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ここがポイント。「靖国参拝」「A級戦犯」批判に大反論 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月21日)からの転載です


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 ここがポイント。「靖国参拝」「A級戦犯」批判に大反論
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 靖国神社の春の例大祭が今日から始まりました。安倍首相は大真榊を奉納し、閣僚が参拝していることについて、メディアはいつものように「私人か公人か」と問い立てています。十年一日の議論です。

 というわけで、平成17年8月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 今年は「終戦六十年」の節目だが、戦歿者を静かに慰霊するどころか、「A級戦犯」(昭和殉難者)を祀る靖国神社へのとりわけ中国の攻撃がかまびすしい。小泉首相の参拝を標的に、「絶対ないやうに」(中国外相)などと牽制する。首相は「不戦の誓ひ」と説明するが、強硬な中国は納得しようとしない。かみ合はない論点を整理し、反論する。


▽ 論点その1 「靖国問題」は中国の国内問題である

 いはゆる「靖国問題」が顕在化したのは、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根内閣のときです。

 同首相は戦後四十年の終戦記念日、「総決算」の核心として神社に「公式参拝」しました。多くの国民・遺族の要望を背景としたこの参拝は、日本の戦後史に大きな足跡を残すはずでしたが、その後、事態は一転します。

 当時の日中関係は数千人規模の青年交流が進められるなど基本的に良好でしたが、改革派・胡耀邦総書記に対する中国保守派の反撥が激しく、中曽根訪中に対して反日デモが吹き荒れました。中国国内の権力闘争が火を噴き、過去の記憶を呼び覚まされた長老派が中曽根参拝を叩くことで、胡耀邦の追ひ落としを図り、総書記は失脚します。

 つまり「靖国問題」は中国の内政問題なのです。

 中曽根首相にも問題があります。政治信念を貫けずに、翌年から参拝をやめてしまひました。中国の反撥に配慮して、と説明されてゐますが、状況を見て豹変する「風見鶏」の習性を中国は見抜いてゐて、弱点をつついたら見事にぐらついた、といふのが真相だと指摘されてゐます。

 日本政府の対応の甘さが、「靖国問題」を日中ののど元に刺さったとげのやうにしてしまったのです。


▽ 論点その2 「A級戦犯」合祀は平和条約に基づいてゐる

 日本はサンフランシスコ平和条約で東京裁判の判決を受け入れたのに、裁判で死刑判決を受けた「A級戦犯」をなぜ合祀してゐるのか、といふ批判がありますが、話は逆であって、合祀は平和条約を出発点としてゐます。同条約十一条は日本が判決を受け入れ、刑を執行することと同時に、赦免・減刑の権限や手続きを定めてゐます。

 昭和二十七年春の条約発効後、日弁連、あるいは浄土真宗やキリスト者を中心とする宗教団体などが「講和に取り残された戦犯を救はう」といふ国民運動を展開し、のべ四千万ともいはれる署名を集めました。

 世論に後押しされて日本政府は重い腰を上げ、平和条約に基づいて、関係各国に「戦犯」赦免を勧告、米国など関係各国の協議が開始され、条約と各国間の合意に基づいて「戦犯」赦免が進められました。

 その結果、恩讐を超えて、A級戦犯は三十一年春までに、BC級戦犯は三十三年春までにすべて釈放されました。

 他方、国会は「戦犯」の釈放・赦免を数次にわたり決議し、右派社会党などの働きかけで「援護法」「恩給法」が改正されました。かうして戦犯刑死者の名誉が回復され、一般戦歿者と同様の待遇を受けられるやうになったのです。

 これが「戦犯」合祀につながります。

 祭神の合祀はもともと国が決めることで、靖國神社が独自の判断で合祀者を決定したことは一度もありません。「こっそり祀られた」といふのも誤解です。通常とは異なるのは、慎重を期して十数年の社内検討の末に実行されたことです。


▽ 論点その3 「A級戦犯」の「分祀」はあり得ない

 靖國神社は、戦争といふ国家の非常時に一命を国に捧げた二百四十六万余柱の戦歿者を一座の神「靖國の大神」として祀ってゐます。神社の祭祀には二面性があります。一つは靖国の英霊に対する国家の義務としての御霊鎮め。もう一つは個々の祭神と遺族の仲を取り持つ宗教的な祭祀です。

 中曽根首相以来、中国の批判をかはすために「A級戦犯」の「分祀」が主張されてゐますが、「一座の神」といふ基本からすれば、一部祭神の切り離しはあり得ませんし、祭神の変更など神ならぬ人間にできるはずはありません。

 そもそも神道の「分祀」と一部の親中派政治家などが主張してゐる「分祀」とはまったく異なります。いはゆる「分祀」論者は、「分祀」すれば「A級戦犯」の御霊を取り除けると考へてゐます。端的にいへば「合祀取り下げ」です。

 しかし、神道の「分祀」は、元宮となる神社から神霊を勧請して祀ることをいひます。ちょうど大きなロウソクから火を分けても、元の火がなくならないやうに、「分祀」しても元宮の神霊が消えてなくなることはありません。

 したがって「分祀」論者の「分祀」は何の意味もありません。「位牌を分離せよ」と要求する人がゐますが、もちろん神社に位牌はありません。神社は「拒否」してゐるのではなく、「分祀」は「あり得ない」のです。

「分祀を拒否した」から「A級戦犯擁護の歴史認識を示した」といふ報道がありますが、まったくの濡れ衣です。


▽ 論点その4 「慰霊」と「歴史検証」は異なる

 靖國神社はその名の通り「国安かれ」といふの祈りの祭場です。神社は現実の権力政治と一線を画し、国家危急の時に国に殉じた英霊の「慰霊」「顕彰」の祭りを厳修することを第一義としてゐます。

 本来ならば、国に命を捧げた戦歿者の慰霊行為は国が務めるべきものです。敗戦後、連合軍の占領政策により、やむなく国家管理を離れ、一宗教法人となった靖國神社は、この六十年間、国に代はって、一貫して戦歿者への慰霊の誠を捧げてきました。小泉首相の参拝を批判する声がありますが、明治以来、慰霊の中心施設である靖国神社に国の代表者が表敬することは当然です。

 首相の参拝を「侵略戦争の正当化」と断じ、批判するのは間違ひです。戦歿者に対する慰霊行為と過去の歴史を検証することとはまったく異なります。靖國神社の祭神は国家存亡の危機に私を去って公に殉じたといふ一点において祀られてゐます。特定の歴史観や戦争観に基づいて、英霊を祀り、祭祀につとめてゐるのではありません。

 先の戦争は多大な犠牲と国土の荒廃を招きました。かうした戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、客観的かつ実証的な歴史検証は必要でせうが、それは日本の国家と国民の仕事であり、歴史家の領域です。神社の目的はあくまで祭祀の厳修です。
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