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首相の靖国神社参拝は「政教分離」に違反しない──バチカンは戦前から一貫して認めてきた [靖国問題]


以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月17日)からの転載です


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首相の靖国神社参拝は「政教分離」に違反しない
──バチカンは戦前から一貫して認めてきた
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 安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に、中国や韓国が反発していることについて、安倍首相が14日の参院予算委員会で、「誤解に基づくものが多い」との見解を示したと、一昨日、15日の中国・人民網(人民日報電子版)が、論評ぬきで、事実を淡々と伝えています〈http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/345120/〉。

 安倍首相は、中国や韓国の反発は「誤解に基づくものが多い」とした上で、「靖国神社が軍国主義の象徴かどうか、行けば分かる。そこは厳粛な慰霊の場だ」と述べた。閣僚の参拝が「政教分離の原則」に抵触するのではないかとの指摘には、「私人の立場で参拝するのは、個人の自由だ」と強調したというのです。

 日中間の靖国問題がこじれた原因の1つは、中曽根首相の「公式参拝」後、中国の保守派からの批判を受けて、翌年は参拝を自粛したことにあるといわれます。信念を貫けず、風向きによってころころ変わる日本側の弱点を見抜かれ、突き崩されたのです。

 何があっても信念を貫き通すことが、日中間において重要です。

 今回の淡々とした人民日報の報道は、安倍首相の信念を見て、北京政府が対応を変えてきた現れかもしれません。

 ただ、安倍首相が「靖国神社は厳粛な慰霊の場だ」と言い切ったのは評価できますが、1点、気になるのは、「閣僚の参拝が『政教分離の原則』に抵触するのではないかとの指摘には、『私人の立場で参拝するのは、個人の自由だ』と強調した」ことです。

「私人」なら許されるというのは、「国はいかなる宗教的活動もしてはないない」という憲法の規定を念頭に置き、「公人」としてなら合計性が問われる可能性があるということなのでしょう。

 しかし、そういう憲法理論は誤りだと私は考えます。

 この理論では、公人中の公人である天皇が靖国神社を参拝する場合も、「私人」として認められるということになるのでしょうか? 歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀を「皇室の私事」として容認した、占領期さながらの憲法解釈といえます。

 問題は、「公人」の靖国神社参拝が国民の信教の自由を侵すかのどうか、のはずです。その目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉するものでないなら、問題はないはずです。

 なぜなら、靖国神社参拝は宗教行為というより、国民儀礼だからです。

 靖国神社の参拝が信教の自由を侵害するかどうかについて、歴史的にもっとも過敏であったカトリック教会の場合、最近の左翼チックな日本の教会指導者たちはいざ知らず、バチカンは戦前もいまも信徒の参拝を容認しているばかりでなく、参拝は信徒の務めであるという見解さえ表明されています。

 政治家たちは堂々と、国民儀礼としての参拝を果たすべきです。それは「公人」としての務めです。

 というわけで、平成19年2月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。



 過去三十年間、靖国神社の国家護持運動や首相参拝に強く反対してきた日本のカトリック教会の指導者たちが、今度は信者の靖国参拝を認めるバチカンの公文書を無効とする挙に及び、反靖国的姿勢を募らせています。

 カトリック中央協議会が「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」と題する小冊子を発行したのは昨年秋でした。

 一九三六(昭和十一)年にバチカンの布教聖省が日本の教会に与えた指針「祖国に対する信者のつとめ」は、国家神道の神社(靖国神社)の儀礼は宗教的なものではない、とみなし、信者の参加を公的に認めていましたが、今回の冊子は「七十年が経過し、状況が変わった以上、そのまま今の教会に適応できない」と効力を否定し、「信者の参列は差し支えないとはいえない」と主張しています。

 しかし東京大司教が執筆し、司教協議会が編集した冊子は、史的理解が正確でないなど、多くの問題点が指摘されます。


▽儀礼は宗教的か否か

 このバチカンの指針は、昭和七年の上智大学生靖国参拝拒否事件のあとに出されました。

 事件は、軍事教練の配属将校に引率され、靖国神社まで行軍した学生のうち信者数人が参拝(敬礼)を「拒否」したのをきっかけに大混乱に発展したもので、今日の教会は戦前の「迫害」の象徴ととらえています。今回の小冊子も「教会は弾圧と迫害にさらされていた」と書いています。

 しかしほんとうにそうでしょうか。

『上智大学史資料集』は多くのページを割き、事件に関する一次資料を網羅しています。ちょうど日本の教会指導者が反靖国的傾向を強めていった時期に編集、刊行されていますが、「弾圧と迫害」の事実を読み取るのは不可能です。

 渦中にいた大学関係者は「軍部による政党打倒運動に事件が利用された」と回想しているほどで(『未来に向かって』など)、軍部の嫌がらせはともかく、日本政府が政策的に教会を弾圧した歴史はないはずです。

 ただ、信者にとって信仰上の問題をはらんでいたのは事実でしょう。キリスト教は一神教です。敬虔な信者であればあるほど、唯一神以外の神を礼拝することは許されません。靖国神社での敬礼は宗教行為なのか否か、事件は問いかけたのです。

 今回の小冊子は、靖国神社を宗教と断定し、その前提で、事件を政教分離問題として政治的に理解しようとしていますが、問題の本質はそうではなく、異教の国での戦没者追悼という国民儀礼に一神教の信仰者は参加を許されるのか否か、という信仰問題なのでしょう。

 であればこそ、事件さなかの昭和七年九月、シャンポン東京大司教は鳩山文相宛に書簡を送り、学生らの神社の儀式への参列は愛国心と忠誠を表すものなのか、宗教に関するものか、回答を求め、これに対して文部省は、「神社参拝は教育上の理由に基づくもので、学生らの敬礼は愛国心と忠誠とを表すものにほかならない」と答えました。

 靖国神社での敬礼は宗教的意義を有さない、という公式回答を得て、信者らは安心して参拝できるようになったのです(田口芳五郎『カトリック的国家観』など)。

 この教会の判断はバチカンによって追認されました。それが一九三六年の指針です。

 日本の教会は、異教儀礼に由来すると思われる行為などを公的に求められたときの信者の対応について何度も照会し、これに応じて布教聖省はこの指針を発したのです。

 この指針が注目されるのは、同じ布教聖省が一六五九年に宣教師に与えた古い指針を冒頭に引用していることです。

「各国民の儀礼や慣習などが信仰心や道徳に明らかに反しないかぎり、それらを変えるよう国民に働きかけたり、勧めたりしてはならない」

「キリスト教信仰はいかなる国民の儀礼や習慣をも、それが悪いものでないかぎり、退けたり傷つけたりせず、かえってそれらが無事に保たれるように望んでいる」

 この賢明な原則を想起するのは有益である、と一九三六年の指針は述べています(カトリック中央協議会編『歴史から何を学ぶか』など)。

 布教聖省が約三百年前の指針を引き合いにしたのには理由があります。古い指針は中国に布教する宣教団に与えられたものです。キリスト教徒が異教世界の儀礼に参加することの是非論は昨日、今日に始まったものではないのです。

 十六世紀末に中国宣教を開始したイエズス会は、中華思想に固まり、排外的で自尊心の強い中国人に布教するため、画期的な「適応」政策を編み出しました。

 現地語を学び、現地の習俗、習慣を積極的に採り入れ、絶対神デウスを中国流に「天」「上帝」と表現し、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝の儀礼に参加することをも認めました。

 この布教戦略は功を奏し、イエズス会士は宮廷に迎えられ、高級官僚となり、やがて信者は増え、一六九二年にはキリスト教は公許されました。

「適応」政策の成功は、その成功ゆえに、遅れてやってきたドミニコ会やフランシスコ会の嫉妬と反感を買い、修道会同士の人間臭い陰湿な対立抗争を招きました。そして典礼問題が発生し、孔子崇拝の儀礼参加の是非がバチカンで論争になります。

 結局、イエズス会が敗北を喫し、一七七三年には解散させられます。

 しかし二十世紀になって適応主義は蘇ります。日本の教会は一九三六年に靖国参拝が認められ、中国では三九年に孔子廟での儀式参加が許されました(矢沢利彦『中国とキリスト教』など)。

 東京大司教の冊子には、こうした広い世界宣教史的視点が欠けています。


▽指針を見直す権限

 今回の小冊子は七十年の時の経過で、一九三六年の指針の効力が失われている、と主張していますが、靖国神社の儀礼参加を認めた指針の有効性は、戦後、一九五一年に出されたバチカンの新しい指針が確認しています。

「戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼と見なされてきた。日本政府は明確に言明してきたし、この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参拝は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は昭和十二年に参拝したのだ」

「この数世紀間に」という文言に、三百数十年の典礼論争を経た教会にとっての靖国問題の本質が見えます。しかし今回の小冊子には新しい指針への言及がありません。

 バチカンの指針を見直す権限は、当然、バチカンにあるでしょう。そしてバチカンが七十年前の神社参拝許可を取り消した、という事実は聞きません。

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