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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月21日)からの転載です


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宗教的な米国の「国家と教会の分離」
──日本の「政教分離」は宗教を否定
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 15日にアメリカのボストンで起きた連続爆弾テロ事件から3日後の18日、事件現場に近い聖十字架大聖堂(ローマ・カトリック)で犠牲者を追悼するミサが行われ、出席したオバマ大統領が「あなた方は再び走るはずだ」と市民らを激励するメッセージを送ったと伝えられます。
https://www.youtube.com/watch?v=9rpHxn00Zr4

 その前日には、イギリス・ロンドンのセントポール大聖堂(イギリス国教会)で、サッチャー元首相の葬儀が営まれ、エリザベス女王をはじめ政府高官、諸外国の代表者が参列しました。
https://www.youtube.com/watch?v=drJoWMn0nlE

 それぞれの国ではそれぞれの宗教伝統に従って、国家的な宗教行事が行われています。

 ところが、日本はそうではありません。

 というわけで、宗教専門紙に平成17年2月に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 なぜこれほどに行政の姿勢が対照的なのか。

 日本政府が採用する厳格な「政教分離」主義は米国の「国家と教会の分離」を源流とする、と一般には考へられてゐる。ところがその米国では「政教分離」主義の厳守どころか、大統領の就任式に宗教家が参列し、牧師が祈りを捧げる。

 一方、日本の公的慰霊式は宗教家も宗教儀礼も排除される。

 米国では自国の宗教伝統を肯定した上で宗教政策が推進されてゐるのに対し、日本ではまるで無神論者のやうに宗教の否定が追求され続けてゐる。


◇ 震災十年で教会音楽を演奏
◇ 非伝統化する公的追悼式


▽「♪ 愛しい御身は」

 阪神淡路大震災から十年。兵庫県はじめ官民合同による追悼式典(主催=同式典委員会)が先日、神戸の県公館などで開かれた。政府関係者や遺族、被災者の参列はもちろんだが、とりわけ天皇皇后両陛下が御参列になり、お言葉や献花を賜ったことは犠牲者の御霊をどれほど慰めたことだらう。

 けれどもその一方で、公的慰霊追悼式典の無宗教化、非伝統化が浮き彫りになった。

 式典ではまづ「献奏曲」と称し、オーケストラによる「G線上のアリア」の演奏が流れた。名曲中の名曲だが、なぜバッハなのか。

 続いて「追悼の灯り」。慰霊・感謝・未来への期待を込めた被災十七市町の灯りを持ち寄り、復興をともに担ってきた五百六十万県民の思ひをこめた灯りとして、両陛下の御臨席のもと、一つに集められたあと、式典会場に運ばれ、遺族代表の手で会場正面の祭壇中央にともされた。

 慰霊と感謝、希望をつなぐ火がともされた祭壇は、兵庫の山並みをイメージしてゐる。杉の葉で成形された山並みの頂上には震源地・淡路島の白いカーネーション二千本が植ゑられてゐる。県土に浮かび上がる希望を意味してゐるといふ。

 けれども犠牲者の御霊が憑りまして、祭祀の対象となる神籬、木牌はない。

 その代はり、犠牲者の名簿が祭壇に安置されてゐる。

 両陛下の御入場後、式典が始まり、国歌斉唱ののち、全員が黙祷し、県知事の式辞、陛下のお言葉、政府代表、遺族の言葉と続いたが、黙祷し、追悼の言葉を述べる目標物は名簿とされる。

 そのあと「一・一七宣言」を挟んで二曲の献唱曲が捧げられた。二曲目はモーツアルトの「アベ・ベルム・コルプス」。誰もが知る名曲だが、「♪いつも愛しい真の御身は処女マリア様からお生まれになりました」と「聖体における神の現存」を簡潔に表現した教会音楽を捧げることは、「政教分離」に牴触しないのか。

 追悼式典の職員によると、「宗教色をいっさい排除」し、「仏教儀式などは採用しなかった」。「アベ・ベルム・コルプスは本来は教会音楽かも知れないが、宗教的な音楽とは考へてゐない」。


▽戦前も宗教性排除

 大正十二年の関東大震災では、「四十九日」に当たる十月十九日に東京府市合同の大追悼式が本所・被服廠跡で行はれてゐる。

 一般常識的には「戦前は宗教と政治が一体化してゐた」との理解が流布してゐるだけに、いはゆる「国家神道」的な慰霊祭が斎行されたと考へる人も少なくなささうだが、事実は逆である。

『東京震災録』(大正十五年、東京市役所発行)などによれば、宗教者の関与も、宗教的な儀礼も排除されてゐた。追悼式は振鈴とともに始まり、軍楽隊の奏楽に続いて、府知事、市長、首相などの追悼文が続き、一同が礼拝するといふきはめて簡素、非宗教的な式典であった。仏教連合会主催の追悼会や全国神道連合会の五十日祭は、これとは別に開かれた。

「宗教儀礼抜き」「国家は宗教に干渉せず」が政府の基本姿勢であったからだが、それでも府市合同の追悼式は、「黒白だんだら」の鯨幕や木牌など伝統的葬送の手法が用ゐられ、府知事の追悼辞には宗教用語が多用されてゐた。

 戦後、独立恢復直後の昭和二十七年に始まった政府主催の全国戦歿者追悼式では当初、祭壇中央に「全国戦歿者之標」と書かれた高さ二間半の檜柱が設けられてゐた。「戦後三十年」の同五十年に白木の標柱の文字は「全国戦歿者之霊」に変はる。政府は「無宗教」儀式と称してゐたが、黙祷し、花を捧げて、戦歿者を拝する霊位の趣旨を明らかにしたのだ。

 しかし平成十四、十五年に広島、長崎に相次いで開館した国立原爆死没者追悼祈念館はまったく異なる。

 死歿者を追悼し、平和について考へるために設けられた広島祈念館の「追悼空間」は円形の空間で、中心にあるのは水盤のモニュメント。祭壇も神籬もない。

 緑色に光る「光の柱」が林立する長崎祈念館の「追悼空間」には献花台があるが、正面には死歿者の名簿を収めた棚が直立する。来館者は名簿棚に向かって手を合はせ、黙祷する。「来館者の妨げ」になるやうな読経、「火気の使用」に当たる焼香は認められてゐない。玉串拝礼は想定されてゐない。「光の柱」をキリスト教的と指摘する声もある。


▽新宗教儀式を創作

 そして今度の大震災十周年追悼式典である。

 県では、県民をあげて犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げることなどを目的に、昨年夏、官民合同の式典委員会(委員長=県知事)を設立した。県や県議会、市長会など立法行政機関のほか、市民団体や商工会議所、労組や婦人会などが名を連ねてゐるが、宗教者は見あたらない。委員会が「政教分離」問題を議論したことはとくにないといふ。

 日本の公的追悼式は、厳格な「政教分離」主義の立場から、当たり前のやうに宗教者の参加を排除し、日本の伝統的な宗教の手法を採用しない姿勢を強めてゐる。その意味では「無宗教」だが、戦前の政府がいづれの既成宗教にも偏しない方針だったのに対して、近年の公的追悼施設や追悼式典はキリスト教文化に傾斜する傾向が見える。

 本来、死歿者を慰霊する行為には広義の宗教性があり、追悼式典が「無宗教」儀式であり得るはずはないが、浅薄にもそれを認めようとしない行政は、日本の宗教伝統を逸脱した新宗教儀式を創作し、あまつさへ異国の神ににじり寄ってゐる。


◇ 「自由の宣教師」ブッシュ
◇ 米大統領二期目の就任式


▽「大統領に聖霊を」

 再選されたブッシュ米大統領の就任式が一月二十日、雪で真っ白に染まった首都ワシントンの連邦議会前特設会場で行はれた。「九・一一」同時テロ後、初の就任式とあって、一万数千人の軍・警察を投入する空前の警備体制が敷かれた半面、米国らしい宗教的雰囲気の中での式典であった。

 就任式に先立って午前九時半、大統領はローラ夫人と双子の娘をともなひ、ホワイトハウスから北に三百メートルのところにある英国国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列した。百九十年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られる。

 参列は就任式の日の最初の公式行事で、父ブッシュ元大統領や政府高官、支持者らも出席した。説教台に立ったレオン牧師は「選挙で大統領を支持した州か否かにかかはらず、国民を導いてほしい」と訴へた。同牧師はキューバ移民で、大統領の指名で説教を行った。

 正午、いよいよ就任式。歴代大統領や政府高官、家族、十万人の観衆が待ち構へる中、軍楽隊の演奏に先導され、副大統領、大統領の順に威儀を正して会場に入場すると、万雷の拍手がわき起こる。一様に頭を垂れる参列者の前で、前出のレオン師が祈る。「神が大統領らに聖霊のシャワーを与へたまはむことを」。

 やがて法衣をまとったレンキスト連邦最高裁長官が入場する。副大統領に続き、参列者が起立する中、長官の立ち会ひで、ブッシュ大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手をあげ、誓ひの言葉を述べた。

「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓ふ。神よ、我を守り給へ」

 誓ひの言葉は合衆国憲法に定められてゐる。末尾の「神よ、我を守り給へ」は条文にはないが、歴代の大統領が用ゐてきたといふ。誓ひのあと大統領は家族と抱擁を交はす。拍手がわき起こり、二十一発の祝砲が会場に響き渡った。

 続く就任演説で大統領は、建国の理念である「自由」の重要性を何度も繰り返し訴へた。

「わが国の自由の存続は、諸外国での自由の成功にますます依存するやうになった。世界平和を実現する最良の方法は、世界中に自由を拡大することである」との呼びかけは「自由の宣教師」の面目躍如たるものがあるが、大統領は自国と友人を守るためには武力も辞さないとも強調した。

「圧政と絶望の中に生きるすべての人々は知ってゐる。米国は抑圧を黙殺しないし、抑圧者を許しはしないことを。諸君が自由のために立ち上がるなら、我々もともに立ち上がる」。

「自由の戦士」たる大統領の信念はもちろんキリスト教信仰に基づく。「自由が最後に勝利することを確信して、我々は前進する。歴史を動かすのは神であり、歴史は神の意思による選択だ。米国は新世紀の初めにあたり、世界中に、世界中の人々に自由を宣言する」と演説は結ばれてゐる。


▽信仰に基づく信念

 就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会は上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終はった。続いて、高校生の鼓笛隊や西部劇スタイルのバンドなどが参加する記念パレードが夕刻までにぎやかに行はれた。夜は舞踏会。同時に十カ所の会場で、夜半過ぎまで開かれた。

 翌二十一日午前には、「全国民の教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行はれ、正副大統領ほか政府関係者らが参列した。

 大統領が心の師と仰ぐ福音派のビリー・グラハム牧師が「我々は神がその本分において二期目の政権を与へたまうたと信ずる。混乱のただ中にあっては清らかで温かな心を、落胆のときには勇気を与へ、そしてつねに神の存在を大統領にお示しください」と祈ったほか、ユダヤ教やキリスト教各派など諸宗教諸宗派による祝福が与へられ、祈りが捧げられた。

「国家と教会の分離」政策が厳守されてゐると一般には考へられてゐる米国だが、自国の宗教伝統に従って国家元首の就任式が行はれてゐる。


◇ ウクライナ新大統領
◇ 聖書に手を置き宣誓

 宗教伝統に基づく国家元首の就任式は、かつて無神論に席捲され、宗教否定の政策が展開されてきた旧東欧・共産圏でも復活してゐる。

 新ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行はれるほど激しい大統領選挙に勝利したウクライナの親欧米派ユーシェンコ新大統領の就任式が一月二十三日、同国国会で行はれ、大統領は古い聖書と憲法典に腕をおき、宣誓した。

 聖書はウクライナが独立を保ってゐた一五五〇年代のもので、議場には一六五〇年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられた。式にはパウエル米国務長官や旧共産圏の七人の大統領などが参列した。

 同国の主な宗教は、東方正教(キリスト教)の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリック。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属するが、一九九一年の独立後、キエフ主教が分離独立した。国民の大半は正教徒を自認するといはれる。
  
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