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「女性宮家」提唱者に言及しないのはなぜ?──百地章日大教授の「論点整理」批判を読む [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2012年10月28日)からの転載です


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「女性宮家」提唱者に言及しないのはなぜ?
──百地章日大教授の「論点整理」批判を読む
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 引き続き、いわゆる「女性宮家」について書きます。今日は「女性宮家」創設反対派の代表格である、百地晃日大教授(憲法学)の「論点整理」批判を取り上げます。

 百地教授は、政府の「論点整理」発表の5日後、今月10日に産経新聞の「正論」欄に批判のエッセイを載せています。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121010/imp12101003080001-n1.htm

 日ごろは温厚な先生ですが、熱のこもった筆致で、じつに厳しい批判を展開しています。「論点整理」は「極めて作為的・恣意的」で、とくに「尊称案」が理由も示されないまま否定され、その代わり突然、「国家公務員案」が登場した、と指摘し、皇位継承権を持たない女子皇族に、婚姻後も「女性宮家」という特別の身分を与えることは憲法違反であろう、などと述べています。

 さすが現代を代表する憲法学者の批判は、きわめて論理的で、同意できます。ただし、指摘したいことが3点あります。


▽1 前長官は「女性宮家」創設支持派か?

 まず、7月8日のメルマガで指摘したように、現代史的追求の甘さです。
http://melma.com/backnumber_170937_5603074/

 3月2日の産経新聞「正論欄」に掲載された、「男系重視と矛盾する『女性宮家』」と題する文章で、百地教授は、「〈「女性宮家」創設〉問題の発端は、羽毛田信吾宮内庁長官が野田首相に対して、陛下のご公務の負担軽減のためとして、『女性宮家』の創設を要請したことにある」と断定していました。

 けれども、羽毛田長官(当時)が首相に要請した、という報道は、長官によって否定されています。「新聞報道によれば……」などと書くならまだしも、断定は避けるべきでした。ところが、今回も同様の勇み足を繰り返しているようです。

「尊称案」を否定し、「女性宮家」創設案を中心に検討を進めるべきだ、とする「論点整理」を、内閣官房が発表した「背景」について、百地教授は、こう推測しています。

「推測の域を出ないが、『女性宮家』を支持してきた羽毛田信吾前宮内庁長官や風岡典之現長官ら宮内庁幹部、それに園部逸夫内閣官房参与ら女系天皇推進派と、内容はともあれ、成果を挙げたい官僚らとの結託の結果であることは、まず間違いあるまい」

 宮内庁幹部、女系継承容認派、官僚たちのトライアングルで、「論点整理」は作られたというわけです。

 たしかに、羽毛田前長官が女性天皇・女系継承を容認する皇室典範改正に執念を燃やしたことは事実でしょうが、「『女性宮家』を支持してきた」と断言することは難しいと思います。園部逸夫参与は女系継承容認派と見なされていることに、「私は女系天皇論者ではない。ターゲットにされてははなはだ迷惑」とヒアリングの席上、不快感をあらわにしています。

 数年前から「女性宮家」創設をたびたび提案してきたのは、渡邉允前侍従長(現在は宮内庁参与)ですが、百地教授のエッセイには、不思議にも言及が一切ありません。ヒアリングでは前侍従長の発言に触れているのに、です。

 そもそも、推測で他者を批判・追及すべきではない、と私は思います。


▽2 終戦直後の臣籍降下は「無理矢理」か?

 2点目は、皇族の規模が減少するのを阻止し、かつ、皇室の御活動を維持し、皇位の安定的継承を確保する切り札として、「連合国軍総司令部の圧力で無理矢理、臣籍降下させられた旧宮家の男系男子孫のうち相応しい方々を『皇族』として迎えることである」とのべていることについて、です。

 旧宮家の皇籍復帰が「唯一の方法」かどうかはともかく、「連合国軍総司令部の圧力で無理矢理、臣籍降下させられた」という主張は慎重になされるべきかと思います。

 平成17年6月30日の皇室典範有識者会議の第8回会合で、「昭和22年10月の皇籍離脱について」という資料が配付されています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai8/8gijisidai.html

 資料によると、11宮家51方の皇籍離脱は、少なくとも形式的には現行の皇室典範の定めに基づき、皇室会議を経て行われています。

 その背景には、各宮家への歳費打ち切り、皇室財産の廃止・縮小、現行憲法施行による皇室財産国有化などがあり、さらにこの背後には、皇室財産停止、特権停止などに関するGHQの方針があった、と説明されています。

 GHQの方針はどのように決められたのか、当時の日本政府がどう具体的に対応したのか、は解説されていませんが、GHQの指令によって直接、臣籍降下されたわけではないのではありませんか?

 さらに、これも有識者会議の資料に示されているように、大正9年に制定された「皇族の降下に関する施行準則」によると、王については長男の系統8世までを皇族とし、それ以外は皇籍離脱することとされたのでした。

「連合国軍総司令部の圧力で無理矢理、臣籍降下」を強調すべきではないと思います。


▽3 最大のキーワードについて言及がない

 3点目は、紙幅の制限があるはいえ、いや、紙幅の制限があるならなおのこと、有識者ヒアリングの最大のキーワードである「皇室の御活動」について論じるべきなのに、言及がないことです。

 百地教授はヒアリングでは、「御公務そのものを縮小すべきだ」と主張していました。

「天皇皇后両陛下の御公務は膨大であって、両陛下のお歳や御病気のこと等を考えれば、御負担の軽減は喫緊の課題であることは間違いありません。しかしながら、その解決策として、女性宮家創設を挙げるのは本末転倒であって、まず御公務の整理縮小こそ緊急の課題と言うべきでしょう」

 まったく同感ですが、ヒアリング実施に当たって、「天皇陛下の御公務御負担」の軽減が緊急かつ最大の目標とされていたのに、「論点整理」では悠仁親王殿下が皇位を継承される将来の問題に話が飛んでしまっていること、つまり論点がすり替えられていることについて、百地教授は見落としていませんか?

 なぜそこまでして、政府は皇室制度改革を進めたいのか、を追及すべきではありませんか? そこに百地教授が「女性宮家」創立反対を唱えてきた理由が隠れているはずです。

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