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「殉国者は靖國神社に祀らるべし」──ビッテル神父からGHQへの答申 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月28日)からの転載です


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「殉国者は靖國神社に祀らるべし」──ビッテル神父からGHQへの答申
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 安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に中国・韓国が反発していることについて、朝日新聞が一昨日、26日の社説で取り上げています〈http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304250545.html?ref=reca〉。

「靖国神社には戦没者だけでなく、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された。それ以降、昭和天皇は靖国を参拝しなかった」

「戦前の靖国神社は、亡くなった軍人や軍属を「神」としてまつる国家神道の中心だった」

「首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」

 事実関係がだいぶ違うのではないでしょうか? メディア自身の責任を隠蔽していることも注目されます。

 たとえば、いわゆる「A級戦犯」の合祀には前史があります。朝日新聞の過去の記事をひもとけば明らかなように、「戦犯」の赦免・減刑は国際社会の合意に基づいて行われています〈http://izasaito.iza.ne.jp/blog/entry/3042942/〉。

 平和条約調印の翌年、昭和27年5月2日、昭和天皇の御臨席のもと、新宿御苑で全国戦没者追悼式が催され、3日には皇居前広場で独立記念式典が開かれました。天声人語(4月9日)は「独立式典に先立ってまず慰霊するのが順序。結構である」との見識を示しています。

 いみじくも今日28日、政府主催の「独立回復の日」式典が開かれますが、かつての朝日新聞は「戦犯」に好意的でした。「戦犯」の赦免・減刑に朝日新聞の記事が果たした役割は大きいと思います。

 それがなぜ、今日のように冷淡に豹変したのか、朝日新聞は社論の変更について、きちんと説明すべきではありませんか?

 昭和天皇が「A級戦犯」合祀にご不満であり、そのため靖国神社に参拝されなかったというような見方も早計でしょう。

 天皇は、すべての国民をみなひとしく赤子(せきし)と思われ、「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈り、国と民を一つに統合するお務めを果たされます。天皇には賛成派も反対派もないのです。したがって、国を二分する結果を招くような行為は慎まれることでしょう。

 なぜ戦没者が「神」なのか?

 イギリスでは戦没者追悼記念日に記念碑セノタフで国の式典が催され、宗教儀式も行われますが、戦没者はむろんGodではありません。靖国神社が殉国者を「神」として祀るといっても、それぞれが「神」なのではありません。

 戦没者は「靖国大神」という一座の神に合祀されます。かけがえのない命を国に捧げたことが「神」とされるのであり、それ以上、丁重に敬意を表する方法が考えられないからではありませんか?

「国家神道」についても、アメリカが戦時中から、「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉で、靖国神社はその中心施設であり、教育勅語がその聖典だと誤解していたのは事実のようで、そのため敗戦後、占領軍のなかには爆破焼却の噂が持ち上がっていました。

 けれども、戦前、30年間にわたって靖国神社宮司の地位にあった賀茂百樹は軍国主義どころか、平和を訴えています。晩年、病床で口述した「私の安心立命」(昭和9年)には「神ながらの武備は戦争のための武備ではない。戦争を未然に防止し、平和を保障するのが最上である」とあります。

 むしろ「軍国主義」の推進者はメディアでしょう。朝日新聞はたとえば、昭和14年、靖国神社の外苑に戦車をずらりと並べたてる戦車大展覧会を開催し、同時に戦車150台が銀座をパレードする大行進も催しました。大新聞が、靖国神社を利用して、戦争への時流を作り上げたのです。

 愛知大学の江口圭一教授は、『日本帝国主義論』で、「強調されねばならないのは、この両大紙(朝日と大阪毎日・東京日日)が新聞社としての能力・機能のほとんどすべてを傾注して(満州)事変の支援につとめ、事変そのものを自己の不可欠の構成部分に組み込み、戦争を自己の致富の最有力の手段として、この制覇を成し遂げたという事実である」と名指ししています。

 ところが朝日新聞の『社史』には戦車展が掲載されていません。歴史の隠蔽でしょうか? 他者を激しく攻撃して、自分の責任を回避するというのは、人間にはしばしばあることです。インテリほどその傾向が強いかもしれません。

 じつに興味深いことに、昭和20年11月の臨時招魂祭・合祀祭に参列したCIE(民間情報教育局)部長のダイク准将らは「たいへん荘厳でよかった」と神社の祭典に逆に感激します。神社の職員が一兵卒として応召したことも分かり、靖国神社の職員が戦争指導の中心にいた、という誤解は一気に晴れました。

 ポツダム宣言は「軍国主義」が世界から駆逐されるべきことを謳い、日本はこれを受け入れました。けれども、靖国神社は存続しました。「軍国主義」ではないから、と考えざるを得ません。

 ただし、アメリカが何をもって「国家神道」と考えたのか、なぜ靖国神社がその中心施設だという誤解をしたのか、はまだまだ学問的に解明されていません。靖国神社をめぐる混乱の第一の原因はそこにあります。

 というわけで、平成17年12月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。なお、一部に加筆修正があります。同紙の編集方針から歴史仮名遣いになっています。



 今年は神道指令六十年である。

 同指令は神社制度のみならず、日本人の宗教意識の根本的な変革を命じ、とりわけ靖國神社は存亡の淵に立たされた。それから六十年、同社への攻撃がやまない。


▽CIEの大勢は強硬

 昭和二十年八月十五日、昭和天皇はポツダム宣言の受諾と終戦をラヂオで国民に告げられた。九月二日、降伏文書調印。同十七日にはGHQが東京に移された。

 米国政府は戦時中から「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉と理解してゐた。

 米軍の東京進駐から一カ月後の十月六日、米国務省極東部長ヴィンセントはラヂオで占領政策を米国民に説明し、「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだらう」と述べた。八日付朝日新聞はこれを「神道の特権廃止」と伝へるAP電を載せた。

 放送内容を事前に知らされてゐなかったGHQは驚き、本国に照会、国務長官バーンズは「国教としての神道、国家神道は廃されるだらう」と回答した。この回答がGHQ民間情報教育局(CIE)による神道指令起草の起点となる。

 このころ「国家神道」の中心施設と考へられてゐた靖國神社では遊就館の業務が停止し、神社「焼却」があちこちで噂になってゐた。

 米政府はCIEに「国家神道は廃止すべきだが、民間信仰の対象としての神道は残してもいい」と訓令してゐたものの、CIEの大勢は「神道、神社は撲滅せよ」と強硬に主張してゐた。

 これに呼応して、日本の仏教界も強硬で、キリスト者も「神道に圧迫された」と神道批判の嘆願書を盛んに書いた。CIEは創価学会の発展を奨励したといはれる。

 大日本帝国最後の靖國神社招魂祭を約一カ月後に控へた十月中旬、最高司令官マッカーサーの覚書が上智大学のビッテル神父の元に届いた。ビッテルは独人で、日米開戦回避に努力したこともあった。このころは法王使節代行でもあった。

「司令部の将校たちは靖國神社の焼却を主張してゐる。同社焼却にキリスト教会は賛成か否か、速やかに貴使節団の統一見解を提出されたい」

 ビッテルは推察した。〈占領軍の将校たちは、靖國神社、護国神社が廃止されればキリスト教会の発展が容易になり、教会は喜ぶだらうと単純に考へてゐた。それなら逆に、神社の前途を教会の意思にゆだねようとマ元帥は考へたに違ひない〉。

 ビッテルはバーン管区長ら数人の神父と意見を交はし、結論を出した。

「いかなる国家も、国家のために死んだ人々に対して敬意を払ふ権利と義務がある。それは戦勝国か敗戦国かを問はず、平等の真理でなければならない。もし靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きはまる汚点となって残るだらう。神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。靖國神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるといふなら、排除すべきは国家神道といふ制度であり、靖國神社ではない。いかなる宗教を信仰するものであれ、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその霊を祀られるやうにすることを進言する」

 答申書は約束通り、翌日の朝までにマッカーサーの副官に渡され、靖國神社は守られた。臨時大招魂祭は十一月十九日から予定通り斎行され、昭和天皇が行幸された。


▽GHQの解釈変更

 しかし十二月十五日、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」といふ長い表題の付いた日本政府への覚書、すなはち神道指令は発布された。

 日本政府はこれを「唐突」と受け止めた。CIE教育・宗教課で宗教班の責任者だったバンスらはビッテルの答申と前後して神道研究を始めてゐた。基本姿勢は「神道国家主義の根絶」。

 果たせるかな、六次にわたる草案を経て、発令された神道指令の「目的は宗教を国家より分離するにある」と規定されてゐたが、実際は「国家と教会の分離」が拡大解釈され、神道に対する差別的圧迫が加へられた。

 ハーグ陸戦協定には占領軍は被占領国の宗教を尊重すべきことが規定されてゐるが、GHQはこの戦時国際法に公然と違反し、なほかつ「宗教の平等」原則に違反して、とくに民族宗教たる神道の弱体化を図った。

 ポツダム宣言には「宗教・思想の自由は確立せらるべし」の項目があったが、多くの神道的宗教慣例が禁止された。

 GHQ宗教課職員ウッダードの論攷などによれば、占領後期、GHQは神道指令の「宗教と国家の分離」を「宗教教団と国家の分離」に条文解釈を変更し、実際、昭和二十六年の貞明皇后御大喪は国家的に挙行された。

 しかしいつの時点で、どのやうに解釈が内部的に変更されたのかは明示されずじまひだった。そもそも米国人の「国家神道」理解に偏見と曲解があったのだが、真相は明らかにされず、神道への差別的扱ひも放置された。

 そのツケは現代も続いてゐる。小泉首相の五度目の靖國神社参拝後、同神社に代はる「国立の無宗教の追悼施設建設」の要求がふたたび高まり、十一月九日には国会議員百三十人が糾合して超党派の議員連盟が設立された。歴史は繰り返されるのか(参考文献=『マッカーサーの涙──ブルーノ・ビッテル神父にきく』、大原康男『神道指令の研究』など)。
   
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