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「しらす」政治と「うしはく」政治──憲法記念日の社説を読んで [天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「しらす」政治と「うしはく」政治
──憲法記念日の社説を読んで
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 昨日は憲法記念日でした。安倍内閣が改憲手続きを定めた96条の改正に強い意欲を見せていることから、新聞各紙が社説で取り上げています。

 読売新聞は、「憲法記念日 改正論議の高まり生かしたい」と改正を支持しています。「国民自ら国の基本を論じ、時代に合うよう憲法を改正するという考え方は、至極もっともだ」というわけです。

 これに対して毎日新聞は、99条が憲法尊重擁護の義務を定めていることに注意を喚起し、「一票の格差」是正を実現していない「違憲の府」に「改憲を論じる資格があるのか」と厳しく批判しています。

 朝日新聞は「憲法を考える──変えていいこと、ならぬこと」というタイトルで、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という「普遍の原理は守り続けなければならない」と、安倍首相の姿勢を牽制しています。


▽1 権力を制限する歴史的天皇のあり方

 朝日の社説は、権力を制限する立憲主義の本質について言及し、歴史的視点に各国との比較も加え、改憲手続きの緩和に、まっ向から反対しています。

 以下、批判的に読んでみます。

 まず立憲主義について。

「明治の伊藤博文は、天皇主権の大日本帝国憲法の制定にあたってでさえ、『憲法を設くる趣旨は第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある』と喝破(かっぱ)している」

 権力の制限は、明治憲法の起草・制定の中心人物が、第一義に考えていたのでした。

 けれども、古来続く、公正かつ無私なる祭り主という天皇の歴史的なあり方こそ、ヨーロッパの絶対的な王権とは異なり、権力を制限するものでした。

 ヨーロッパの王制国家ではキリスト教の絶対神に正統性の根拠が置かれ、国王は地上の支配者とされています。王権は絶対です。けれども、日本の天皇は「およそ天皇、位に即(つ)きたまわば、すべて天神地祇を祭れ」(古代律令制の定めのひとつである「神祇令(じんぎりょう)」の「即位の条」)とされ、「国中平らかに、安らけく」(後鳥羽院宸記)と祈る祭祀の力によって、国と民を統合することが第一のお務めとされました。

 明治憲法第一条は「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」と規定していますが、憲法起草の中心にいた井上毅の原案は「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」でした。

 戦前・戦後を通じてもっとも偉大な神道思想家といわれる今泉定助によれば、「天皇統治の本質」は「しらす」ことだとされます。「しらす」政治とは「知る」政治であり、国未来の自性を知り、万物の自性を知って、これを生成化育する政治であって、「うしはく」政治、つまり領有、私有の政治とは異なると説明されています(『今泉定助先生研究全集2』)。

 多神教的、多宗教的文明の中から自然発生した日本の天皇の「しらす」政治は、絶対権力とはほど遠く、むしろ民の権利と自由を保障するものでした。その中心に位置するのは民が信じるあらゆる神を祀る天皇の祭祀です。

 であればこそ、当メルマガは宮中祭祀を継続して取り上げています。


▽2 君主制と国民主権が両立するノルウェー憲法

 次に、朝日新聞の社説は、「立憲主義は、国王から市民が権利を勝ち取ってきた近代の西欧社会が築いた原理だ。これを守るため、各国はさまざまなやり方で憲法改正に高いハードルを設けている」と説明し、アメリカとデンマークの例をあげています。

 けれども、すでに述べたように、一神教文明の中から生まれたヨーロッパの王権と多神教的、多宗教的文明の中から発生した日本の天皇とを一律に論じるべきではないと考えます。天皇は絶対君主ではないし、日本の立憲主義は、絶対的な権力を持つ天皇を市民が打倒し、勝ち取られたものではありません。

 天皇主権か国民主権かという二項対立的な議論自体、一神教文明的です。

 また、諸外国の例をあげるなら、200年前の1814年に採択された、世界で2番目に古い成文憲法といわれるノルウェー王国の憲法〈http://www.stortinget.no/en/In-English/About-the-Storting/The-Constitution/The-Constitution/〉はどうでしょうか?

 第1条は「The Kingdom of Norway is a free, independent, indivisible and inalienable Realm. Its form of government is a limited and hereditary monarchy.」と立憲君主国であることが定められています。

 行政権が国王に帰属すること、国王の神聖不可侵も定められていますが、「国民主権」「三権分立」「人権」が憲法の基本原則とされています〈http://www.stortinget.no/en/In-English/About-the-Storting/The-Constitution/〉。

 君主制と国民主権とが両立しています。

 憲法改正も、何度も、そして徹底的に行われています。今世紀に入ってからも表現の自由に関して新たな規定が盛り込まれ、一院制への移行が定められ、福音ルーテル派教会が国教の地位からはずれたそうです。

 もっとも改正手続きの「3分の2」条項は日本と同じようです。

 議論すべきことは、朝日の社説が「憲法に指一本触れてはならないというのではない」と述べているように、あくまで憲法の条文そのものかと思います。

 社説は、自民党などの改正案は「一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。戦争放棄をうたった9条改正以上に、憲法の根本的な性格を一変させるおそれがある」と反対を表明していますが、現行憲法の平和主義を成り立たせてきた国際環境が激変していることは見落とされるべきではないと思います。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とありますが、「憲法確定」の前提がいまや崩れていると認めざるを得ません。


▽3 「軍国主義」とは何か?

 朝日の社説は、日本と同じ、第2次大戦の敗戦国であるドイツとの比較を試みています。

「日本と同様、敗戦後に新しい憲法(基本法)をつくったドイツは、59回の改正を重ねた。一方で、触れてはならないと憲法に明記されている条文がある。

 『人間の尊厳の不可侵』や『すべての国家権力は国民に由来する』などの原則だ。

 ナチスが合法的に独裁権力を握り、侵略やユダヤ人虐殺につながったことへの反省からだ」

 翻って、日本国憲法の基本的人権、国民主権、平和主義の「3つの原理」は、「改正手続きによっても変えられないというのが学界の多数説だ。かつての天皇制のもとで軍国主義が招いた惨禍の教訓が、その背景にある」と、朝日の社説は9条改正への動きを牽制しています。

 けれども、ドイツ憲法が原則を変えていないというのは「西ドイツ」の意味でしょう。東ドイツは「労働者と農民による社会主義国家である」と謳う憲法の原理どころか、国自体がなくなりました。

 また、「かつての天皇制のもとで軍国主義が招いた惨禍の教訓」という理解は妥当でしょうか? むしろ、社説がまさに指摘しているように、権力の制限が第一義とされた明治憲法体制が、なぜ「絶対主義天皇制」などと呼ばれなければならないのか、改憲論議の前に、歴史的に検証されるべきです。

「軍国主義」も同様です。何をもって「軍国主義」と呼ぶのでしょうか?

 アメリカは戦時中から、「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉で、靖国神社はその中心施設であり、教育勅語がその聖典だと理解していたようです。ポツダム宣言は「軍国主義」が世界から駆逐されるべきことを謳っています。日本国憲法の制定はそのことと直接、結びついています。

 それなら、アメリカの戦時中からの「国家神道」理解は正しかったのか? 

 靖国神社は敗戦後、焼却の噂がありましたが、結局、守られています。昭和20年11月の臨時招魂祭・合祀祭に参列したCIE(民間情報教育局)部長のダイク准将らは「たいへん荘厳でよかった」と神社の祭典に逆に感激したと伝えられます。

 アメリカは「国家神道」を誤解していたということでしょう。


▽4 「軍国主義」を煽った朝日新聞

 ならば、朝日新聞はどうでしょうか? 当の朝日新聞自身が戦時中は「軍国主義」を煽り、その一方で、部数の倍増を果たし、首尾よく生き延びてきた歴史を、十分に顧みていないのではありませんか?

 たとえば、昭和14年、朝日新聞は靖国神社の外苑に戦車をずらりと並べたてる戦車大展覧会を開催し、同時に戦車150台が銀座をパレードする大行進も催しました。靖国神社を利用して、戦争への時流を作り上げたのですが、戦後まとめられた『社史』には戦車展が掲載されていません。不都合な事実にフタをしているということではありませんか?

 敗戦後、20年11月の臨時株主総会で村山長挙社長以下の全役員が辞任し、村山社長と上野精一会長は社主となりました。編集総長、編集局長、論説主幹も総退陣しました。「空前の大改革」「戦争責任を明らかにした」(『社史』)と自己評価されています。

 けれども、社主制度を新設する資本と経営の分離は、元主筆の緒方竹虎がかねてから主張していた論で、「大改革」はかえって社内体制を強化したのです。

 戦争中は時流に乗って発行部数を拡大させ、敗戦でこんどは経営体制を近代化させました。しかも社主に退いたはずの上野、村山両氏は、日本が独立を回復した6年後には取締役に復帰しています。

 日本の近現代史をあらためて総ざらいする必要があります。

 というわけで、今回は、平成11年11月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。テーマは天皇統治の本質についてです。当時は、「国旗国歌法」の施行から数カ月で、新たな政治闘争が予感されていました。そして案の定、混乱はいまも続いています。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。



「国旗国歌法」が施行されて早くも数カ月が過ぎたが、法制化の背景に共産党の戦略があったことは案外、忘れられている。

 朝日新聞発行の月刊誌「論座」は昨年(平成10年)暮れ、各政党や主要メディアに対して、日の丸・君が代に関するアンケートを実施した。その回答が3月号(2月上旬発行)に掲載されているのだが、ここで共産党は「問題解決には法律で根拠を定める措置が最低限必要」とする新見解を明らかにした。

 2月下旬、不破委員長は「日の丸・君が代を国旗・国歌として扱うのには反対だが、国民的な議論の上で私たちが少数であれば、国旗・国歌として採用することはやぶさかではない」と法制化を誘うかのような発言をし、その10日後に小渕首相は法制化の検討を指示したのである。

 しかし、8月の法案成立の当日、共産党系の教職員組合は「国旗・国歌」強制反対、学校行事への定着化を許さない、とする声明を発表したと伝えられ、翌日の「赤旗」は「主張」で、反対派が「少数」ではないことを強調した上で、以前から匂わせていた招来の国旗・国歌の変更を宣言した。いわば「戦闘開始」の狼煙(のろし)である。

 これから卒業式に向けて、国旗・国歌をめぐるかまびすしい「政治闘争」が息を吹き返すということか。

 ところで、法案審議の過程でいっこうに議論が深まらなかったのが天皇論だ。

 共産党推薦の参考人などが「君が代は国民主権と両立しない」と国会で語っていたが、これなどは端的に天皇統治への無知と無理解を示している。

 戦前・戦後を通じてもっとも偉大な神道思想家といわれる今泉定助(いまいずみ・さだすけ)は、「天皇統治の本質」は天壌無窮の神勅にあるように、この国を「しらす」こと、大祓祝詞(おおはらえのりと)にあるように「安国と平らけくしろしめす」ことだと述べている。

「しらす」政治は「知る」政治であり、国民の自性を知り、万物の自性を知って、これを生成化育する、政治同化統一する神人不二、祭政一致の政治であり、「うしはく」政治つまり領有の政治、私有の政治とは異なる、と書いている(『今泉定助先生研究全集2』)。

 明治憲法は「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」と規定しているけれども、憲法起草の中心にいた井上毅の原案には「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」と、天皇統治は「しらす」政治の意味であることが明記されていた。

 天皇統治が権力支配でないことは明治憲法の制定者たちには自明のことであったらしい。

 数カ月前の国会論議に見られた「天皇主権」か「国民主権」かという近代ヨーロッパ風の対立的な議論こそが、そもそも天皇統治の本質から遠いのだ。

 この国をしらす天皇の第一のお務めは祭りであり、天皇は「国平らかに、民安かれ」とつねに国家と国民のために祈られる。

 その意味を明治の社会主義者・幸徳秋水は深く理解していたようだ。秋水は、皇統が一系で連綿としているのは歴代天皇が社会人民全体の平和と幸福を目的とされたからで、これは東洋の社会主義者の誇りだ、とさえ書いている(『幸徳秋水全集4』)。

 日本の天皇は「戦前の君主絶対の名残」「民主主義の時代には合わない時代錯誤」(『新日本共産党宣言』)ではなく、日本民族が歴史的に形成してきた世界に誇るべき優れた政治システムといえる。

 それは底なしの政官財の腐敗堕落が暴露されてもなお、天皇の存在が国家社会の安定を保障している今日の状況を見れば明らかであろう。

 だが悲しいことに、天皇とは何か、を教え伝える本物の教育者が見当たらない。
タグ:天皇論
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