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終戦後、天皇の祭祀はどのように存続し得たか──歴史的に考えるということ 3 [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年4月29日)からの転載です


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終戦後、天皇の祭祀はどのように存続し得たか
──歴史的に考えるということ 3
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 久々の更新です。

 このところ、靖国神社問題をテーマに、斎藤吉久メールマガジン〈http://melma.com/backnumber_196625/〉の方ばかりを更新していました。

 さて、ゴールデン・ウイークが始まりました。けれども休暇を満喫できる国民はどれほどいるのでしょうか? いまや非正規雇用は労働者の3割を超え、有給休暇の恩恵に浴せる勤労者はけっして多くないはずですが、メディアは行楽のニュースばかりを追いかけています。

 マスコミがほとんど伝えていないことのひとつに、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践してこられた宮中祭祀があります。昭和天皇も今上陛下も祭祀を大切になさっていますが、当メルマガが何度も指摘してきたように、そのあり方にはかなりの変化があります。


▽1 戦後も「温存」された?

 第一の変化は敗戦を契機にしていました。

 5年前のちょうどいま時分、原武史明治学院大学教授(元日本経済新聞記者)が月刊誌で、「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」とセンセーショナルな問いかけをしました。もはや日本は農耕社会ではない。農耕儀礼は形骸化している。祭祀の根本的見直しという選択肢もあり得る、というのでした。

 当メルマガは、原教授には偏見があることなど、かなり徹底した批判を試みました〈http://melma.com/backnumber_170937_4063925/〉。

 それはともかく、そのころ原教授の『昭和天皇』を読んで、私はハッと思いました。終戦直後、昭和20年暮れに占領軍が発令した、いわゆる神道指令は宮中祭祀についてほとんど触れておらず、祭祀は戦後も温存された、と書いてあったからです。

「温存」とはどういう意味なのでしょうか?

 神道指令は「宗教を国家から分離すること」を目的としていました。しかし宮中祭祀はその適用外で、そのため明治以来の形で存続した、という解釈なのでしょうか?

 だとしたら、完全な間違いでしょう。占領軍の不当かつ厳しい干渉を受け、宮中祭祀は激変したのです。


▽2 「有史以来の一大変革」

 昭和天皇の祭祀に携わった元宮内省掌典の八束清貫は、「皇室祭祀百年史」(『明治維新神道百年史』所収)に、こう書いています。

「(神道指令発令で)わが国における祭祀は(伊勢)神宮・皇室・各神社とを問わず、すべて宗教行為としてこれを官辺にて管理することを一切禁じたのである。まさに有史以来の一大変革と申さねばならぬ」

 明治41年9月に制定公布された皇室祭祀令は、大祭は「天皇、皇族および官僚を率いてみずから祭典を行う」、小祭は「天皇、皇族および官僚を率いてみずから拝礼し、掌典長祭典を行う」と定めていました。

 しかし神道指令の発令を受けて、「皇族および官僚を率いて」が削られるとともに、皇室祭祀令に規定する官国幣社の祈年祭、新嘗祭班幣の項も削除されました。

 そしてさらに、22年5月3日、日本国憲法が施行される前日、皇室祭祀令など皇室令のすべてが廃止されました。つまり、原教授のいうような「温存」どころか、明文法的根拠が失われたのです。

 にもかかわらず、天皇の祭祀は存続しました。なぜ存続し得たのか、皇室祭祀令に代わる法的根拠は、当メルマガの読者ならすでに御存知のように、依命通牒です。

「昭和22年5月3日をもって宮内府長官官房文書課発、宮内府長官官房文書課長高尾亮一の名によって、各部局長官に対し、依命通牒が発せられるに至ったのである」と八束は説明しています。

 ただ、すでに百地章日大教授に対する再批判で指摘してきたように、依命通牒(通達)、いまでいう審議官通達は、官報にも載りませんから、その存在を知る人はごく一部の関係者に限られたものと思います。

 依命通牒について説明する八束論文を掲載した『神道百年史』が出版されたのは昭和41年ですが、目を通した読者はけっして多くはないでしょう。原教授が「温存」のひと言ですませたのも無理はないかもしれません。

 宮内庁の前身である宮内府の「関係法令集」、および現在の宮内庁の「関係法規集」には昭和50年版まで、この依命通牒が掲載されていたようです。むろん八束論文にも全文が載っています。


▽2 依命通牒の起案書

 ところで、依命通牒の起案書が残されています。

 起案書は、赤線に縁取られた、宮内府のさらに前身である宮内省の事務用箋、B4判、3枚に、毛筆でしたためられています。

 1枚目の欄外には「文議第二号」とあり、同じく欄外に「御覧済」の朱印が押され、付箋でしょうか、「御覧モノ」と墨字で書いた紙が付されているようです。昭和天皇が起案書を御覧になったということでしょう。

 以下、できるだけ忠実に、全文を書き写します。

(1枚目)
立案 昭和二十二年五月三日
決裁 昭和〃年〃月〃日   文書課長(「高尾」の印)

長官(花押)
次長(「加藤」の印)

皇室令及び附属法令は、五月三日限り、廢止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことにしてよいか、伺います。

     記

一、新法令が、できているものは、当然夫々、その條規によること。(例、皇室典範、宮内府法、宮内府法施行令、皇室経済法、皇室経済法の施行に関する法律、皇統譜令等)

二、政府部内一般に適用する法令は、当然、これを適用すること。(例、官吏任用敍級令、管理俸給令等)

三、從前の規定が、廢止となり、新しい規定

(2枚目)
が、できていないものは、從前の例に準じて、事務を処理すること。(例、皇室諸制典の附式、皇族の班位等)

四、前項の場合において、從前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること。(例、宮中席次等)

五、部内限りの諸規則で、特別の事情のないものは、新規則ができるまで、從來の規則に準じて、事務を処理すること。特別の事情のあるものは、前項に準じて処理すること。(例、委任規定、非常災害処務規定、宿直処務規定等)

宮内府長官官房文書課発第四五号

  依命通牒案

 昭和二十二年五月三日 宮内府長官官房文書課長

 各部局長官

(3枚目)
    依命通牒

皇室令及び附属法令は、五月三日限り、廢止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことになつたから、命によつて通牒する。

     記
(前同文)

 この通牒によって、天皇の祭祀は維持されたのです。しかし昭和43年4月に侍従次長となった入江相政は、異常な執念で、祭祀の「簡素化」(入江日記)を開始します。

 つまり、「従前の規定が、廃止となり、新しい規定が、できていないものは、從前の例に準じて、事務を処理すること」と定めて、祭祀を存続させてきた依命通牒(第3項)が反故にされたのです。

 つづく。
  
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