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依命通牒に関心を持とうとしないのはなぜか──歴史的に考えるということ その1 [依命通牒]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年3月18日)からの転載です


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依命通牒に関心を持とうとしないのはなぜか
──歴史的に考えるということ その1
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▽1 なぜ私は連載を書いたのか

 月刊「正論」昨年12月号から3回連続で、「『女性宮家」創設賛否両論の不明」という記事を書きました。

 一昨年の秋以降、急浮上した、と一般には考えられている、いわゆる「女性宮家」創設問題には、きわめて強い違和感を覚えました。そもそも「女性宮家」なるものは、「女系天皇」と同様、歴史的にあり得ないことなのですが、いったい誰が、何のために言い出したのか、さえ不明でした。

 有識者ヒアリングで、政府は繰り返し、「皇室の御活動の安定的維持」「両陛下のご負担軽減」を「女性宮家」創設の目的にあげていましたが、この目的と手段はけっして結びつきません。ご負担軽減なら、何年も前から宮内庁が進めています。なぜいまさら、「女性宮家」なのでしょうか?

 御公務問題なら御公務問題として議論すればいいものを、マスコミが「女性宮家ヒアリング」と報道し、それに引きずられる形で、有識者たちの議論も皇位継承論に傾いていきました。混乱はますます深まりました。

 なぜそうなってしまったのか、歴史の事実に即して、実証的に検証すべきだろうと私は考えました。皇室制度改革論議が登場してきた経緯を振り返り、「女性宮家」に賛成か反対かという単純な二者択一論ではなく、天皇・皇室論として何がいったい問われているのか、何を議論すべきなのか、を問題提起したいと考えたのです。

 連載は個人的に恩義があり、ヒアリングにも登場したお三方の大学教授をそれぞれ取り上げています。一見すれば、3人のヒアリング内容をそれぞれに個人批判しているように見えるかもしれませんが、私の真意はそうではありません。

 批判内容はお三方に固有のものというより、今回の「女性宮家」論議全体に欠けていることであって、必ずしもお三方の責任ではありません。むしろお三方に発展的な議論を期待すればこそ、私はお三方を取り上げ、連載を書いたのです。


▽2 明らかにした8つの事実

 連載で私が明らかにした事実は、だいたい次の8点にまとめられます。

(1)「女性宮家」創設論は一昨年秋に急浮上したのではない。10数年前、女性天皇・女系継承容認と一体のかたちで、政府部内で生まれ、周到に準備されてきたことが知られている。

(2)17年秋の皇室典範有識者会議報告書には「女性宮家」という表現はないが、中味は盛り込まれていた。

(3)一昨年秋以降の「女性宮家」創設論は、表向きの目的を「皇室の御活動維持」「ご負担軽減」に変えたうえでの、議論のぶり返しである。

(4)「女性宮家」創設賛成論のなかには、「女性宮家」が歴史上、存在したかのような議論があるが、「女系天皇」と同様、資料の誤読とみられる。

(5)政府の官僚たちは、歴史にない「女系天皇」「女性宮家」に、なぜ突き進もうとするのか、つまり、祭祀王たる歴史的天皇とは異なる天皇制度を模索しようとするのか? じつは、敗戦直後、天皇の祭祀の伝統を守るために宮内府長官官房から発せられた依命通牒が、昭和50年に、側近たちによって人知れず「廃棄」されている。

(6)宮内官僚たちによる依命通牒の「廃棄」が昭和の祭祀改変を生み、御代替わりの諸行事に非宗教的な変更を促し、さまざまな不都合を生じさせた。「女系天皇」「女性宮家」の議論もこの延長上にある。

(7)「女性宮家」創設の最大のキーパーソンは園部逸夫内閣参与だが、創設論の提唱者は園部参与ではない。今回の「女性宮家」創設論議は御在位20年をきっかけに、平成の祭祀改変と併行して始まった。「女性宮家」創設論および祭祀改変をリードしたのは渡邉允前侍従長であることが資料から読み取れる。

(8)女系継承容認論と「女性宮家」創設論が一体であるように、祭祀簡略化も表裏の関係にある。天皇の祭祀を「私事」に貶め、天皇を非宗教化したうえで、天皇を名目上の国家機関とし、「御活動」なさる天皇という現行憲法的な象徴天皇制度の安定を図ろうとするのが、「女性宮家」創設論の核心である。しかし、「御活動」なさる天皇・皇室論に立って議論する「女性宮家」反対論者もいる。


▽3 期待外れだった百地教授

 したがって、

(1)「女性宮家」が歴史上に存在したかのような賛成論はまったく的外れなだけでなく、皇位継承の伝統を維持するために「女性宮家」を創設するというような賛成派の論理は完全に矛盾している。

(2)「女性宮家」創設論議は、祭祀王たる歴史的天皇か、現行憲法的な象徴天皇か、という観点から議論する必要がある。つまり、戦後の皇室関係行政史を全体的に見直す必要があり、その際、政教分離論の視点は欠かせない。

(3)園部逸夫内閣参与はキーパーソンではあることは間違いないが、園部批判は批判の相手を見誤っているだけでなく、個人批判は議論を矮小化させる。

(4)天皇とは何か、という本質論が問われている。学問研究の深化が求められている。共同研究が必要である。

 という結論が得られます。

 私の連載は発表後、編集者によれば、「ハレーションを起こした」のでした。真意をくみ取ってくれた読者は少なくないでしょうが、期待したお三方のうち、とりわけ百地先生は完全な期待外れでした。

 どうしてそうなったのか、これまで批判してきたように、ポイントは以下の7つです。

(1)連載の第2回しか読まずに逆上した。研究者というより、「闘い」の人だった。

(2)「女性宮家」創設論は一昨年秋に始まる、という理解に凝り固まっている。

(3)依命通牒の「破棄」に関心がない、つまり戦後史全体の流れのなかで「女性宮家」創設問題を考えようとしていない。

(4)アメリカにとって「国家神道」とは何だったか、を十分に研究しないで、政教問題を語っている。

(5)大嘗祭斎行を成し遂げたことを誇るばかりで、宮中祭祀=「皇室の私事」説を確定させたオウンゴールに気づいていない。

(6)しかも大嘗祭の本質をみずから探究せず、宗教的儀式という一般的理解にとどまっている。

(7)政教分離論がモグラたたきのような対症療法的憲法論争の域に留まっている。

 しかしこれらは百地先生のみならず、現代日本の保守派層に共通することなのかもしれません。


▽4 文意を理解していない

 私は連載で、先生に対して、「(「女性宮家」をめぐる)問題の発端は、羽毛田信吾宮内庁長官が野田(佳彦)首相に対して、陛下のご公務の負担軽減のためとして、『女性宮家』の創設を要請したことにある」と断定しているが、確証があるのか、それとも事実の追究もしくは追及の甘さなのか、と問いかけました。

 しかし、先生からの反論はありませんでした。反論できないのでしょう。つまり、図星だったと理解せざるを得ません。確証があるはずもないでしょうし、むしろ事実の探究にさほど関心はないのでしょう。そこが困るのです。

 依命通牒についても同様です。

 私は、「百地教授の研究に欠落している最たるものは、昭和22年5月3日の宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が、50年8月15日の宮内庁長官室会議で廃棄されたことによる宮中祭祀の歴史の一大転換です」と指摘しました。

 これに対して、先生は次のように反発しています。

「氏によれば、『依命通牒の廃棄』(?)という事実を知らなければ、女性宮家問題の本質は分からない、ということらしい。しかし、『依命通牒』と『女性宮家』とは無関係である」

「斎藤氏は、昭和50年8月15日付でこの『依命通牒』が『廃棄』されたこと、しかしてこのような『戦後皇室行政史』を知らなければ、『女性宮家問題の本質』は分からないのだ、と断定する(ちなみに、依命通牒が『廃棄』されたかどうか、真偽の程は定かでない。また仮に『宮内庁法令集』(筆者注。正確には「宮内庁関係法規集」)から『消えた』というだけで法令が『失効』するのなら、現行憲法についても、『法令集』から取り除いてしまえばそれだけで『失効』させることができるのだろうか)。」

 先生はまったく文意を理解していません。私は「依命通牒」と「女性宮家」が直接、関係しているなどというようなバカげた理屈を振り回してはいません。「女性宮家」創設論は戦後史全体のなかで考えるべきであり、その際、依命通牒の破棄は重大なポイントになると申し上げているのです。

 曲解しないでいただきたいと思います。


▽5 依命通牒の存在を知っていたとしたら

 先生の記事から明らかになったのは、先生は依命通牒について何もご存じない、関心もないらしい、ということです。これでは戦後皇室行政史を論じようがありません。

 ただ、依命通牒の存在自体はご存じだったようにも見えます。

 私が指摘する前は、もしかすると、いまも生きているとお考えだったかもしれません。けれども、もしそうだとすると、おかしいのです。

 依命通牒第3項には、「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること。(例、皇室諸制典の附式 皇族の班位等)」と書かれています。

 石原信雄元内閣官房副長官が回想するように、御代替わり当時、「きわめて宗教色が強いので、大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」。百地先生によると、先生は大嘗祭=「皇室の公事」論を構築し、政府に進言しました。そして「幸い政府もこの理論を採用し、大嘗祭はほぼ伝統通りに斎行することができた」と誇らしげです。

 もし先生が、依命通牒第3項が存在し、いまも生きている、と理解していたのだとしたら、大嘗祭=「皇室の公事」論なるものを構築する必要はなかったはずです。政府に対して、「御代替わりに関する旧皇室令は日本国憲法の施行とともに廃止されたが、新しい規定はない。したがって依命通牒に則って、従前の例に準じて、すなわち旧皇室令に準じて事務を処理すべきである」と主張すれば足りたのです。

 なぜそのようになさらなかったのでしょうか?

 依命通牒の「破棄」をじつは知っていたのでしょうか? もしそうだとすれば、先生は嘘つきだということになります。

 そうではなくて、依命通牒の存在それ自体を、やはりご存じなかったのではないか? しかし、そうだとすると、これまた厄介です。


▽6 戦後、祭祀が存続できた法的根拠は何なのか?

 先生は拙文批判のなかで、宮中祭祀の戦後史について、こう説明しています。

「政府が『皇室祭祀』そのものについて『一貫して否定的態度だった』などとは筆者(百地先生)はひとこともいっていない。それどころか、政府や宮内庁当局が神道指令下にあって、皇室祭祀をお守りすべく必死の努力をしてきたことを紹介しているではないか。そして、そのためのいわば方便として使われたのが『皇室祭祀』=『皇室の私事』論であった。つまり、『皇室祭祀』は、『皇室の信仰』に関わるものだから、占領軍といえども干渉すべきでない、との立場を敢えて取ってきたわけである。このようなことは、我々にとっていわば常識に属する。
 ところが、そのような状況の中で迎えたのが御代替わり、つまり昭和天皇の崩御と今上陛下のご即位であった。(以下略)」

 前半部分は当メルマガで何度も繰り返してきたことであって、私にとっても常識です。「文藝春秋」昨年2月号に掲載された永田元掌典補インタビュー(聞き手は私です)でも取り上げています。

 ならば、です。

 昭和20年暮れに過酷な神道指令が出されました。宮中祭祀は「皇室の私事」として存続することとなりました。祭祀に携わる掌典職は国家機関ではなくなり、職員は内廷費で雇われる私的使用人という立場になりました。占領軍は「皇室の私事」としての宮中祭祀には干渉しませんでした。その後、22年5月の日本国憲法の施行に伴い、皇室祭祀令は廃止され、宮中祭祀の法的根拠は失われました。

 けれども、祭祀は存続しました。26年の貞明皇后の御大喪は旧皇室喪儀令に準じて行われています。そのようにできた根拠は何だとお考えなのでしょうか? 旧皇室令が廃止されてもなお、その内容を存続させる法的根拠が必要です。

 たとえば、陛下に代わって侍従が宮中三殿の内陣で拝礼する毎朝御代拝は、占領中も、社会党政権時でさえ、存続しました。侍従は特別職の公務員です。侍従が「皇室の私事」とされる祭祀に従来通り関与できた行政上の根拠は何でしょうか?

 先生がいう「政府や宮内庁当局が神道指令下にあって、皇室祭祀をお守りすべく必死の努力」こそ、まさに依命通牒第3項だったのではありませんか?

 行政にとっての「必死の努力」は精神論ではあり得ません。法学者なら、まったく法的根拠なしに、侍従が祭祀に関与していたとは考えないはずです。法学者であるはずの先生が、依命通牒に関心を持とうとしないのはなぜなのか、不思議というほかはありません。

「女性宮家」創設提唱者にではなくて、私に対して牙をむくのと同様、大きな謎です。私には提唱者を必死でかばっているようにさえ見えます。先生は賛成派ではなかったはずなのに。

 つづく。
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