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歴史の「お伽噺」を創作する中国共産党──日本の「軍国主義者」が「侵略戦争」を開始させた? [中国共産党]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月24日)からの転載です


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 歴史の「お伽噺」を創作する中国共産党
 ──日本の「軍国主義者」が「侵略戦争」を開始させた?
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 昨日、東京・九段の靖国神社では春季例大祭の第二日祭が斎行され、日本の国会議員168人が同社を参拝しました。

 これについて中国外務省の副報道局長は、「どんな方式、どんな身分であれ、靖国神社を参拝したことは、本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」と会見で非難したと伝えられます。

 しかし、靖国神社参拝は軍国主義の歴史、侵略の歴史を否定するものである、という中国共産党の主張は正しいでしょうか?

 日本の「ファシスト」が「侵略戦争」を開始させたという中国共産党流のドグマとはまったく異なる歴史が知られています。真珠湾攻撃以前に、ルーズベルトは蒋介石政権の政治工作に応じて、中立法に違反して、正規軍を中国に派遣し、対日戦争に踏み出していたのです。

 それがすなわち、フライング・タイガース(AVG)です。

 というわけで、「WiLL」平成18年1月号に掲載された拙文「フライング・タイガース──隠蔽された三つの真実」を転載します。一部に加筆修正があります。



「歴史はつねに勝者が叙述するものである。2つの文化が衝突したときには、敗者は忘れ去られ、勝者が歴史書を書くのだ。その史書では勝者の主義主張が賛美され、敗者は散々にけなされる。ナポレオンがいったように、『歴史とは何か。お伽噺なのだろう』。それから彼は笑っていった。『そもそも歴史などというものは、いつの時代でも一方的なお話なのだ』」(ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』)。

 世界的なベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』が引用するフランスの英雄ナポレオンの箴言(しんげん)を地でいくかのように、「終戦60年」の2005年を「抗日戦争勝利と世界反ファシズム戦争勝利六十周年(V60)」と位置づける中国では政治キャンペーンが大々的に展開され、牽強付会(けんきょうふかい)の歴史改竄(かいざん)がまさに一方的に進行したかのように見えます。

 かの「反日」江沢民主席以来、この10年間、「歴史を鑑(かがみ)とし、未来に目を向ける」の常套句を繰り返し突きつけ、「侵略国」日本に謝罪と反省を求めてきた当の中国で、です。

 いいえ、『ダ・ヴィンチ・コード』流にいえば、「抗日戦争」に「勝利」した中国だからこそ、高らかに、誇らしげに歌い上げる凱歌としての「お伽噺」の創作なのでしょう。

 何しろ真珠湾攻撃後、破竹の勢いの日本軍に対して、連戦連敗、敗退を続ける連合国軍のなかで唯一、互角に渡り合ったアメリカ義勇航空隊(American Volunteer Group、以下AVG)「フライング・タイガース」が中国を支援する戦闘部隊ではなく、「輸送部隊」だと言い張るのですから、首をかしげざるを得ません。

 中国の「歴史」とは「お伽噺」にほかならないことの証左なのかもしれませんが、「お伽噺」の創作に走るのは中国共産党の拭いがたい政治的体質としても、もしかして中国は開けてはならないパンドラの筺を開けてしまったのではないでしょうか。


◇1 元隊員の滞在一カ月を逐一報道する中国メディア

 2005年夏、齢80を超えるAVGの元隊員らが大挙して訪中し、各地を親善訪問しました。日本を共通の敵として米中がともに戦ったAVGの歴史は、「抗日戦争勝利60年」を演出するとともに、21世紀の世界戦略として「米中友好」を盛り立てるための格好の題材と考えられたのでしょうか。

 人民日報や新華社通信など中国メディアは8月11日の北京到着から1カ月以上にわたり、その足取りを詳しく報道しています。しかも渡航・滞在に要する元隊員1人あたり2000ドルの経費は雲南省が支出したそうです(8月12日、人民日報)。人のいいアメリカ人のお年寄りを利用した、中国政府を挙げての政治宣伝ではありませんか。

 インターネット上で伝えられたところでは、元隊員ら一行100人は8月21日、雲南省昆明市の「駝峰航路」記念碑に献花しました。「駝峰航路」は第二次大戦中、中国と同盟軍にとって主な航空ルートで、航路は全長500マイル。3年1カ月におよぶ空中支援で約70万トンの物資を輸送しました。この間、中米両国は飛行機五百機以上を失い、犠牲になったパイロットは1500人を超えました(8月22日、人民日報)。

「フライング・タイガース」や「駝峰航路」飛行隊の元兵士・家族ら100人が31日、V60の一環で北京に集合し、中国関係者と一堂に会し、交流しました(9月1日、人民日報)。

「戦勝記念日」の9月3日には「抗日戦争勝利60周年」を高らかに歌い上げる記念式典での演説で、胡錦涛主席は「中国の軍隊と共に戦うだけでなく、危険をものともせず中国に戦略物資を輸送するためにヒマラヤを越えたアメリカのフライング・タイガース」とAVGの功績に言及しました(北京週報35号)。

 湖南省には記念館がオープンし(9月7日、新華社)、元隊員は昆明市から名誉市民号を与えられました(9月11日、新華社)。

 一行は南京の陸軍墓地を訪れました。ここには3000人の飛行士が眠っていますが、うち2000人はアメリカ人パイロットです(9月12日、新華社)。

 以上のように、中国メディアは報道しています。かつての戦友が旧交を温める光景は美しいのですが、中国メディアの報道では見苦しいほどに重大な事実が隠蔽されているようです。

 第1に、AVGは中国共産党ではなく、国民党・蒋介石政権の政治工作が功を奏した結果、結成されたのです。

 第2に、表向きは「義勇軍」ですが、AVGはアメリカ政府肝いりのれっきとした陸軍の正規部隊であり、そのことは今日、アメリカ政府が認めています。

 第3に、何よりも重要なことは、時の大統領ルーズベルトがAVG派遣を決めたのは日本が真珠湾攻撃を決意する前のことでした。

 AVGの功績を称えることは一見、「米中友好」を演出し、「日米離反」を画策するには都合がいいのですが、日本のファシストらが「侵略戦争」を開始させたと考える中国共産党の歴史観の主張とはまったく相容れません。

 AVGの歴史を明らかにすることは、日本の真珠湾攻撃をもって「太平洋戦争」が始まり、世界中が戦争の惨禍に招き入れられたとする、戦後、一般に流布してきた常識論的歴史像の見直しを迫らずにはおきません。

 真珠湾攻撃に関しては、宣戦布告のない「奇襲」「だまし討ち」だったかどうか、ルーズベルトが無線傍受によって「攻撃」を知っていたかどうか、という歴史論争はよく知られていますが、AVGの歴史はこの「奇襲」論争を一気に飛び越え、日本の真珠湾攻撃以前に、中国・蒋介石政権の工作によって、アメリカが対日戦争に踏み切っていたことを白日の下にさらします。

 ひいては、日本を「侵略国」「文明の敵」として断罪する、いわゆる「東京裁判史観」も否定されることになり、2005年春から各メディアを総動員して猛烈に展開された「A級戦犯」批判キャンペーンほか、中国のV60政治宣伝はすべて吹き飛んでしまいます。

 中国のAVG報道が素人だましの露骨な隠蔽を行っているのは、そのためでしょうか。

 たとえば、人民日報(ネット版)に7月12日付で載った「抗日戦争略史──1941年」では、「1941年8月1日にアメリカ空軍義勇部隊(フライング・タイガーズ)成立、陳納徳(シェンノート)が総指揮となる」とされていたのに、一週間後、7月19日の「対中援助に寄与した米国のフライング・タイガース」では「1942年4月創設」に変わっています。

 41(昭和16)年12月の日米開戦以前にAVGが成立していた、などとは、むろん書けるはずもありません。


◇2 「真珠湾」以前に対日参戦、アメリカの背後に蒋介石

 日本では無名に近いのですが、AVGの存在はアメリカでは知らない者がいないといわれます。1946年にハリウッドはジョン・ウェイン主演のその名も「フライング・タイガース」という戦意高揚映画を制作しています。第二次世界大戦中のビルマ・中国戦線での「活躍」は世界中に知れ渡り、いまなお出版物があとを絶ちません。ネット上には公式のウエブサイト(http://www.flyingtigersavg.com/)さえあります。

 日本でほとんど唯一の研究者、北星学院大学の吉田一彦教授が書いた『アメリカ義勇航空隊出撃』などによると、AVGの生みの親は、アメリカ陸軍航空隊の名パイロット、シェンノート准将です。

 盧溝橋で日中が全面衝突した1937(昭和12)年、蒋介石はシェンノートに中国空軍の訓練・養成に当たる軍事顧問就任を要請し、全面協力を得ることになりました。AVGの前史がここに始まります。

 そのころの中国は、日本軍の猛烈な進攻の前になす術がすりませんでした。上海、南京は次々に放棄され、首都は内陸の重慶に遷されました。蒋介石は世界に援助を求めましたが、応じたのはソ連だけでした。当時のソ連は日本の友好国のはずですが、中国に軍事物資を供給し、ソ連航空部隊は上海や南京で日本軍に対して軍事行動をとり、台北の日本軍基地を急襲しました。

 38年暮れには日本軍の重慶爆撃が始まり、ヨーロッパでは翌年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻したのをきっかけに世界大戦が勃発します。40年秋には最新鋭機「ゼロ戦」が重慶の空に姿を現しました。中国空軍は無力で、爆撃は熾烈さを増していきました。

 蒋介石は、アメリカの支援獲得に乗り出し、宋美齢夫人の長兄、クリスチャンでハーバード大卒の親米派・宋子文をワシントンに派遣しました。「夷をもって夷を制する」が蒋介石の戦略でしたが、そのころアメリカの不干渉主義の伝統は根強かったのです。

「いずれ日米は激突する」と信じるシェンノートは蒋介石から協力を求められてルーズベルト大統領を説得し、宋子文ら中国ロビーは「米国の支援がなければ中国は滅びる」とアメリカ政府に圧力をかけました。アメリカのマスコミは蒋介石を「勇敢な戦士」と賛美しました。

 日米はもうすでに無条約状態で、もとよりルーズベルトは中国支援に賛成でした。交戦国のいずれかに味方することはアメリカの「中立法」で禁じられていましたが、大統領は「同法はドイツなど『戦争仕掛け人』に有利」だとして、この法律に反対でした。

 こうしてヒト、モノ、カネをアメリカが提供し、中国空軍の識別マークで戦う異例の航空部隊が創設されたのです。まともに事を運べば明確な「中立法」違反でしたから、シェンノートは身分を偽って「中国銀行員」を装い、軍事作戦は商行為の仮面をかぶりました。

 41年初頭から隊員の募集が始まりました。給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇です。現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出されました。ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じました。これが「義勇軍」AVGの実態でした。

 開戦回避のためのぎりぎりの日米交渉が始まるのは同年4月で、野村大使とハル国務長官は連日の会談で開戦回避の打開策を模索していたのですが、陸軍航空部隊長の8月のメモによれば、AVGの創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」といいます。

 日本は日米交渉が成功して、アメリカ主導で中国との和平が実現し、泥沼化した日中戦争から抜け出すことを期待していました。ところが、逆に中国はむしろ泥沼化を望んでいました。

 交渉が進まず、それでも日本が「対米開戦を辞さない決意で、開戦準備を行う」「平行して米英との外交手段を尽くす」という内容の「帝国国策遂行要項」を決定するのは9月6日の御前会議であり、交渉が破綻し、ハル・ノートの提案を受けて、対米英戦争を最終的に決定したのは12月1日の御前会議でした。

 したがって、日本の期待とはお構いなしに、アメリカは日米交渉開始以前に、そしてもちろん日本が真珠湾攻撃を準備するはるか以前に、AVGの作戦を現実に開始し、対日戦争に着手していたことになります。じつに11月までに「日本本土爆撃」までが計画されていたといわれます。

 したがってアメリカに日本の真珠湾「奇襲」を一方的に批判する資格はまったくないというべきでしょう。いずれの国が好戦的、侵略的なのか。あるいは、権謀術数が渦巻く国際政治の世界で、そのような単純な発問が本来、有効なのかどうか。虚心坦懐に実証的に、開戦の歴史を洗い直す必要がります。


▽3 AVGを「正規軍」と認めたアメリカ政府

 臼井勝美『日中戦争』などによると、イギリスはビルマ・ルートを再開し、日本はドイツを通じて和平を申し入れ、ソ連は軍事援助を供与しました。その状況を、周恩来は「蒋介石はイギリス、日本、ソ連から引っ張りだこになって喜んでいる」と皮肉ったといいます。

 中国軍はかつてないほどに増強され、もはや日本軍を恐れてはいませんでした。蒋介石が警戒するのは、日米開戦によってソ連が漁夫の利を得ることでした。ソ連の発言力が増し、共産勢力が蔓延することを恐れていたのです。

 最初に日ソが戦って両者が傷つき、そのあと日米戦で日本が敗北、滅亡するという構図を、蒋介石はそのころ描いていたといいます。

 41年7月、AVGの隊員たちはサンフランシスコで落ち合い、農民や宣教師、機械工と称してオランダの貨物船に乗り込み、太平洋に繰り出しました。第一陣の隊長はルター派の牧師でした。

 アメリカだけでなく、イギリスにも航空義勇軍派遣の計画がありました。「日本軍の雲南侵攻作戦が成功すれば、ビルマ公道が遮断される」という蒋介石の警告にチャーチルは派遣の意向を固め、オーストラリア、ニュージーランドも同意したのですが、その矢先、日本が真珠湾を攻撃します。

 12月8日(ハワイでは12月7日)に真珠湾を攻撃されて、アメリカではルーズベルトが「汚辱の日を忘れるな」と演説しましたが、重慶では戦勝気分に酔うかのような歓声が沸き上がったといわれます。蒋介石の「夷をもって夷を制する」戦略の勝利の凱歌でしょうか。

 蒋介石にとっては、アメリカの対日参戦はとりもなおさず日本の敗北を意味したのです。

 AVGが初陣を果たしたのは10日あまりのちの12月20日。雲南省昆明で10機の日本軍爆撃機を迎撃し、6機を撃墜、自軍の損害はありませんでした。

 AVGは「フライング・タイガース」のニックネームで呼ばれ、機体には「空を飛ぶ虎」のロゴ・マークがペイントされていました。アニメ映画から飛び出したかのような絵は、今日、世界の誰もが「平和の使徒」と信じて疑わないウオルト・ディズニーのデザインです。当局の依頼を受けて、ディズニー・スタジオがロゴを制作したようです。

 ウオルトは反共主義者で、終生、FBIの特別情報員を務めたといわれます。41年当時、ハリウッドのディズニー・スタジオは労働争議が絶えず、ウオルトは共産主義者への復讐心に燃えていました(M・エリオット『闇の王子ディズニー』)。

 ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、ウオルトは同じころ、30万人に上る中国の戦災孤児を救う全国運動の代表にも就任しています。同じ反共主義者の蒋介石は、ウオルトには同志と映ったのでしょうか。

 米中双方の反共主義者たちが共演したAVGを、今日では逆に中国共産党が最大限、政治利用しています。お見事というほかはありません。

 AVGは大戦を通じて、296機の日本軍戦闘機、爆撃機を破壊し、みずからの犠牲は4人の操縦士だけだったといわれます。42年には中国派遣米国航空隊として現役化され、翌年にはアメリカ第14航空隊に再編成されました。

 AVGの犠牲が少ないことはそれだけ優秀なパイロットと高性能の軍用機が投入されたことの証明でしょうか。中国メディアがいま、2000人以上のアメリカ人パイロットが戦争の犠牲になった、と報道しているのは何の根拠があってのことなのでしょう。

 もし中国の報道が正しいなら、逆に日本軍の抗戦ぶりこそ称えられなければなりません。

 1962年、中華民国(台湾)はシェンノートらの顕彰碑を建てました。外国人の功績を称える台湾唯一の記念碑といわれます。AVGに対する国民党の評価の高さをうかがわせます。

 一方のアメリカですが、この30年後、91(平成3)年7月6日付ロサンゼルス・タイムズ紙の一面に、アメリカ国務省がAVGの生存者100人を退役軍人と認定した、と伝える記事が大きく載りました。

「日米開戦50年」のこの年、AVG結成から50年にして、アメリカ政府はAVGを「義勇軍」ではなくて「正規軍」であったことを認めたのです。すなわち、日本の真珠湾攻撃以前に「中立国」であったはずのアメリカが、自国の「中立法」を侵して日中戦争に介入し、宣戦布告なしに対日戦争を開始していたことを政府が公的に認めたことを意味します。

 歴史の見直しの始まりです。


◇4 国民党の歴史を共産党の歴史にすり替える

 アメリカの歴史教科書にはまだAVGは描かれていないようです。

 開戦の経緯について、1967年初版の古い教科書で、いまは使われていないらしいヘンリー・グラフの教科書(邦訳「世界の歴史教科書シリーズ」25)は、日本をイタリア、ドイツと同様、拡張主義をとる「侵略国」であり、「民主主義の敵」と位置づけ、アメリカは平和を望んだが、真珠湾への「奇襲」によって戦争に引きずり込まれた、と記述しています。

 真珠湾攻撃が戦端となったという従来通りの認識ですが、「日本が太平洋上のどこかの地域を攻撃する計画があることを、アメリカは暗号コードの解読で知っていたが、攻撃がアメリカの領土に直接、向けられると信じた政府高官はいなかった」と述べ、アメリカの暗号傍受・解読に言及しているのは注目されます。

 最近の教科書はさらに進んでいます。『アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争』の著者、在米ジャーナリストの高濱賛氏によると、アメリカの教科書は「日本人が想像するほど、真珠湾について一方的ではない」そうです。かつては定番であった「奇襲」「だまし討ち」という表現は消えています。

 リベラル派の教科書といわれるカリフォルニア大学バークレー校・ゲリー・ナッシュ教授編著の“The American People”は、「日本は侵略者」「日本による奇襲」とする一方で、「アメリカ人は日本人を過小評価していた。人種的偏見からだ。まさかハワイを攻撃できる能力を持ち合わせていないと思っていた」と記述し、自己批判を怠りません。

 アメリカには中国流の国定教科書制度があるわけでもないし、日本のような全国共通の指導要領や教科書の検定制度もありません。学習指導の内容や教科書の採択は各州、各学区の教育委員会に委ねられているということですから、単純な比較は無理ですが、少なくともアメリカの教科書にはより深く史実を究明しようとする学問的意欲が伝わってきます。AVGの歴史が記述される日は近いかもしれません。

 けれども、中国国営メディアのV60キャンペーンにはそのような歴史的態度が微塵もうかがえません。「70万トンの支援物資を中国に輸送した」などと、まるでAVGが戦闘部隊ではなく、輸送部隊であったかのような書きぶりで、AVGが昆明などで日本軍機と実際に交戦したことへの言及もありません。

 それどころか、蒋介石の名前すらありません。蒋介石の老獪な政治工作でルーズベルトを対日戦争に引き入れた歴史が、中国共産党主体の歴史に巧みにすり替えられ、搭乗機を日本軍に撃墜された元隊員が八路軍に救われ、延安に連れて行かれて毛沢東や周恩来に会ったという「美談」までがまことしやかに報道されています(8月23日、人民日報)。

 日本に歴史問題を突きつけてきた中国が牽強付会に走るのは、中国の歴史主義がつねに政治的だからでしょうか。そもそも参加してもいない「東京裁判」を持ち上げ、猛烈な「A級戦犯」批判キャンペーンを2005年春から次々に繰り出した中国国営メディアが、「東京裁判史観」に疑問を投げかけるような史実など書けるはずもないということでしょうか。


◇5 開けてはならなかったパンドラの筺

 5月9日付の人民日報は、「世界反ファシスト戦争勝利60周年」と題する社説で、「歴史を鑑として、はじめて未来に向かえる。ファシズムの侵略戦争は世界人民に深刻な災難をもたらし、侵略戦争を発動した国の人民にも大きな害を与えた。歴史を正しく認識し対処するには、侵略戦争への反省を行動に移し、被害国人民の感情を傷つけることを繰り返さないことだ」と主張しました。

 相も変わらぬ、「ファシスト」対「反ファシスト」、「加害者」対「被害者」、「侵略」対「被侵略」という階級闘争史観風の二項対立的歴史理解ですが、それだけに中国共産党とそのメディアがAVGの歴史に足を踏み入れたことは逆に注目されます。AVGは善悪二元論的な歴史理解の枠外にある、中国にとっては禁断の木の実のはずだからです。

 もともと中国共産党には「侵略戦争」を批判する資格があるでしょうか。

 毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言したのは、東京裁判の被告「A級戦犯」のうち7人が絞首刑となった翌年、1949(昭和24)年10月です。戦争中、中国共産軍が八路軍と称して国府軍の指揮下にあったとはいえ、共産勢力は日本の「交戦国」とはいえないし、当然、新中国はポツダム宣言や東京裁判の審議・判決などに関わっていません。

 51年9月のサンフランシスコ講和会議にも参加していません。それどころか周恩来は単独講和の無効を声明したのではなかったでしょうか。ポツダム宣言の当事国で、降伏文書に調印し、東京裁判に参加した「中国」とは蒋介石の中華民国国民政府(台湾)です。

「侵略戦争」「東京裁判」「戦犯」と直接的関わりのない中国共産党ですが、にもかかわらず戦後、多年にわたって多数の日本人「戦犯」を国内で拘束し、きわめて政治的に取り扱ってきました。

 たとえば、大戦末期から終戦直後にソ連軍が「捕虜」として拘束した抑留者のうち969人が1950年にスターリンから毛沢東に移管され、「戦犯」の刻印を押され、撫順刑務所で思想教育を受けました。

 過酷なシベリア抑留とは天と地の「人間的」扱いのなかで日本人「戦犯」は「侵略」を「認罪」「反省」し、「寛大」な中国人民に赦されたことになっていますが、中国国内向けには「被害者」の人民を納得させ、同時に対日工作の道具として「戦犯」を利用する周恩来の深謀遠慮がありました。

 満州では民衆の即決裁判で3500人の日本人が犠牲になったといわれ(満蒙同胞援護会編『満蒙終戦史』)、中国の対「戦犯」政策が「人間的」だったなどとはけっしていえません。

「革命は銃口から生まれる」という毛沢東の言葉通り、中国は戦争を最大限、政治に利用しています。実際、昭和29年9月、「侵略戦争に荷担したが、罪を認め、赦免」された「戦犯」は帰国直後、「偉大的祖国」と口々に新中国を讃えた、と当時の新聞は伝えています。

 けれども時代は変わりつつあります。

 とくに江沢民政権以来、歴史カードは日本への牽制であると同時に国内の不満層への懐柔策として一石二鳥に機能しました。中国では政権批判はかならず「反日」の形をとります。政府が制御可能なうちはまだしもですが、サッカー・アジア杯「反日」暴動に示されるように、いまや「反日」は政権基盤を揺るがす諸刃の刃であり、重荷となっています。

 社会は断裂し、貧富の格差は「世界最大」といわれ、毛沢東以来の「大同(絶対平等主義)」の夢は完全に破れました。しかも改革・開放の過程で莫大な財をなした「新富人」が台頭し、中国を支配しつつあります。共産党は国家指導者としての役割を果たせなくなりました(清水美和『中国「新富人」支配』)。

 小泉首相の5度目の靖国神社参拝後、日本のマスコミは例によって内外の批判と抗議を大々的に報道しましたが、中国の反応を子細に検討すれば、中国政府は「反日」活動家を拘束し、抗議デモを封じ込めるなど、表向きとは違って思いのほか抑制的に対応しています。

「反日」の高まりを警戒しているのは日本ではなく、中国政府でしょう。

 経済的には日本を抜きにして国が成り立たない中国にとって、歴史問題を日本に突きつけ続けることが中国の国益にかなうはずはありません。けれども「抗日戦争勝利」が中国共産党の揺り籠である以上、捨てるに捨てられないのです。

 しかも今度は「米中友好」を演出したいばかりに、「日本の侵略」否定につながるAVGの歴史に手をつけてしまいました。

 パンドラの筺を開けた中国はもはや隠蔽とウソを重ね続けるしかありませんが、それはいつまで可能でしょうか。
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