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国家が守るべき礼節──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その4 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 国家が守るべき礼節──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その4
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 今年は日中国交恢復三十年。だが友好の気運は乏しい。先般の瀋陽領事館事件もさることながら、四月には靖國神社問題が再燃した。

 ドラマには前奏曲がある。与党三党の幹事長クラス数名が四月十四日、北京で唐家璇外相と会談した際、唐外相は昨年夏の小泉首相の靖國神社参拝に言及し、「今年の八月は平穏にしてほしい」と自粛を求めたのである。

 ところが同月二十一日、小泉首相が春の例大祭に合はせて参拝したことから、中国側が猛反撥した。とくに今回は念が入ってゐる。外務次官が日本大使を呼びつけて「強い不満と断固たる反対」を表明したのに始まり、外務省副報道官、駐日大使、日中友好協会理事長、外相と入れ替はり立ち替はり批判を繰り返し、最後は江沢民主席が登場して、公明党代表に「絶対に許せない」と語ったと伝へられる。

 中国はなぜかくも強硬なのか。日本はどう対応すべきなのか。


共産党のスローガンと毛沢東の巨大な肖像画が見下ろす天安門。周囲には毛主席記念堂、革命歴史記念館、人民大会堂。首都北京の中心に位置する天安門広場は中国共産主義革命のメッカである。人民英雄記念碑はその中央にそびえ立つ。

 天安門はその昔、中国皇帝の詔書が公布される権力の象徴だったといふ。革命の時代には人民集会場となり、しばしばここで武力蜂起が発生した。

 毛沢東が楼上から「中華人民共和国」の建国を宣言したのは一九四九年十月一日だが、記念碑は前日、毛自身が鍬入れした。碑には毛が揮毫した「人民英雄は永久に不滅である」の金象眼の大字が彫られ、裏面には毛が起草し、周恩来が揮毫したといふ碑文がある。

 碑の台座には大きなレリーフがはめ込まれてゐる。テーマはアヘン戦争、太平天国の乱、武昌蜂起、五・四運動、南昌蜂起、抗日遊撃戦争、長江渡河の八場面。まさに革命のシンボルである。


◇海部首相の露払ひ

 七六年の「四人組」批判が記念碑を祭壇とする周恩来追悼が発端となったやうに、記念碑はつねに「政治」を引きずってゐる。

 八九年の天安門事件の舞台もここである。民主化を願ふ市民が胡耀邦元総書記を追悼する花輪を記念碑に捧げたのがきっかけであった。しかし民主化運動は武力鎮圧される。

 血生臭い弾圧の汚名をそそぐのに一役買ったのは、ほかならぬ日本政府だ。

 平成三年(九一)八月、海部首相は記念碑に花輪を捧げた。西側首脳は「弾圧のシンボル」への献花を避けてをり、当然、欧米マスコミは「弾圧容認」と批判した。

 海部首相の訪中は事件以後、西側先進国首脳として初めてだった。日本政府は事前折衝の段階では表敬に「難色」を示したが、「最近は他国の国賓にも献花していただいてゐる」と中国側に押し切られたといはれる。

 首相は「国際儀礼上の表敬」で、中国政府の人権問題への対応に支持を与へる意図はないと弁解に努めた。

 しかし翌九月に公式訪問したメージャー英首相は、天安門広場に足を踏み入れることはなかった。当然だらう。記念碑には弾圧の犠牲者ではなく、事件で死んだ兵士が祀られてゐるといふのだから。

 四年十月には今上天皇が訪中された。前年の海部訪中は露払ひだったのだが、さすがに陛下は表敬されなかった。西側首脳はその後も献花を避けてきたが、細川(六年)、村山(七年)、橋本(九年)、小渕(十一年)の歴代首相が献花してゐる。

 日本の叩頭外交に対して、むろん中国側の返礼はない。


◇対日批判の切り札

 今春の小泉首相の靖國神社参拝について、中国側は「靖國神社は日本軍国主義の精神的支柱」「A級戦犯の位牌を祀ってゐる」と猛反撥したが、強硬姿勢の背後に何があるのか。

 昭和六十年の終戦記念日、中曽根首相が靖國神社に参拝したとき、中国側は激しく反撥した。このときの抗議が中国政府の初めての批判で、執拗な抗議を受けて、翌年の首相参拝は見送られたが、その背景には中国政権内部の熾烈な権力闘争があったといはれる。

 首相参拝は親日改革派・胡耀邦の立場を危うくしかねない、といふ政治判断に基づく参拝断念は、「戦後政治の総決算」どころか、かへって靖國神社問題が複雑化する要因をつくった。中国側は「歴史教科書」「靖國神社」といふ対日批判の政治的切り札を手にし、日本の謝罪外交が始まった。

 昨年のブッシュ米政権成立と同時多発テロは国際情勢を一変させた。米ロの絆は深まり、中国は孤立化してゐる。世界貿易機関加盟、二〇〇八年北京オリンピック開催と世界ルールの導入を図る中国だが、一方では経済発展やインターネットの急速普及で一党独裁体制がきしみ始めてゐる。歴史問題や靖國神社批判はいま、中国国内ではナショナリズムを強化し、国外的には日本を叩く外交上の武器に使はれてゐるのではないか。


◇揉み手外交を脱せよ

 昨夏の小泉首相の靖國神社参拝は現状打破の目的があったが、結局、猛烈な批判の前に前倒し参拝の屈辱を味はふことになった。昨年暮れに発足した追悼・平和懇は、怒り狂ふ近隣諸国に譲歩し、なだめようといふ揉み手外交の手法から一歩も脱してゐない。

 中国との接点を持つ、ある識者はかう語る。「戦歿者の慰霊・追悼は国内問題である。その原則を中国に主張すべきだ。それが通らないなら、日本としても中国の教科書その他を批判せざるを得ない、と説得すべきだ」。

 静かな慰霊の聖域に権力政治の穢れを持ち込むべきではない、といふことだらう。

 人民英雄記念碑を管理する「天安門地区管理委員会」のホームページに、広場での「諸注意」が記されてゐる。第一条は「礼儀を重んじる」。宗教を事実上禁止する中国でさへ、尊い命を国家に捧げた英雄烈士への礼節を重んじる。

 翻って日本はどうか。素人的論議が延々と続く追悼・平和懇は、数百万の戦歿者に対して国家が守るべき礼節を重んじてゐる、と自信をもっていへるだらうか。
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