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オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論──百地章日大教授の拙文批判を読む その4 [百地章天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論
 ──百地章日大教授の拙文批判を読む その4
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 百地章日大教授が月刊「正論」3月号にお書きになった拙文批判について、検証しています。今日は、百地先生にとっての大嘗祭論について、考えます。
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 サッカーの試合でエース・ストライカーがオウンゴールを蹴ったときほど、悲劇的なものはありません。当の選手は頭を抱えてピッチにへたり込み、監督の怒号が響き、サポーターはブーイングの嵐です。相手チームとそのサポーターばかりが歓声を上げるでしょう。

 同点だったなら、勝利には2点の追加点が必要です。接戦なら、たったの1点がチームにずっしりと重くのしかかります。

 けれども、もし選手自身がオウンゴールを蹴ったことに気づかないでいたら、どうでしょう。いったい何が起きるでしょうか?

 プロ・サッカーの試合ならふつうはあり得ないことですが、百地先生はじつのところそのことに気づいていないようです。逆に得点を勝ち誇っています。


▽1 宮中祭祀=「皇室の私事」説を確定させた

 百地先生は拙文批判のなかで、大嘗祭が「皇室の公事」として斎行されたことを、みずからの「闘い」の成果として、次のように強調しています。

「御代替わりに際し、皇位継承儀礼として不可欠な『大嘗祭』を『皇室の公事』として位置づけ、皇室の伝統に則って斎行するためにはどうしたら良いか。これは関係者一同の等しく憂慮したところであった。なぜなら、政府は大嘗祭を国事行為としては行うことはできない、との立場を採っていたし、かといって、『皇室祭祀』=『皇室の私事』論のままでは、国からの財政的支援が困難となり、大嘗祭を斎行することも難しくなるからである。

 そこで葦津珍彦先生や大石義雄教授たちの驥尾(きび)に付し、元内閣法制局第一部長井出成三氏の説を参考に、筆者も『大嘗祭』=『皇室の公事』論を構築した。『大嘗祭は皇位継承に不可欠な重儀、つまり『皇室の公事』であって、皇位の世襲を定めた憲法の容認するところである。それゆえ、大嘗祭と皇室祭祀一般とは分けて考えるべきである』との理論であり、これを人を介して政府に進言している。それが拙著『政教分離とは何か』所収の『憲法と大嘗祭』であった。そして、幸い政府もこの理論を採用し、大嘗祭はほぼ伝統通りに斎行することができた」

 先生の大嘗祭論のポイントは3点です。

(1)大嘗祭と宮中祭祀一般とは分けて考えるべきである

(2)宮中祭祀一般は「皇室の私事」である

(3)けれども、大嘗祭は皇位継承に不可欠の重儀であり、「皇室の公事」である

 確かに、大嘗祭が斎行できたのは、ひとつの成果であることは間違いありません。石原信雄官房副長官(当時)がのちに「きわめて宗教色が強いので、大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」と著書『官邸2668日』で回想しているくらいだからです。大嘗祭の斎行できるかどうかは、御代替わりの最大の難問でした。

 しかし、大嘗祭斎行と引き替えに、百地先生は、宮中祭祀一般=「皇室の私事」説を確定化させました。オウンゴールとはこのことです。


▽2 宮内庁中枢にいる「1・5代」論者の「私事」論

 百地先生の説明では、政府は大嘗祭を「国事行為(筆者注。国事行為と国事は概念が別です)としては行えない」と考えていた。しかし「私事」となれば、内廷費で費用を賄うほかはない。そこで「大嘗祭は宮中祭祀一般とは異なり、皇位継承儀式=皇室の公事である」という理論を立て、政府に進言し、政府がこれを採用した、とされています。

 つまり、先生は、「1・5代」象徴天皇論者たちが主張する、宮中祭祀=「皇室の私事」説について、何ら抵抗することなしに丸呑みしたということになりませんか?

 たとえば、「1・5代」論者の1人である渡邉允前侍従長は、こう述べています。

「昭和天皇は、新憲法下の天皇として戦後を生きられましたが、やはりそれ以前に大日本帝国憲法下の天皇として在位されたことは否めないことでした。一方、今上陛下はご即位のはじめから、現憲法下の象徴天皇であられた」(「諸君!」平成20年7月号インタビュー)

 昭和天皇は在位の途中から、今上天皇は即位のはじめから「現憲法下での象徴天皇」であったという、この「1・5代」象徴天皇論の理解は、皇室の伝統より現行憲法の規定を優先させる宮中祭祀=「皇室の私事」説に直結します。

「これは皆さまご承知のことではありますが、今の憲法の政教分離の原則からいって、宮中祭祀は陛下が公としての国の機関として行っておられることではないので、これは皇室の私事だというのが法律論になっております」(平成21年6月9日、伊勢神宮・伊勢神宮崇敬会参与・同評議員会の講演の要旨。文責は神宮司庁弘報課。伊勢神宮広報誌「瑞垣」213号掲載)

 そして、渡邉前侍従長こそ、平成の祭祀簡略化の進言者の1人でした。「私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、(祭祀の)ご負担の軽減を何度もお勧めしました」と前侍従長は前掲「諸君!」インタビューで明らかにしています。

「1・5代」論はさらに、いわゆる「女性宮家」創設論を生みました。21年11月11日、「日本経済新聞」連載「平成の天皇 即位20年の姿(5) 皇統の重み 「女系」巡り割れる議論」に渡邉前侍従長のコメントが載りました。

「宮内庁には『このままでは宮家がゼロになる』との危機感から女性皇族を残すため女性宮家設立を望む声が強い。しかし、『女系天皇への道筋』として反発を招くとの意見もある。渡邉允前侍従長は『皇統論議は将来の世代に委ね、今は論議しないという前提で女性宮家設立に合意できないものか。女系ありきではなく、様々な可能性が残る』と話す」

「女性宮家」創設論議は、一昨年11月25日づけ「読売新聞」が伝えた「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」という「スクープ」がきっかけではなく、御在位20年を契機として始まったのです。火を付けたのは、「1・5代」論者の前侍従長でした。

 百地先生は、拙文批判の中で、「斎藤氏が言う、今上陛下をもって『1・5代』の天皇であるなどといった荒唐無稽な理屈は成り立たない」と切り捨てています。私を「1・5代」論者だと読んだとしたら、まったくの誤読ですが、それはともかく、「荒唐無稽」どころか、政府・宮内庁の中枢にまで「1・5代」論が浸透し、皇室の伝統である天皇の祭祀を改変させ、「女性宮家」創設論を生んだのです。


▽3 神社人こそ最後の防波堤だった

 そして、ほかならぬ百地先生の憲法論こそが、先生自身が気づいているか否かは別にして、渡邉前侍従長ら「1・5代」論者の宮中祭祀=「皇室の私事」とする憲法解釈を確定させたのです。

 先生のいう大嘗祭=「皇室の公事」説は、たしかに平成の大嘗祭斎行をもたらしたのでしょう。それは成果ですが、一方で皇室伝統の祭祀=「私事」とする考えを認めてしまったことは、皇室の伝統に圧迫を加えてきた「1・5代」論者たちの言い分を皇室崇敬の念が篤いはずの保守派自身が呑んだということになります。

 そして超然たる地位にあるべき天皇の祭祀を、ドグマチックな政教分離問題の火中に投げ入れてしまったということです。

 それは成果とはほど遠く、まぎれもない敵失であり、歴史的な汚点といわざるを得ません。先生はそのことに気づかないのでしょうか? まさか先生ご自身が「1・5代」論者のお仲間ではないでしょうに。

 私は以前から不思議に思っていたことがあります。それは、先述したように、宮中祭祀=「皇室の私事」説を、全国を代表する神社関係者の前で自信たっぷりに堂々と語っていたことでした。

 歴史を振り返れば、昭和34(1959)年4月の皇太子(今上天皇)御成婚で、皇祖神を祀る賢所での神式儀礼は「国事」と閣議決定され、国会議員が参列しました。宮中祭祀はすべて「皇室の私事」とした神道指令下の解釈が打破されたのです。

 昭和57年暮れに昭和の祭祀改変が明らかになり、宮内官僚たちが「祭祀は天皇の私事」と繰り返していたとき、猛抗議したのはほかならぬ葦津珍彦ら神道人で、全国約8万社の神社を包括する神社本庁は翌年、抗議の質問書を富田朝彦宮内庁長官あてに提出しました(『神社新報50年史』など)。

「昭和34年の皇太子殿下御結婚の儀は『国事』であると閣議決定され、他方、39年の常陸宮殿下、55年の三笠宮寛仁殿下のご結婚は『公事たる宮務』とされた。ことによって国事、ことによっては『内廷限りのこと』とされていると理解される。これは『神道指令』から解放されたあとの宮内庁当局の見解と考えていいか」

 神社界の専門紙である「神社新報」は58年2月28日号に、異例なことに「富田宮内庁長官へ」と名指しする論説を掲載し、質問書よりもさらに詳細に、神道指令以降の歴史を振り返り、祭儀の法的位置づけについて、変更があるのか、と迫りました。

1、神道指令は天皇の神道的儀式を私事として以外、認めなかった。しかし独立後、神道指令は失効した。宮内庁当局は「憲法の認める限度」で皇室の伝統的慣例を守ろうと考えており、昭和34年の東宮御成婚の際、賢所で行われた神式儀礼は国事行為として行われた。

2、神事を専門とする掌典は占領下では公務員ではないとされ、今日もそのまま続いているが、占領中であっても、侍従の毎朝御代拝は認められたし、掌典を補佐する掌典補は公務員が奉仕してきた。神道指令失効後は、社会党内閣時代も、当然のこととされた。

3、とくに重大な臨時の祭事は、内閣の助言と承認を得て「国事」として執行されるが、憲法20条(信教の自由)を守って参加を強制するかのような誤解が生じないようにする。

4、皇室の祭儀は法的に複雑だが、ときによっては「国事」と解される儀式もあるし、ことによっては国事と相関連する公的儀式と解されるものがあり、あるいは「内廷」限りの場合もあろう。

5、風説には「内廷限りのもの」と解されるものが多いが、宮内庁当局者が「皇室の祭事は陛下の私事以外のこととしては扱えない」と放言しているのは黙過できない。富田長官以下、新任者が前任者たちの言動を誤り、不法と思うのなら新見解を明示すべきだ。

 宮内官僚などによる揉み消し工作などもあったようですが、紆余曲折の末、宮内庁は「皇族親王殿下以下の御結婚の諸儀が国事で行われ、また公事として執り行われたことはご承知の通り。今後も国事たり得る場合もあり、公事として行われることもあると考えている」とする、神道人の言い分を完全に認める「公式見解」を発表したと伝えられます(「神社新報」5月23日号)。

 尊皇意識において人後に落ちぬ神社人こそ、宮中祭祀=「皇室の私事」説を阻む、最後の防波堤でした。


▽4 「1・5代」論者が自信満々な理由

 しかし「皇室の私事」説は、「公式見解」をくつがえし、御代替わりに蘇りました。

 考えてもみてください。皇太子御成婚が「国事」で、皇位継承の儀礼である大嘗祭が「皇室の公事」とされるのは、明らかに不自然です。それどころか、今上陛下の御在位20年を契機に、「私事」説はさらに拡大しています。

 なぜそうなったのか、謎は解けました。観念的な左翼系学者が「皇室の私事」説を唱えるのならいざ知らず、保守系の憲法学者が「私事」論者だったのです。

 伊勢神宮での講演で前侍従長は「皆さまご承知のこと」と前置きして、祭祀=「皇室の私事」説を臆面もなく語ったのは、百地憲法論を想定してのことなのでしょう。

 御代替わりのときに、「1・5代」論に立つ官僚たちが百地理論を採用したのは、十分理解できます。百地先生は「幸い政府もこの理論を採用」と誇らしげですが、官僚たちは文字通り、これ幸いと飛びついたのでしょう。

 天皇の祭祀の法的位置づけは、占領軍ではなくて、一般には保守系と目されている日本人自身によって、占領前期に完全に先祖返りしたのです。「1・5代」象徴天皇論者の宮中祭祀=「皇室の私事」とする法解釈を確定させた憲法学者として、百地先生の名前は歴史に刻まれなければなりません。

 しかしながら、なぜ天皇の祭祀=「皇室の私事」なのか、なぜ大嘗祭=「皇室の公事」なのか、なぜ大嘗祭=国事とはされないのか。百地先生は天皇の祭祀を、大嘗祭をいかなるものと考え、祭祀=「私事」説を唱えているのでしょうか?

 信じがたいことに、少なくとも著書を読むかぎり、先生は宮中祭祀の本質を掘り下げようとしていないのです。天皇の祭祀のありようについてほとんど考察せずに、宮中祭祀=「皇室の私事」説を認めたのです。

 オウンゴールの原因は何か、といえば、学問的な追究不足だと私は考えます。

 私の連載の第2回しか読まず、依命通牒の破棄の歴史を考えようとせず、「国家神道」についての考察も未熟なまま、つまり、木を見て森を見ない、それでいて、瞬間湯沸かし器のように反応し、闘犬のように吠えたてるという、国民運動家にはうってつけの性格がオウンゴールを招いたのではないか、と想像しますが、長くなりましたので、詳細は次回、お話しします。

 つづく。

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