご一存で決められることではありません。

 日英関係は重要でしょうが、ご高齢で、ご健康問題を抱える陛下が、どうしてもお出かけにならなければならないのかどうか。政府の判断は的確なのでしょうか?

 けれども、陛下はむしろ淡々としておられるようです。

 古来、天皇に私なし、であり、国と民のためにひたすら祈るのが天皇であって、今上陛下は「わが命は国と民のものである」というお思いなのでしょう。争わずに受け入れるのが天皇の帝王学です。

 陛下と政府との間には、かなりの温度差があるように思われます。陛下のご感想にそのことがにじみ出ていると感じるのは私だけでしょうか。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h24-uk.html

 そんななか、昨日12日から、天皇陛下は皇后陛下とともに、宮城県仙台市をご訪問中です。仮設住宅住まいの被災者たちを励まされるというのはよく理解できますが、「第14回IACIS(国際コロイド・界面科学者連盟)国際会議」の開会式に出席されるというのが分かりません。陛下がどうしてもご臨席にならなければならないほどの会議なのでしょうか?

 政府・宮内庁が、「陛下のご意思」をも動員して、ご公務の日程を強力に推し進め、療養中の陛下が粛々とこなされているという構図に、少なくとも私には見えます。


▽2 減ってはまた増えるご公務

 というのも、すでに何度もご紹介したように、陛下のご公務は、ご負担軽減の基本方針にもかかわらず、ご不例のたびに減り、お元気になると日程がたて込むというパターンが繰り返されているからです。

 次の表は、公表されている「ご日程」から、陛下のご公務日数を月ごとに数え上げたものです。今年の数字は4月までです。

 昨年11月のご不例以来、陛下のご公務日数は激減し、今年1月は以前の水準に回復しましたが、今年2月のご入院後はふたたび激り、4月はまた増えました。

平成 17 18 19 20 21 22 23 24
1月 22 21 22 21 19 23 23 23
2月 17 18 19 22 19 17 17 11
3月 23 22 22 25 24 26 22 11
4月 21 22 20 20 21 22 23 19
5月 20 25 22 19 20 23 20
6月 24 23 22 25 25 23 23
7月 18 20 21 22 27 20 23
8月 23 18 22 19 19 23 21
9月 22 26 22 25 22 23 23
10月 25 25 24 24 26 24 25
11月 26 25 26 26 22 24 10
12月 22 24 22 16 24 23 18
合計 263 269 264 264 268 271 248

 宮内庁がご公務ご負担軽減策を打ち出したのは平成20年2月で、その実施は翌年からのはずでしたが、同年秋のリーマン・ショック後、陛下はにわかにご体調を崩され、20年暮れにはご公務のお取り止めも行われました。

 けれども、20年1月のご公務の調整・見直し実施が表明されたあとも、ご公務の日数は減るどころか、逆に増え、22年は271件と、過去最高のレベルにまで達し、昨年10月までご多忙ぶりにほとんど変化が見られず、昨年のご不例後も今年1月にはご多忙の日々にもどっています。2月のご入院、外科手術、ご静養のあとも、4月には以前の水準にほぼもどりました。

 明らかに、ご不例のたび、そのときはご公務の日数が減り、しばらくすると元に戻るという繰り返しです。20年2月にご公務ご負担軽減が打ち出されてから4年あまり、その効果は上がっているといえるのでしょうか?


▽3 宮澤俊義東大教授の天皇論

 今回の仙台市ご訪問も、イギリスご訪問も、この延長線上にあるのではないか、と疑われます。

 戦後の憲法学会に巨匠として君臨し、いまなお憲法解釈・運用に多大な影響力を持つ宮澤俊義・東大教授(故人)は、『憲法と天皇──憲法二十年(上)』(UP選書、1969年)に、次のように書いています。

「憲法に書いてある天皇の行為は、すべて儀礼的・めくら判的なもので、なんら決定の自由を含むものでないことは、明らかだ。昨年(1952年)8月の衆議院の解散のとき、首相はまだ閣議で決まってもいない解散の詔書に天皇の署名をもらい、数日あとで閣議にかけてそれを決め、その詔書を発したということだ。天皇が署名したときは、たぶん日付も書いてなかったのだろうから、天皇はいわば白紙に署名させられたわけで、ずいぶんばかばかしい役目のようだが、日本国憲法の定める天皇の役割は、つまるところ、そういうものなのだ」

 羽毛田長官は、皇族の意見も聴かないままに女帝容認の皇室典範改正を急ぎ、民主党政権に秋波を送りました。鳩山内閣は中国の習近平副主席のゴリ押し天皇会見を強行し、菅内閣は歌会始の日に内閣を改造しました。

 陛下にめくら判を押させる政治的構造は、やむ気配がありません。
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