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日韓の和解を妨げてゐる真因は何か──韓国経済学者とドイツ首相との逸話 [日韓関係]


以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月23日)からの転載です


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日韓の和解を妨げてゐる真因は何か
──韓国経済学者とドイツ首相との逸話
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 安倍総理のインタビュー内容を批判した一昨日の朝鮮日報の社説〈http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/21/2013052100763.html〉に見られるように、韓国では、ナチスのホロコーストと日帝の「侵略」とを同一視したうえで、「反省したドイツ」と「反省しない日本」という俗耳には入りやすい図式を立て、日本を批判する姿勢が見られます。

 韓国マスコミだけではありません。7年前、金大中元大統領は朝日新聞のインタビューで、ドイツと日本を比較し、こう述べました。

「欧州の特徴は、西ドイツが周辺の国々の信頼を得たことだ。過去を徹底的に反省し、謝罪した。若い世代にナチスの罪悪を教え、ユダヤ人虐殺の場所を保存した」

 日本もドイツのように徹底的に反省し、謝罪すべきだ、という論理ですが、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と日本の植民地支配ないしは「侵略」戦争を同一視するのは誤りです。

 ナチスによるホロコーストは、国際法が予想していなかった国家的な計画的他民族抹殺であって、国際法が愚かにも認める通常の戦争でも、戦時国際法に違反する戦争犯罪でもありません。

 他方、日本が朝鮮で民族抹殺政策を展開したというような歴史はないし、むしろその逆でしょう。日本が謝罪を拒んできたという事実もありません。日本政府は何度も謝罪を繰り返し、韓国側が受け入れを拒絶してきたのです。

 客観的事実に基づいて議論できない韓国人の国民性は明らかですが、歴史の事実を探究せず、単純な図式で批判を繰り返すことは、逆に両国関係を損なうことを知るべきです。日本はそのように反論すべきです。

 しかし、残念なことに、日韓歴史問題はさらに波紋を広げています。

 同じ一昨日、国連の委員会が、日本国内で従軍慰安婦への誹謗中傷が行われていると指摘し、日本政府に防止策を講じるよう求める報告書を発表されたと伝えられています〈http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130522/k10014767151000.html〉。

 17年前、慰安婦問題について、十分な歴史検証を怠ったまま、「日本政府は法的責任を認めよ」と迫った国連人権委員会のクマラスワミ報告書を思い起こさせますが、報道では、日本政府の意見も聞いたうえでまとめられているようですから、なお深刻です。

 けれども、この一方で、和解を拒絶している韓国人自身の姿勢を問題提起する韓国人もいます。

 というわけで、平成17年12月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。

 この年は日韓国交正常化60年の佳節のはずでしたが、「友情」どころか、日韓関係はいまと同様、竹島と慰安婦、「過去」で大きく揺れていました。韓国では、事実を無視した日本批判が目的化し、ますます過熱化しているのでした。

 それでは本文です。なお一部に加筆修正があります。同紙の編集方針に従い、記事は歴史的仮名遣いで書かれています。



 アジア太平洋経済協力会議(APEC)が開催中の韓国・釜山で十一月十八日、小泉首相と盧武鉉大統領との日韓首脳会談が開かれた。両首脳は首相の靖國神社参拝などをめぐって、激しく応酬したと伝へられる。

 大統領は「日本が『過去』に戻るのではないかといふ懸念がある」と首相の参拝中止を求め、小泉首相は「『過去』を美化してゐるのではない。戦歿者に対する哀悼の念から参拝してゐる」と反論した。

 大統領はまた「これ以上の謝罪や国としての賠償を求めない」と表明する一方で、マスコミに対して「(靖國神社参拝は)韓国に対する挑戦だ」と語ったが、小泉首相は「時間が経てば理解されうる」とかはした。

 今回の会談は十月中旬に首相が五度目の靖國神社参拝を果たし、そのあと強硬な抗議と批判が内外からわき上がって以後、最初の顔合はせだけに注目された。

 会談実現は一歩前進といへるが、参拝に批判的なメディアは「首相の認識はきはめて甘く独善的」「両国関係は深刻」と批判し、返す刀で新追悼施設建設を要求してゐる。


▽韓国市民を魅了した「ベルばら」

 四年前の平成十三年八月、小泉首相の最初の靖國神社参拝後、中国・韓国の猛烈な抗議を受けて、首相は十月に訪韓し、金大中大統領(当時)との会談に先立ってソウルの国立墓地「顕忠院」を表敬したことがある。首相は翌年三月にも訪問した。小渕、森歴代首相も献花、焼香し、皇族も表敬してゐる。

 遊就館の展示を引き合ひにして靖國神社を「日本軍国主義のシンボル」と批判するのは的外れだが、顕忠院は紛れもなく韓国「抗日」史観のシンボルである。

 日本が韓国(朝鮮)と戦争した歴史はないけれども、韓国は「侵略と抵抗」を柱とする「抗日」史観に凝り固まり、顕忠院の中央にそびえる顕忠塔を飾るレリーフは、朝鮮戦争とともに、「抗日」独立運動がモチーフになってゐる。

「抗日」のシンボルに日本人が「わだかまり」を感じないといへばウソになるが、それでも日本の要人が表敬するのは国際的儀礼と認識するからにほかならない。

 ところが韓国側は日本の国家的追悼施設である靖國神社を表敬しないばかりか、新施設の建設を公然と要求してゐる。

「戦後六十年」の今年は「日韓国交正常化四十年」でもある。両国政府はこの節目を「友情年」と位置づけ、多角的な文化交流を推進してきた。

 その有終の美を飾る行事として首脳会談の一週間前、宝塚歌劇団がソウルで公演した。主催は韓国観光公社だが、後援団体には日韓・韓日議員連盟や両国外務省、日本大使館などが名を連ねた。

 慶煕大学「平和の殿堂」を会場に、代表作「ベルサイユのばら」などが上演され、華麗なステージは韓国市民を魅了し、感動を与へた。観客席から自然な手拍子がわき上がり、カーテンコールでは二千七百人の観客が総立ちになり、歓声と指笛がこだましたといふ。

 ここまでの道のりは平坦ではなかったらしい。何度か公演が企画されたが実現しなかった。今回も竹島問題などを契機とする反日感情の高まりから一時は暗礁に乗り上げてゐた。困難を乗り越えての成功であった。

 しかし韓国メディアは素直に喜んでゐない。「民間レベルの努力はきらびやかなスローガンに終はった。日韓首脳会談は両国の温度差を確認したまま、冷ややかなムードの中で終はった」とこき下ろしてゐる。


▽シュミット首相が語った「独仏和解の真相」

 民間先行はいまに始まったことではない。四年前、日韓教科書摩擦が沸騰したとき、韓国では日本人歌手・尾崎豊の曲が大ヒットし、ソウルの街中でこの歌が流れてゐた。韓国民衆は一貫して日本を心から受け入れてゐる。

 今度の首脳会談で盧武鉉大統領は「いくら(靖國神社参拝についての)首相の考へを善意に解釈しようとしても、韓国民は絶対に受け入れることはできないだらう」と語ったが、和解が妨げられてゐる真因は果たして小泉参拝なのか。

 日韓関係はしばしば独仏関係と比較されるが、市村眞一・京都大学名誉教授が興味深い逸話を紹介してゐる。

 十年前、韓国対外経済政策研究所の柳荘煕所長がドイツのシュミット首相と南北朝鮮統一について対談し、話題が日本の「過去」におよんだ。

 柳所長が「ドイツは戦争の原因が自分たちにあると認め、謝罪した。なぜ日本は謝罪しないのか」と問ふと、ドイツ首相はかう答へた。

「和解の手を差し伸べたのはフランスであり、ドイツではない。フランスが協力を呼びかけ、そして私たちがそれに応へたのです」。

 柳氏は自著『Real success, financial fall』にこの対談を載せてゐるが、著書は日本の国会図書館にも収められてをらず、和訳もないため、ほとんど知られてゐない(同書はいまはアマゾンでも売られていますが、当時、私は幕張の研究施設にまで足を伸ばし、原文を読んだものです)。

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