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天皇はあらゆる神に祈りを捧げる──日本教育再生機構広報誌の連載から [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年4月12日)からの転載です


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天皇はあらゆる神に祈りを捧げる
──日本教育再生機構広報誌の連載から
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 日本教育再生機構広報誌「教育再生」の連載から転載します。なお、一部に加筆修正があります。


 天皇陛下はいかなる神に、祈りを捧げられるのでしょうか?

 昭和天皇の祭祀に携わった八束清貫(やつか・きよつら)元掌典(しょうてん)の「皇室祭祀百年史」(『明治維新神道百年史第1巻』所収)を読むと、祭祀によって祭殿が異なること、つまり祈りを捧げる神が異なることが分かります。

 たとえば一月三日の元始祭(げんしさい)は、皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られる賢所、歴代の天皇・皇后などが祀られる皇霊殿(こうれいでん)、天神地祇(てんじんちぎ)が祀られる神殿の三殿すべてで行われます。

 春分の日の春季皇霊祭は皇霊殿で、春季神殿祭は神殿で行われ、十月十七日の神嘗祭(かんなめさい)は賢所で行われるという具合です。

 これと少し異なるのは、十一月二十三日の新嘗祭(にいなめさい)で、宮中三殿の西に位置する神嘉殿(しんかでん)で行われます。

 神嘗祭と新嘗祭は性格が似ていて、神前に新穀が捧げられますが、大御神が天孫降臨に際して、斎庭(ゆにわ)の稲穂を授けられたとする神話に基づく神嘗祭が、皇祖神に米の新穀が主として供されるのに対して、皇室第一の重儀といわれる新嘗祭は、「天照大御神以下諸神」(八束)に米と粟の新穀が主に捧げられるという際立った違いがあります。

 新嘗祭の「諸神」とはどんな神なのでしょう? なぜ米と粟なのか?

 神道研究家の田中初夫東京家政学院短大教授は、古代律令制の定めのひとつである「神祇令(じんぎりょう)」の「即位の条」に、「およそ天皇、位に即(つ)きたまわば、すべて天神地祇を祭れ」と記されていることを紹介しています(『践祚(せんそ)大嘗祭(だいじょうさい) 研究篇』)。

 天皇が皇位継承後、最初に行われる、一世一度の新嘗祭が大嘗祭ですが、平安中期に編纂された延喜式(えんぎしき)に載る、大嘗祭の祝詞(のりと)の一節には「大嘗(おおにえ)きこしめさんための故に、諸神をお祭りする」とあります(八束清貫『祭日祝日謹話』)。

 延喜式には「三百四座」などと、祭神数が具体的に示されていますが、文字通りそれらの神に祈りが捧げられると考えるべきでしょうか? 神名や数が明らかにされれば、それだけ祈りは限定的になってしまいます。

 八束が説明するように、まず神嘗祭で天照大御神に稲の新穀を奉り、新嘗祭では万民のために諸神を祀り神恩を感謝されるのだとすれば、名前が知られていない神々も含めて、あらゆる神と理解する方が自然でしょう。「国中平らかに安らけく」(「後鳥羽院宸記(しんき)」)と公正かつ無私なる祈りを捧げられるのが天皇だとすれば、祈りの対象はすべての神でなければならないはずです。

 一神教世界であれば、民が信じる神とは無関係に、統治者は唯一なる自分の神に祈りを捧げるでしょう。数年前、ローマ教皇がイスタンブールのブルー・モスクを表敬し、無言の祈りを捧げたことが多くの共感を呼びましたが、イスラムの神に祈りを捧げたわけではないでしょう。

 けれども歴代の天皇は古来、万民のため、万民が信じるあらゆる神々に祈ることを、第一のお務めとされています。

 民が信じるすべての神に祈りを捧げるとすれば、祭式は複合的になります。稲作民の稲と畑作民の粟が供される所以(ゆえん)かと思います。
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