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天皇はひたすら国と民のために祈られる  ──日本教育再生機構広報誌の連載から [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 天皇はひたすら国と民のために祈られる
 ──日本教育再生機構広報誌の連載から
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 日本教育再生機構広報誌「教育再生」の連載から転載します。なお、一部に加筆修正があります。


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 宮中祭祀とは、いつ、誰が、どこで、何を、どのように行うものなのか、基本的なところについてごいっしょに考えてきたつもりです。

 今回は、少し踏み込んで、陛下の祈りの核心部分、つまり神社の祝詞(のりと)に相当する御告文(おつげぶみ)の内容について、考えてみます。

 しかし、これがよく分かりません。もともと天皇の祭りは秘儀とされています。バチカンの礼拝堂で、衆人環視のもと行われるローマ教皇のキリスト教典礼とは異なり、陛下がなさる宮中祭祀は誰も見ないところで行われるのが基本です。

 そして御告文こそ、秘中の秘です。

 神前に食を捧げ、直会(なおらい)なさる神人共食の祭式については、多くの記録があり、研究書も少なくありませんが、御告文については研究らしいものが見当たりません。

 戦前、昭和天皇の祭祀に携わり、戦後は全国約八万の神社を包括する神社本庁の嘱託を務めた八束清貫(やつか・きよつら)の「皇室祭祀百年史」(『明治維新神道百年史第1巻』昭和四十一年所収)でも、たとえば皇室第一の重儀とされる新嘗祭(にいなめさい)について、「御告文を奏上されて、五穀の豊穣を奉謝し、皇宝・国家・国民の上を祈らせられる」と述べているだけで、御告文の具体的中味にはまったく言及されていません。

 現在の宮内庁も、その姿勢には変わりがありません。平成の御代替わりに行われた諸儀式に関する『平成大礼記録』が平成六年にとりまとめられていますが、即位後最初の新嘗祭である大嘗祭(だいじょうさい)について、とくに本来、「秘儀」とされる大嘗宮の儀について、公開が避けられてきた采女(うねめ)の所作にまで言及し、事細かに祭式が記録されている一方、御告文の中味については記述がありません。

 内閣官房が編集・発行した『平成即位の礼記録』も、同様です。

 けれども、歴史的資料がわずかながら確認されています。

 ひとつは、第八十二代後鳥羽天皇の日記・後鳥羽院宸記(しんき)(『皇室文学大系4』昭和五十四年)です。

 十四歳で即位した順徳天皇に、父帝・後鳥羽上皇が大嘗祭直前、その秘儀について教えたことが、建暦二(一二一二)年十月二十五日の項に記され、御告文(申し詞[もうしことば])が引用されています。

「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」

 もうひとつは、元文三(一七三八)年に行われた、いまから十代前の第百十五代桜町天皇の大嘗祭の御告文です。中味はほとんど変わりません。「天が下平らかに年穀ゆたかにみのりて美しき蒼生をも救い」とあります。

 比較しても仕方がないことですが、私たち俗人であれば、自分や家族のために祈ります。けれども天皇はまったく異なります。天皇はひたすら国と民のために祈りを捧げられます。千年以上も、その祈りを第一のお務めとしてされてきたのが天皇なのです。

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