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王毅中国大使が防大で靖國神社を批判──都合のいい一方的な歴史認識 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月26日)からの転載です


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 王毅中国大使が防大で靖國神社を批判──都合のいい一方的な歴史認識
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 日本の閣僚たちの靖国神社参拝をめぐる安倍首相の一連の発言に対して、中国外務省の副報道局長が昨日、会見で、「もし日本の指導者が過去の侵略の歴史を『誇りある歴史と伝統』とみなすならば、アジア諸国との関係にも未来はない」と強く批判したと伝えられます。

 あくまで副報道局長の発言ですから、それほど目くじらを立てるべき段階ではないと思いますが、私が思い起こすのは、8年前の平成17年10月に王毅駐日大使(当時。いまは外交部長、つまり外務大臣)が執拗に小泉首相の靖国神社参拝を批判していたことです。

 けれどもその内容は偏見と曲解に満ちていました。

 中国外務省が靖国神社に対する偏見を引きずっているとしたら、日中に未来はありません。

 というわけで、そのころ宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。なお、一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 王毅・駐日中国大使が小泉首相の靖國神社参拝を、執拗に批判してゐる。十月二十六日には神奈川県・横須賀市の防衛大学校(西原正学校長)で講演した。その内容は中国大使館のホームページ(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/)などで伝へられてゐるが、靖國神社および近現代史に関する偏見と曲解に満ちてゐる。


▽非公開の約束に違反

 防大での講演は、防大側の公式の発表では、「中国の発展の道と外交・安全保障政策」と題して、人文社会科学群二、三、四学年などに対する課外授業として催された。大使は中国の最近の著しい経済発展や主要国に対する政策などを語ったことになってゐる。

 しかし中国側の発表では、必ずしもさうではない。

 最近の発展ぶりをデータで紹介したあと、軍事大国化への懸念をいくつかの根拠をあげて否定したうへで、両国の協力関係の必要性を訴へ、いはゆる靖國神社問題に言及してゐる。すなはち「両国は大きな障碍に直面してゐる。その障碍(しょうがい)の原因は靖國神社問題にあり、焦点はA級戦犯である」と講演したかのやうに、大使館は発表してゐる。

 講演の事実はむろん防大も公表してゐるが、事情通によると、内容については非公開の約束だった。当日は教官や学生との間で丁々発止の激論もあったが、防大は約束を守り、講演や質疑応答の中身を公開してゐない。

 ところが中国側は約束に違反し、一週間後の十一月二日に「講演の全文をウェブサイトに掲載」(中国系メディア)した。タイトルが「人信を信となし、止戈を武となす」と変はったのはまだしも、「都合のいい一方的な内容に改竄された」(関係者)との指摘さへある。

 大使館が発表した「講演録」は、「靖國神社に祀られた十四人のA級戦犯は、かつて日本軍国主義の対外侵略戦争を起こし、指揮した者で、その多くは中国を侵略した日本軍の要職にあった。中国はあの侵略戦争の最大の被害者で、死傷者三千五百万人といふ巨大な代価を払ってをり、ほとんどどの家族も不幸な経験をしてゐる」と主張する。

 ここには認識上、重大な誤りがある。靖國神社は「A級戦犯を祀ってゐる」のではない。日本政府が東京裁判による「法務死」を「公務死」と公的に認めたがゆゑに、「昭和殉難者」十四柱は国に一命を捧げた祭神として合祀されたのである。「戦犯」は合祀以前に、日本政府によって、いはば名誉恢復(かいふく)されてゐる。

「軍国主義」「侵略戦争」といふ認識も一方的だ。

 たとへば、日中が全面衝突するきっかけとなった昭和十二年七月の盧溝橋事件は、夜間訓練中の日本軍に対して中国軍が実弾射撃したのが発端であった。

 日本政府は「不拡大」の方針だったが、その後、中国正規軍の攻撃を受けるにいたり、同月下旬、日本軍は武力発動を決断せざるを得なくなる。中国保安隊の日本人居留民に対する虐殺事件すら起きてゐる。

 この背景には「反共」から「抗日」へといふ蒋介石の戦略転換があり、それを促したのはコミンテルンの「抗日統一戦線結成」採択であり、蒋介石を逮捕し、共産党の要求を突きつけた西安事件ではなかったか。

「死傷者三千五百万人」にいたっては、何の根拠があるのか。日中国交正常化を決めた昭和四十七年の田中・周会談でさへ「幾百万の中国人が犠牲に」(周恩来)と述べてゐるにとどまる。


▽皇軍を評価した毛沢東

 大使はまた「戦争責任は少数の軍国主義者が負ふべきだ」と語ってゐるが、「A級戦犯は悪」で、「人民は正しい」といふ発想は階級闘争史観にほかならない。日中国交正常化の際、日本政府は「侵略戦争の責任を痛感し、深く反省すると表明した」といふのが大使の主張だが、「侵略」といふ表現は昭和四十七年の共同声明にはない。

 もとより日本が戦闘行為をおこなったのは、主として蒋介石政権に対してである。

 毛沢東は「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。おかげで中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしに我々が権力を奪取することは不可能だった」とさへ述べてゐる。いまさら批判の謂はれはない。

 政府間の合意文書に「侵略」が明記されたのは平成十年、小渕・江沢民の共同宣言で、このとき「反日」江沢民は「正しい歴史認識」を繰り返して日中の溝を深め、その結果、両国は「過去の終結」のチャンスを逃したのではなかったか。

 大使は戦前・戦中史のみならず、戦後史の理解も誤ってゐる。

「首相参拝の継続は侵略を正当化する『靖国史観』に同調することになる」といふ大使の主張はまさに為にする議論といへる。

 北京の人民英雄記念碑は明らかに階級闘争史観に基づいてゐるが、靖國神社は特定の歴史観・戦争観を前提としてゐない。掛け替へのない命を祖国に捧げた殉国者を祀る靖國神社は「国安かれ」と祈る平和の祭場である。

 大使は十一月二十四日には都内の外人記者クラブで同工異曲の靖國神社批判を繰り返した。中国が根拠のない政治宣伝を続ける限り、日中の和解は遠のくばかりである。
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