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私の指摘は図星だった──逆上的な百地章日大教授の拙文批判を読む その1 [百地章天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年10月2日)からの転載です


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 私の指摘は図星だった
 ──逆上的な百地章日大教授の拙文批判を読む その1
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 月刊「正論」昨年12月号から3回連続で「『女性宮家』創設賛否両論の不明」という連載を書きました。これに対して、同誌3月号で、百地章日大教授が反論を書いてくださいました。

 反応してくださったのはありがたいことですが、私の予想を完全に裏切るすさまじい剣幕です。ほとんど逆上しています。


▽1 北朝鮮メディアのような反応

 2つのことを思いました。

 1つは、私の体験談です。駆け出しのころから調査報道というものに携わってきた私は、デイリーの記者とは異なり、文献を読み、その道の碩学に取材することが習慣になりました。

 興味深いのは、素人のような素朴な疑問に、現代を代表する知性たちから、しばしば「分からない」という答えが返ってきたことです。「学問的に解明されていない」ということもありましたし、「私の研究分野ではない」ということもありました。

 前者の場合は、それだけ研究領域の全体に精通していればこその返答であり、現在の研究水準を簡単に理解することができる点で、門外漢の私にはありがたいことでした。後者は、知ったかぶりをしない正直さにさわやかさを覚え、好感が持てました。

 いずれにしても、最高レベルにある学者たちは、少なくとも私がお世話になった方々はきわめて謙虚です。1人の研究者が一生のうちにできる学問研究は限られています。高い目標を持つ人ほど、謙虚にならざるを得ないのでしょう。

 これに対して、まったく別の反応を示す人たちがいました。私が単刀直入に指摘すると、逆に食ってかかってきたものです。それは研究者ではありません。政治家でした。

「(私の)粗雑な頭脳を哀れむだけである」と書くような、百地先生の反応は研究者というより、政治家に似ています。

 もうひとつ、百地先生の反論を読んで思い起こしたのは、北朝鮮メディアの勇ましい論評です。

「やられたらやり返せ」風に、ごく最近も、米韓合同演習に対して、「敵対勢力の増大する核戦争挑発策動に対処して、核実験以上のこともしなければならない」と威嚇したと伝えられています。闘鶏でも見ているかのようなけたたましさです。

 百地先生は、教室で学生たちが率直な指摘をしたとき、怒号を返したりするのでしょうか? いつもにこやかで、親爺ギャグの大好きな先生です。それであればこそ、学生には人気のはずです。間違っても、「お前は頭が悪い」などと大声を張り上げたりはしないでしょう。

 だとすると、先生はなぜ「北朝鮮人」になってしまったのか? なぜ百地教授は逆上したのかが、私の新しいテーマになりました。


▽2 3回の連載を読み通していない

 理由はいくつか考えられます。

 1つは、連載をすべて読み通していないからでしょう。

 先生の記事の冒頭には、「1月号に連載の第2回が掲載された。筆者(百地先生)の『女性宮家』反対論を批判したものだというから、さっそく読んでみたが……」と書かれています。

 先生は第2回だけを読んで、逆上したのでしょう。

 もともと拙文は1本の原稿でしたが、100枚近くになる長文のため、編集部から連載にするよう勧められ、書き改められました。

 私が書きたかったのは、個人攻撃ではなく、いわゆる「女性宮家」創設論のいびつさです。歴史にあるはずもない「女性宮家」創設論がなぜ急浮上してきたのか、政府の目的は何か、が見えてきません。議論は混乱しています。

 一般には、百地教授も同様ですが、一昨年の秋に、読売新聞の「スクープ」に始まるとされている「女性宮家」創設論は、じつは10年以上も前に、女系継承容認論と一体のかたちで始まっていることが分かります。

 ところが、有識者たちの議論に、そのような指摘は見当たりませんでした。

 政府の官僚たちは「皇室制度」改革と命名したはずですが、マスコミは「女性宮家」創設と報道し、識者たちは、百地教授の拙文批判も同様ですが、「女性宮家」問題を論じていきました。議論が矮小化し、曲がっていくのは当然です。

 私は連載で、恩義あるお三方を取り上げました。百地先生も含めて、先生たちなら、私の指摘を理解してくださるだろうと期待したからです。百地先生の文章にあるように、「自己宣伝」のためにケンカするだけなら、先生のいう「天皇制否定論者の横田耕一教授など、ごく一部学者」をやり玉に挙げればすむことです。

 私はなぜ連載を書いたのか、第2回しか読んでいない百地先生には、残念ながら理解できないのでしょう。「誹謗・中傷」にしか見えないとすれば、私は私自身の「不明」を恥じるほかはありません。

 第2回までを読んで、「自分だけが知っている」というような書き方をするなと忠告してくれた知人がいますが、第3回を読んで納得してくれました。百地先生も「的外れ」「高みの見物」などと決めつけずに、連載全体を読んでいただきたいと思います。


▽3 私の指摘を認めている

 百地先生が逆上した第2の理由は、私の指摘が図星だったからでしょう。

 先生は「特に問題と思われる箇所を中心に、簡潔に反論を加えておく」として、拙文批判を展開していますが、肝心要の私の指摘には触れてもいないのです。

 私は、拙文に書いたように、有識者ヒアリングでの百地先生の意見に、ほとんど同感しています。批判のための批判を展開しているのではありません。ただ、歴史的理解が欠落しているのではないか、だから問題の全体性が見えないのではないか、というのが私の指摘です。

 百地先生は「産経新聞」24年3月2日付の「正論」欄で、「女性宮家」創設問題の発端は、羽毛田信吾宮内庁長官が野田佳彦首相に、「女性宮家」創設を要請したことにある、と断定しています。

 なぜ断定できるのか、なぜ断定してしまうのでしょうか?

「読売新聞」23年11月25日付は「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」と報道しましたが、「長官が要請」とは書いていません。

 そればかりか、「週刊朝日」同年12月30日号は、岩井克己朝日新聞記者の記事で、羽毛田長官自身が「長官が提案」の報道を否定したと伝えています。

 アカデミズムであれ、ジャーナリズムであれ、ものごとを断定するのはそれに足る十分な事実の確認が必要です。百地先生の文章には事実の確認に危うさがある、そのことが「女性宮家」問題のみならず、先生の専門分野であるはずの政教分離問題にも大きく影響しているように私には見えます。

 ところが、百地先生が「長官が要請」と断定し、私がそのことを指摘したことについて、百地先生は触れていません。なぜなのか?

 要するに、触れられないからでしょう。

 1から10まで論点を並べ、拙文を完膚無きまでに批判したように見えて、主要な指摘については避けている。それはつまり、認めたということです。

 もし「長官が要請」が事実だとすると、「読売新聞」は「宮内庁が要請」と報道すべきだったし、当世随一の皇室ジャーナリストが書いた「週刊朝日」の記事は誤報だということになります。「長官要請」を否定する羽毛田長官はウソをついていることになります。

 百地先生は私を攻撃するのではなく、日本の大手メディア、著名記者、陛下の側近をこそ、批判すべきなのです。

 そうはなさらないのは、図星だからでしょう。認めざるを得ないけれども、認めたくない。だから、逆上し、目くらまし的にほかの論点で、足腰が立たないくらいにまで打ちのめすという手法を採ったのではないでしょうか?

 それはケンカ殺法というべきものであって、謙虚に真理の追究に打ち込む研究者の姿勢とは異質のもののように見えます。そういえば、先生は「積極的に関わり、政府解釈の変更のため、筆者なりの『闘い』を続けてきたつもりである」と自負しています。先生は「闘い」の人なのでした。


 つづく

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