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昭和22年の依命通牒は「廃止」されていない?──昭和の宮中祭祀改変の謎は深まるばかり [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年1月26日)からの転載です


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昭和22年の依命通牒は「廃止」されていない?
──昭和の宮中祭祀改変の謎は深まるばかり
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 新たな謎です。

 昭和22年5月、日本国憲法の施行に伴って、皇室祭祀令などの皇室令および附属法令が「廃止」されましたが、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒、いまでいう審議官通達が発せられ、宮中祭祀の伝統は守られました。

 依命通牒は5項目の定めがあり、第3項には「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」とありました。これによって、皇室諸制典の附式、皇族の班位などは「従前の例に準じて」行われることになったのです。

 ところが、「この依命通牒は『宮内庁関係法規集』から、50年9月突然、消えました。……このとき天皇陛下の祭祀は明文法的根拠を完全に失ったのです」(「文藝春秋」昨年2月号掲載永田元掌典補インタビュー。聞き手は私です)。
http://melma.com/backnumber_170937_5540785/

 そして、実際、同年9月1日以後、祭祀は改変されました。とくに毎朝御代拝は、以前は天皇に代わって、当直の侍従が浄衣を着し、宮中参殿の内陣で参拝していましたが、同日以降、宮中参殿の前の庭からモーニングコートを着て拝礼するようになったのです。

 入江相政侍従長の「日記」50年8月15日には、「長官室の会議。神宮御代拝は掌典、毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」とあり、卜部亮吾侍従の「日記」同年8月16日には、「伊勢(神宮)は掌典の御代拝、畝傍(神武山陵)は侍従、問題の毎朝御代拝はモーニングで庭上からの参拝に9月1日から改正の由。小祭の御代拝は掌典次長を設けてこれに、など」と記されています。

 時あたかも宇佐美毅長官、富田朝彦次長、入江侍従長の時代に、昭和22年5月の依命通牒が反故にされ、宮中祭祀の祭式が変更されたことが分かります。

 ところが、です。宮内庁高官が「依命通牒は廃止の手続きを取っていない」と国会で答弁していることを、私は遅蒔きながら最近になって知りました。

 けれども、その発言が少々、いや、かなりおかしいのです。


▽1 平成3年4月25日の宮尾次長答弁

 それは平成3年4月25日(木曜)の参院内閣委員会でのことでした。

 この日の議題は政府が提出した行政事務に関する国と地方の関係等の整理及び合理化に関する法律案で、午後、質問に立った共産党の吉岡吉典議員は、廃止が提案された許可認可等臨時措置法を取り上げ、東条内閣の時代に戦時立法された大東亜戦争完遂のための法律がなぜいままで続いてきたのか、などと政府を追及したのでした。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=11952&SAVED_RID=2&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=6&DOC_ID=6628&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=29750

 そのうえで、

「戦後、当時の日本の政府、これがいかに戦前の体制を温存しようとしてあらゆる努力をしたかということの証拠文献というのはたくさん出ている」
「何とかしてそういうものを温存しようということのあらわれだと私が思う一つの事実がある」

として、取り上げたのが、昭和22年5月の宮内府長官官房文書課長名による依命通牒でした。

 吉川議員はこう問い質します。

「旧皇室令は廃止されたけれども、かわりの法令ができていないものは旧法令に従え。これは旧法令は実質上生きていることと同じことになるわけです。廃止された法律が生きているのと同じような通牒が堂々と出されているというのは、私にはこれも解せないことなんです。
 宮内庁、この通牒があることはもう紛れもない事実ですからお認めにならざるを得ないと思いますが、この通牒は今は効力はどういうふうになっていますか?」

 宮内庁の宮尾盤次長が政府委員として答弁に立ちました。

「今御質問がありました、これ(依命通牒)が効力を持っているか、こういうお尋ねでございますが、この通牒は、皇室令がいわゆる新憲法の施行とともに効力を失った当時におきまして、宮内庁、当時は宮内府と言っておりましたが、その宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません。
 そういう考え方を示したものでありますが、その後現在まで廃止の手続はとっておりません」

 宮尾次長の答弁からは、

(1)依命通牒は新憲法施行当時の宮内府内部の文書であること、
(2)廃止の手続きは取られていないので、文書はいまも生きていること、

の2点が読み取れます。

 吉岡議員は依命通牒が廃止されていないことに強く反応し、今度は法制局に矛先を向け、

「私は古いものを残していこうという心理的な状況があらわれているというふうに考えざるを得ません」
「戦後、憲法を改正して主権者がかわったんです。主権者が天皇から国民にかわるほど、これほど大きい憲法の改正が行われた今、太政官布告だ、勅令だ、朕だ、帝国議会だと、こういう法律は内容も、同時に形式も私は検討に値するものだと思います。
……新しい憲法に則して法律の形式、内容とも整備していくことが当然のことであり、戦後新憲法が制定された当時からこういう作業は開始していくのが本来の新しい憲法のもとでの平和国家、民主国家だと言っている日本にふさわしい法律のあり方じゃないかと思います」

と熱弁を振るったのでした。いかにも「戦後民主主義」の旗手を自任する共産党議員ならではの意見です。


▽2 「廃止」はしないが反故にした

 さて、宮尾答弁について考えてみます。

 まず、依命通牒は宮内府の内部的な文書だとする点ですが、事実に反するものと考えます。

 というのも、依命通牒(依命通達)とは行政官庁の命令によって補助機関が発する通達であり、昭和22年5月3日の宮内府長官官房文書課発45号、高尾亮一同課長名による依命通牒の場合は、各部局長官に対して通達されたのであり、宮内府内部の事務処理の考えを宮内府内部に向けて発したのではないからです。

 つぎに、廃止の手続きを取っていないから、いまも通牒は生きている、ということについて、ですが、これもヘンです。

 もし生きている、とするのなら、50年9月1日以降、いったいいかなる法的根拠に基づいて、天皇の祭祀は変更されたのでしょうか? 宮内庁関係者しか手にしないような「法規集」に、なぜ記載されないことになったのでしょうか?

 興味深いことに、平成3年4月25日の参院内閣委で、秋山收内閣法制局第二部長はこう答えています。

「皇室の行います儀式とか行事につきましては、憲法あるいはその他の法令の規定に違反しない限りは、法令上の根拠がなくても皇室がその伝統などを考慮してこれを行っても現行憲法上何ら差し支えないものでございまして、先ほどの宮内庁の御説明、お尋ねの通牒は三項、四項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨でありますので、憲法上特段問題はないものと考えております」

 つまり、依命通牒は廃止の手続きはとらない。したがって効力はいまも続いているが、憲法(つまり政教分離原則)に違反する部分については改める、という判断を、昭和50年当時の宮内庁当局者は採ったということでしょうか?

 しかしそれは、「新しい規定ができていないもの」について、「従前の例に準じて事務を処理」しないことであって、「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」と定める依命通牒を、みずから反故にしたのであり、事実上、「廃止」したと同じことではないかと思われます。

 宮内庁当局者の説明は姑息というべきものです。これでは天皇の祭祀はますます汚されるばかりです。

 昭和50年8月15日に、宮内庁長官室で実際、どのような議論が行われ、どのような結論が得られたのか、宮内庁は明らかにすべきだと思います。吉岡議員のいう「侵略戦争の反省」などというようなものではなく、歴史的天皇制度の継承のために、です。

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